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パティシエ 辻口博啓さん (1)

今回ズームアップするのはパティシエの辻口博啓さんだ。ケーキ店「モンサンクレール」やチョコレート専門店「ル ショコラ ドゥ アッシュ」、和スイーツ店「和楽紅屋」など、さまざまなスイーツの12ブランドを展開。近年は「スーパースイーツ製菓専門学校」の校長を務めるほか、「スイーツ育」を提唱するなど活躍のジャンルを広げている。なぜ、どうやって、そんなに前進し続けられる? エネルギー源をうかがった。(取材・文=松田慶子)

 【2015年4月9日】

 
 
原動力

スイーツ育をとおして子どもに自信をもたせたい

――昨今は「ケーキ屋さん」という言葉にかえて、より専門性の高さと芸術性を感じさせる「パティシエ」という言葉が使われる。辻口博啓さんは、そんな「パティシエ」のイメージを日本に定着させた立役者の1人だ。2011年には一般社団法人日本スイーツ協会を立ち上げ、スイーツの普及と促進に加え「スイーツ育」の普及にも注力している。

「スイーツ育は、スイーツを切り口に、子どもの総合力、人間力をはぐくむメソッド。協会ではスイーツの文化や歴史に精通した『スイーツコンシェルジュ』を養成しており、そのプログラムのなかにスイーツ育として、子どもへのお菓子作りの教え方、お菓子の食べ方の提案のしかたなどを入れています」

――お菓子作りで子どもをはぐくむ?

「そう。お菓子作りは、粉、砂糖、バターといった形のないものから、形を生み出していく作業だし、食材の購入から片づけまでも含まれる。一連のお菓子作りをとおして子どもは、計量や買い物など実際的な能力はもとより、立体物を造形する力、段取りし完遂する力をつけることができる。
また、日本にはお正月やこどもの日など、四季折々の行事がありますね。そのときにお菓子を囲んで家族で会話することで、文化や価値観の伝承もできる。お菓子を手作りしておじいちゃんやおばあちゃんに贈れば、喜んでほめてもらえるはず。何度か贈るなかで、自発的に包装にもこだわるようになるものです。
こんな経験をとおし、子どもは、『人を喜ばせるにはどうすればいいか』を考え、アイデアを練り、手を動かして最後まで仕上げるという力と、なにより自信がつけられる。これらは、社会で生きるうえで大切な能力。華やかでみんなを笑顔にするお菓子だからこそできるのです」

小学生でパティシエを志す 18歳で、体一つで上京

――辻口さんご自身は、どんな子どもだったのだろう。そもそも、パティシエをめざしたきっかけは?

「実家が和菓子屋だったんですよ。だから自分も和菓子職人になるんだと信じていた。ところが小学3年のとき、友だちの家で初めてケーキを食べて、あまりのおいしさにびっくり! それまで毎日食べていた饅頭とは違う、ふんわりした食感と生クリームの甘さに、『天使の贈り物か』と思った(笑)。で、ケーキ職人になるぞ、と」

――小学生で、将来の目標が決まった!?

「そうです。決めたとたん、気分がラクになった。ケーキ屋になるんだから計算さえできればいいと、いってみれば解脱したわけです(笑)。でも学校は大好きで、授業中に遊んでばかりいるような子どもだった。
中学、高校と進むなかでも、パティシエになる目標は変わらなかったですね。当時は、高校を卒業したら上京してケーキ作りの修行をし、その後は家に戻って親父に和菓子を習いながら、ケーキと和菓子の両方を売っていこうと考えていた。
しかし18歳のとき父が他界し、店も家も手放すことになった。裸一貫で上京し、洋菓子店で住み込みで働きながら修行することになったわけです」

だれよりも努力した自負がある だから前進し続けられる

――どんな修業時代だった?

「それはもう、来る日も来る日も朝から晩まで働きましたよ。とにかく早くなんでも学びたかった。だからギラギラしてめだっていたんだろうね、先輩たちからのいやがらせもよくあった。今思うと、それもいい経験。いつか見返してやろうという思いがバネになった。
だれもケーキ作りを教えてくれないから、自分で勉強するしかない。だから1人で有名店をめぐり歩いてディスプレイのしかたを学んだり、夜中に人気店のごみ箱をのぞいてどんな素材を使っているか調べたり・・・。思いついたこと、できることは、なんでもしました」

――やがてコンクールに挑戦するようになったのは?

「優勝すればスポンサーから声がかかり、店を開けると思ったから。やはり努力は惜しまなかったですね」

――成果が実り、23歳の若さで「全国洋菓子技術コンクール」優勝。ところが、史上最年少での優勝に、世間は「なにかカラクリがあるのでは」と疑いの目を向けたという。
「それなら何度でも優勝してやる、次は世界一になってやる」と思った辻口さんは、29歳で、ついにパティスリーの世界大会といわれる「クープ・ド・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー」で優勝を果たした。堂々、世界中のパティシエの頂点に立ったのだ。
それにしても、逆風にひるまず歩み続けられたのはなぜなのだろう?


「目標を定めたら、『だれもここまでやったヤツはいない』というくらい、努力した。ひるんで足踏みしているヒマなんかないよね。お菓子作りの参考にしようと、美術書を読み漁り美術館めぐりもしたし、コンクールの過去の優勝作品や大会の傾向なども徹底して分析した。審査員の好みも調べ、全部頭に叩きこんだ。努力の行程に自信があるからこそ、挑戦し続けられるわけです」

Profile

辻口 博啓 さん (Hironobu Tsujiguchi)

パティシエ。1967年、石川県七尾市の和菓子屋の長男として生まれる。小学3年生でパティシエを志し18歳で上京。都内やフランスの菓子店で修業を積む。23歳のとき、史上最年少で「全国洋菓子技術コンクール優勝。29歳で世界大会『クープ・ド・モンド』優勝。その後も数々のコンテストで優勝し世界に名を馳せる。1998年、東京・自由が丘に「モンサンクレール」をオープン。コンセプトの異なるブランドを次々と展開する一方、石川県に「スーパースイーツ製菓専門学校」を開校するなど人材育成にも尽力。2011年、一般社団法人日本スイーツ協会を設立。スイーツを通し人間力を育てる「スイーツ育」を提唱。


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