勉強するうえで大切なことはあくまでも「自分のものにしたかどうか」ということです。習ったかどうか、わかったかどうかではありません。「自分のものにしたかどうか」です。
たとえば憂鬱の「鬱」という字がありますね。私はこの字をすらすら書けますが、そうなるまでには相当時間がかかりました。思春期に「鬱」と書けたらすごい人に見えるのではないかと考えたのがきっかけで覚えました。

当時、哲学者のキルケゴールに憧れていました。憂鬱そうな風体にひかれた。憂鬱な哲学者にひかれるのであれば「鬱」ぐらい書けなければと思ったわけです。辞書をひいて丁寧に写す。難しい字ですが、すぐに覚えられることは覚えられます。一日二日は何も見なくても大丈夫。もうできた・・・と思う。
ところが一週間ぐらいたつとあやふやになっています。一ヶ月たつと「あれ? 左下はどうだったっけ」となる。微妙なところがわからなくなっているのです。

できたとあんなに思ったのに、できなくなっていた。
同じことが皆さんの勉強でもたくさん起きています。起きていますと断言するのは、私はそういう事例を数え切れないほど見ているからです。解説を聞いた直後は自力で解けるようになった問題がひと月たつと解けなくなっている。どの教科でも起こります。
自分のものにする以前に習得の努力を放棄してしまった。もっともっと繰り返すべきだったのですね。

先にあげた「鬱」という字は、私はもう一年間書かなくても書けるようになっています。完全に自分のものになっている。そういう漢字がいくつかあります。「薔薇」なんかもそうですね。何度も覚えたはずなのに書けなくなった。覚えた、できたと本人が思いこんでいるさらに先があるわけで、気をつけなければいけません。
一つの目標としてはどれだけすらすら書けるかということがあります。漢字だけではないですよ。ダンスを踊るように、楽器を演奏するようにすらすらできるか。

そこまでいっていないとすべての「できた」は「やっぱりできない」になってしまう可能性があります。

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著者プロフィール

長野正毅先生

Z会進学教室渋谷教室長。
80年代より小・中・高校生(大学受験生)の学習指導に携わり、
97年よりZ会の教室に講師として勤務。担当は国語。
受験国語にとどまらない確かな指導は、生徒はもちろん、保護者からの絶大な支持を集める。

30余年にわたる指導において先生が目撃してきた
できる子の学習法
できる子を育てる家庭の秘訣
について綴ったブログが大人気(日本ブログ村「高校受験」カテゴリーで1位)。
2015年にはブログの記事を集めた書籍「励ます力」を出版。