中央大学の法学部ではどのようなことが学べるのですか?


中央大学法学部には、法律学科のほか、政治学科と国際企業関係法学科があります。
法律学科では、法の基礎概念と解釈の方法を身につけ、その運用によって社会を良くすることを考える「法解釈学」を学びます。この学問は、職業としての法律家の関門である司法試験の中心にも置かれています。政治学科では、その法を生み出す源泉である「政治」にも注目して、国家や市民社会の理論や動態も学びます。国際企業関係法学科では、国際化(グローバル化)し企業の役割が拡大している現代社会において求められる「国境を越えた法・政治・社会等のシステムのあり方」、が大きな学びのテーマです。

法学部の進路状況を教えてください。


高校生の皆さんが思い描く法曹三者(弁護士・裁判官・検察官のこと)を目指して法科大学院に進学したり、自己学習に専念したりするのは全体の約2割で、約半数は金融機関など民間企業へ就職します。公務員も多いですね。
※2013年3月卒業生進路状況より。
http://www.chuo-u.ac.jp/career/center/employment_data/2012/law/pdf/2012_01.pdf

法曹以外に進む方が多いのですね。

そうです。法学部といえば司法試験というイメージがあるかも知れませんが、中央大学法学部においても、司法試験に合格し法曹三者に進む人は1〜2割でしかありません。確かに入学時には、多くの人が潜在的には法曹三者を志望していますが、入学後の学びの中で多くの選択肢や可能性に気づき、多様な進路を選択しています。

法学部では何を学ぶのでしょうか。


その名が示すように、「法」を対象として学ぶ学部ですが、解釈の技術に留まらず、法を生み出す政治や国境を越えた企業活動も学びの対象ですので、「法」をキーワードとして学ぶ学部ということもできるでしょう。その歴史は古く、日本の近代高等教育は法学から始まりました。大学発祥の地であるヨーロッパでも最古の学問の一つですね。
法の学びにとって最も重要なキーワードに「法の支配(rule of law)」があります。反対概念は「人の支配(rule of man)」ですが、近代化という営みは、腕力・武力に勝る強者のrule of manを正義に適ったrule of lawに変えることでもありました。そのためには、多くの法的素養を身に付けた人が活躍できるよう、法学部での教育が必要不可欠だったのです。
この法的素養は、単なる暗記では身につきません。法は、社会のルールですから、社会を分析し、法を論理的に解釈・運用する力が重要なのです。中央大学は、イギリス法を手本として出発した大学ですので、その言葉を借りますと、"equitable"(エクイタブル)という考え方を身につけることともいえるでしょう。これは、法を杓子定規に機械的に適用するのではなく、場面に応じて、結果の妥当性とりわけバランスを重視するという考え方で、日本語では衡平(こうへい)と訳されます。ですから、法と事実の両方について、解釈の仕方を学び、議論をすることが学びの中心になります。
「法学部=暗記中心」というイメージを持っている方が非常に多いのですが、これは全くの間違いで、私たちは「暗記のための暗記」をすることはありません。


暗記はしないのですか?


はい、しません。例えば制定法についていえば、大切なのは、法律の論理構造を理解することなのです。司法試験の論文式試験でも、六法が支給されます。試験中に六法を見て良いのですから、そもそも「条文そのもの」を暗記する必要がありません。法律の論理構造を理解するために、覚えておくべきことは多いのですが、これは学習の中で自然と覚えてしまいますし、それとて「条文そのもの」「言葉そのもの」の暗記ではありません。

"equitable"な考え方を身に付けることが大切なのですね?


そうです。もちろん、法が求める正義の意味については様々な意見があるのですが、「衡平」が、その重要な要素であることは間違いがありません。なぜなら、100の人がいれば、100とおりの価値観に基づく正義があります。この100とおりの正義をそのままにしておくと、結局は1番腕力のある人によるrule of manとなってしますね。それを防ぐために求めるべきことが、100人にとってバランスの取れた、言い換えればequitableな状態というわけです。
ただ、この"equitable"な状態というのは、口で言うほど簡単なものではありません。法知識だけでなく、社会全体を理解できる知性に基づいた、法解釈・運用野力が必要ですし、その中には、個人としての自分の中にある正義と合わなくても、法律家として"equitable"な結果が良いのだ、と考えられるだけの寛容力も求められます。
その意味で、法学は、実は高校を卒業したばかりの若者には難しい、大人の学問であるとも言えます。例えばアメリカ合衆国の大学には法学部がありません。学部の4年間で、リベラル・アーツと呼ばれる学科目を通じて広い教養を身につけ、法学についてはロースクール(法科大学院)で学ぶという仕組みになっているからです。このように入り口を狭くする代わりに、アメリカの弁護士試験(Bar Exam. 日本の司法試験に相当)は、ロースクール修了生のほぼ全員が合格できるように設計されています。
日本は対照的に、法学部という入り口を設けて、法学を学ぶ学生を早く・広く受け入れます。その上で、法曹三者を目指す人だけが、法科大学院に進学して、さらに、司法試験でも厳しくチェックを行うという仕組みとなっているのです。
それぞれのやり方にメリット、デメリットがありますが、日本の法学部教育には、明確なメリットがあります。それは、法曹三者以外の形で、社会の中で「法」に関わる活躍をする人材を数多く輩出する制度であるということです。法学部に学んだ多くの人が(もちろん、いずれの学科で学んだとしても)、企業人や公務員として、あるいは市民として、rule of law、equitableといった価値を認めて実践することで、日本社会は今日の繁栄を得てきたともいえるでしょう。逆にいえば、法学部の学びは、社会のどの分野でも役に立つのです。

具体的にどのように役に立つのでしょうか?


たとえば、多くの企業には法務部という専門部署があります。契約書の作成にしても、法律を遵守した上で、交渉相手も自分も納得できる内容と形式を整えなければなりませんが、ここにも、"equitable"の考え方が活かされます。法学部出身者は、大変貴重な人材なのです。公務員や政治家の仕事もrule of lawの最前線ですが、かつて「お役所仕事」と呼ばれたような形式的・機械的な法運用は通用しなくなっています。住民からの苦情に「法律で決まっています」というのでなく、どうしたら"equitable"な結果が得られるのか、という発想が必要なのです。またグローバル化によって、国境を越えたビジネスも拡大していますが、同時に紛争やトラブルも増えています。他の社会・文化・法律を理解し、他方で自文化を貶めることなく"equitable"な解決をできる人が求められています。
この他にも、法の基本にある"equitable"の概念は、至るところで活用できます。相手、第三者、あるいは「世間」から求められていることと、自分達がしたい事とのバランスを取るということは常に発生するからです。例えば、損害保険会社で保険金額の査定を担当している卒業生の友人がいますが、その判断は、まさに"equitable"ですね。会社の支払基準は、言葉で書かれたルールですから、これを杓子定規に運用してしまうと被災者にとって衡平でなくなります。他方で、単に情に流された過剰支払をするならば、今度は、他の契約者や次の被災者との関係で衡平でなくなります。そもそも保険は、「困ったときの相互扶助」という仕組みなのですから、"equitable"な支払いは、保険の本質そのものなのです。長年同じ仕事をしていても、法学部出身者とそうでない人では、最後の判断が異なるという話を聞くこともありますが、それも"equitable"をめぐる感覚の差かも知れません。
ちなみに、面白いことに、弁護士が新たな分野に参入するとい傾向も顕著になっています。たとえば、これまで弁護士といえば、法律事務所で働くものでしたが、近時では、企業の社員・チームの一員として業務に従事する企業内弁護士(インハウス・ローヤー)も増えています。法律家のもつ、rule of lawやequitableという感覚が、普通の組織活動に求められているのですね。中央大学も、インハウス・ローヤーを雇っています。
このように法学部での学びは、社会のどこでも活かすことができます。法学部での学びは、単なる暗記でもなく、表層的な技術習得でもありません。4年間の学びの中で、rule of lawやequitableといった法的思考が自然と身に付くのです。

法学的思考とはどのようなものでしょうか?


同じ意味で、リーガルマインドという言葉を聞いたことがある方もいるでしょう。
この説明としては「法律家としての考え方」という表現が良く使われるのですが、では法律家とは何かと言いますと「法律家のように考えられる人のこと」なのですね。つまり法学を学んだ人に共通の思考様式があり、それを共有できている人を法律家と呼び、その考え方をリーガルマインド、法的思考と呼ぶわけです。私は、その「共通」性の重要な要として、「rule of lawやequitableという価値への共感をもつことが含まれると考えています。

グローバル化と関連するお話しもありました。法は、どちらかというとローカルなものかと思っていたのですが?


確かに、法を定めるのは「国」であることがほとんどですから、これまでの法学部や法科大学院での学びについては、ローカルな学びであるという印象があったと思います。しかし、国境を越えた人・物・資金・情報などの移動が進むグローバル社会では、従来の枠組みでは問題が解決できないのです。
そこで一方では、他の社会・文化・法律等をしっかり理解して、"equitable"な解決を目ざすというグローバル化があります。他方では、別のことも起こっています。企業が海外に進出した時に、現地の法システムが進出元のものと異なると、ビジネス上不利ですね。逆に言えば、これが同じだとビジネスはやり易い訳です。そこで、世界では、発展途上国や新興国の法システムを自国のものに近づけよう、という競争が行われているのです。日本政府や日本の大学の取組である「法整備支援」は、一面では、純粋な国際支援ですが、他方では、こうした競争の一部でもあるのです。
「国際社会で活躍したい」と考える高校生の皆さんの多くは、国際系の学部、外国語系の学部、あるいは経営学部や経済学部等を志望すると思います。しかし、こう考えると、法学部も有力な選択肢の一つになり得るのですね。

法学部の役割についてよく分かりました。最後に、法曹を目指す高校生へ、中央大学 法科大学院についてご紹介ください。


中央大学の伝統の最先端にあって、法曹を目指す皆さんが学ぶのが、中央大学法科大学院(ロースクール)で、2年コースと3年コースがあります。日本最大の法科大学院ですが、これまでの修了生の司法試験累積合格率は約7割で、制度発足前に想定されていた水準を達成している数少ないロースクールの一つです。

どのような特徴があるのでしょうか。


月並みですが、学生の皆さんが勉強しやすい環境を提供することを心がけています。実習室等のハード面だけでなく、授業の質の向上など、色々なことに日々取り組んでいます。
ここでは、その中で2つだけ、私が考える良いロースクールづくりのコツをご紹介しましょう。
一つは良き仲間です。もちろん授業は大切ですが、学生同士が実力や興味に合わせて足りないところを補う勉強会(自主ゼミ)を続けていくことで、互いに切磋琢磨し実力を伸ばすことができます。ですから私たちは、学生の皆さんが自分に合う良き仲間を見つけることができる環境整備を心がけるのです。中央ロースクールは、学生数も多く、また出身学部や背景も多種多様ですから、良き仲間に出会える確率が相当高いといえるでしょう。
もう一つは教員に対する質問や議論がしやすい環境です。特に授業後の質問ですね。授業をきっかけとした発展的な頭のトレーニングというものが非常に重要だと思います。中央ロースクールでは、1コマ50分+休憩10分の1時間単位で時間割を編成しますが、多くの授業は2時間連続です。その上で、次のコマは空けておき、質問に答えることができるようにしておくのです。また、週1回以上の頻度でオフィス・ アワー(教員との面会時間)を設定し、別途質問や相談を受ける場としています。
このように学生同士、また教員との密なやり取りの中で、equitableな考え方やリーガルマインドが自然に身に付いていくのです。

高校生にメッセージをお願いします。


私自身、出張講義などで高校生の皆さんとお話しする機会も多いのですが、法学部や法学という学問について、高校生の皆さんがお持ちのイメージは、実際の法学部や法学とは相当離れているように感じます。今回申しあげたように、法学部での学びは、いずれの学科にあっても、決して「暗記のための暗記」ではありません。"rule of law"に基づいた社会をつくり、そこでの課題を"equitable"に解決するための、理論・作法・技術・考え方といったものを身につけることこそが、法学部の学びなのです。
私たちは、こうした学びによって得られる力こそが、これまでの社会を支えてきたことを誇りに思っていますし、グローバル化が進む中で、多様に進化しつつ、益々必要とされるものであることを確信しています。是非、法学部で学び、rule of lawへの情熱とequitableな考え方を身につけてください。