形というものは大切です。そんなの形だけじゃないか・・・と言いますが、形に結実したのにはそれなりの理由があるものです。わからなくてもとりあえずは踏襲したほうが無難でしょう。
たとえばボーリングなんかでもまったく勝手な投げ方をすることはできますね。自己流の投げ方でときにはストライクをとることも可能かもしれません。ただそれでは続かない。

すべての物事に正しいフォームがあります。野球でもサッカーでも茶道でも日本舞踊でも同じです。自己流は不可能ではないかもしれませんが、先が続かない。あるいは底が浅くなる。結局は正しいフォームを学び直す必要が出てきます。
勉強にもそれなりに正しいフォームというものがあるのではないか。それをきちんと学んでいないから定着しないのです。

たとえば活動にふさわしいユニホームがあります。きちんとした茶席に、気楽で動きやすいからという理由でジャージ姿で参加したら呆れられるでしょう。動きやすさ以前に心のありどころが問題視される。
勉強するとき――学校では制服でしょうが――日曜日はパジャマ姿で本当にいいものかどうか。勉強もまた一つの伝統芸能であると仮定したとき、接近する姿から本来は真剣に考えるべきだと思います。

机の上が極端に汚いというのは、ゴミだらけのスケート場で演技をしているのと同じです。筆記用具や辞書などが揃っていないというのは、防具をつけずに剣道に臨もうというのと同じです。音読と言われて音読をサボるのは、歌うのが面倒なので声を出さずに頭の中だけでメロディを反芻しているのと同じです。
それなのに「自分はやった」と考えていることはないでしょうか。

素振り十回は十回でしかない。うまくいかないなら目安が十回でも二十回三十回必要になるでしょう。そうしたことを自分で感じ実行できるからこそ上達するのです。英単語の練習も五回書きなさいと言われてそれでも覚えられないときは自分で増やせる真摯さがないといけません。そういう日々を送っていますか?

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著者プロフィール

長野正毅先生

Z会進学教室渋谷教室長。
80年代より小・中・高校生(大学受験生)の学習指導に携わり、
97年よりZ会の教室に講師として勤務。担当は国語。
受験国語にとどまらない確かな指導は、生徒はもちろん、保護者からの絶大な支持を集める。

30余年にわたる指導において先生が目撃してきた
できる子の学習法
できる子を育てる家庭の秘訣
について綴ったブログが大人気(日本ブログ村「高校受験」カテゴリーで1位)。
2015年にはブログの記事を集めた書籍「励ます力」を出版。