若い人たちが「読みにくい」とか「なんか苦手かも」と“感じそうな”古い本(いや、そういう本こそ好みだ、という人もいるだろうけど)も、ちょっとしたヒントや読み方のコツ、ゴシップっぽい知識があれば面白く読めるんだよ、ほらね。そんな風な、結構おこがましい説教オジさん的スタンスで、ぼくは2011年度新学期から始まるこのウェブ連載を書こうと思っていた。
 
でも、いざとりかかろうとしたとたん、ものすごい揺れでひっくりかえってしまった。地べたにはいつくばってしまった。立ちあがれないような気がした。
 
もちろん、これは比喩だ。東北と関東に想像を絶する被害をもたらした3月11日の大震災が襲ってきた時、ちょうど外出していたぼくは、ゴムの棒を振っているみたいに左右にたわむ電柱を目まのあたりにして恐怖をおぼえたり、自転車に乗った人たちがまっすぐ走れず倒れこむありさまに衝撃を受けたり、家に戻ったら本棚の本が大量に床に散らばっていて茫然としたりしたけれど、まったく無事だった。家族もみな無事。東京郊外の「被害」は、おおむねその程度で済んだようだった。
 
だが、最初の揺れがおさまった数時間後から、ぼくの心の「ひっくりかえり」がはじまった。テレビの画面から、ものすごい勢いであふれでてくる津波の映像。激しい濁流にのまれて消え去っていく町のいくつかは、以前訪れたことがある場所なのだ。親しい人たちだって何人も住んでいる。
 
まともな言葉なんかでてこない。ただもう、「ああ」といううめき声を発したり、「ひどいひどいひどい」とうわごとみたいにつぶやくだけだ。そして、いつになったら終息するのか見当もつかない原発の事故まで起きた。現実の出来事とはとうてい信じられない惨状が、毎日襲いかかってきてぼくをうちのめす。
 
町ごと消えてしまった被災地のことを考えたら、なんでもなかった人間がへこたれるなんて単なる甘ったれでしかない。そう自分を叱ってはみるものの、足の先からどんどん気力が洩れていき、無力感にひたされてしまう。なにかを書いてみても、自分が使うすべての言葉がうわすべりで軽々しく感じられ、目をそむけたくなる。こんな時に、読書の魅力について語るなんて、とてもムリだ。
 
何日ものあいだそんな風にへこたれて、テレビやインターネットばかり眺めていた。だが、震災から半月ほど経ったある日、ヘタレなぼくの目に、「ジャンプ1冊、笑み100人」というネットニュースの見出しが飛び込んできた。記事の内容は、こうだ。
 
「1冊の『週刊少年ジャンプ』が、雑誌の最新号が届かない仙台市にある書店で、100人以上の子どもたちに『立ち読み』されている。客から譲り受けた貴重な1冊。人気マンガの続きを読み、『安心した』と笑みを浮かべる子どもたちがいた。」(asahi.com)
 
「震災後、多くの書店が閉店するなか」、在庫だけで営業を再開した仙台市のある書店。しかし、流通経路がとだえていて新しい雑誌類は届かない。多くの子どもたちが、愛読しているマンガ雑誌を求めてやってくるが、どうすることもできない。「そんなとき、どうしても読みたい」と、山形まで「少年ジャンプ」の最新号を買いにでかけた人が、読み終わったその1冊を書店にゆずってくれたのだ。
 
さっそく書店主は、最新号が1冊だけ手に入ったことを告知した。すると、次々に子どもたちがやってきた。なかには10キロも離れた自宅から自転車を飛ばしてきた子もいたらしい。そして、「表紙がめくれあがったジャンプを手に」、ある少年は「ほっとした様子」を見せ、一緒にきた友人は「『ワンピース』を2度じっくりと読み」、安心したと喜んだ、のだ。
 
このニュースを読んで、ぼくは胸をつかれた。そして、「ひとは食物に飢えるのとおなじように、書物に飢えることもある」と、だれかが書いていたのを思いだした。だれの言葉かはおぼえていないが、似たようなことはずっと昔から何度となく言われてきたことだから、べつにだれだってかまわない。

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著者プロフィール

大岡玲(おおおか あきら)

大岡玲(おおおか あきら)

1958年東京生まれ。私立武蔵高校卒業後、二浪の末に東京外国語大学イタリア語科に入学。以降、だらだらと大学院まで居すわってしまう。大学在学中から本格的に小説を書きはじめ、87年29歳の時に最初の小説を文芸誌に載せてもらう(あの時は、気絶するほどうれしかった!)。1989年に『黄昏のストーム・シーディング』という作品で第二回三島由紀夫賞を、90年には『表層生活』で芥川賞を受賞した。小説以外に、エッセイ、書評、翻訳なども手がける。お調子者なので、テレビ番組の司会やコメンテーター、ラジオ出演なども時々やっている。2006年からは、東京経済大学で日本文学や日本語表現、物語論といった授業を担当中。