典型的な例は、たとえば、ルフィたちの船をあやつる航海士・ナミだ。海賊専門の泥棒をしていた彼女が、やっきになって海賊たちの宝を盗みあつめるのは、彼女が育った村を買うため、なのだ。海軍の大佐と結託して自分の帝国を作ろうともくろむ海賊アーロンに、暴虐的に支配されているココナッツ村。育ての親を殺したアーロンと、かりそめの服従関係をつくって、自分にとって大切なひとたちが住むココナッツ村をなんとか取り戻そうとするナミ。
 
そのナミの、文字通り血のにじむような努力を、平然と踏みにじろうとする海賊アーロン。そんなありさまを指をくわえて眺めているルフィではない。アーロンを完膚なきまでに(つまり、完全にズダボロに)やっつけるのだ。長年アーロンにあざむかれ、村を守るために必死でナミが書きつづけた海図を、ルフィがこなごなに粉砕して、彼女を精神の奴隷状態から解放するシーンには、五十過ぎのおっさんであるぼくも思わずじーんとしてしまう。なんてイイ奴なんだ、ルフィ!
 
涙腺をさらに刺激するのは、アーロンも大佐もやっつけられたそのあとの場面だ。長い暴虐的支配の末にやっと解放された村のひとびとは、ルフィたちと飲めや唄うたえのどんちゃん騒ぎ。だが、村長はひとり、アーロンに殺されたナミの育ての親ベルメールの墓に詣もうでて、十字架に酒を注いでいる。そして、こう語りかけるのだ。
 
「我々はこれから精一杯生きようと思う。あまりにも多くの犠牲の上に立ってしまった。だからこそ精一杯バカみたいにな・・・笑ってやろうと思うのだ・・・!!!」
 
村長の言葉は、ありえないほど大きな悲しみにあふれている今この瞬間の日本を、また、今この瞬間たくさんのひとびとが争い、虐げられ、かけがえのない命が失われていく世界のさまざまな場所を思うとき、特別な重さをもってせまってくる。悲しみのうえに立って精一杯笑う。その切ないまでの勁さを、ぼくたちはこれから身につけなければならないのだろう。今はまだ、そうする余裕はないけれど。
 
『ONE PIECE』については、まだまだ語りたいこともある。たとえば、あやうく首を切られそうになった瞬間、ルフィがゴールド・ロジャーがそうであったように、じたばたするのをやめてにっこり笑って死のうとしたエピソードなんかは、仏教の、とりわけ禅の教えなどとからめたら一大論文が書けそうなくらいこねくり回せそうだ。
 
でも、とりあえずここではいったん手じまいをして、『ONE PIECE』の“先輩たち”を紹介してみようと思う。では、また次回。

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著者プロフィール

大岡玲(おおおか あきら)

大岡玲(おおおか あきら)

1958年東京生まれ。私立武蔵高校卒業後、二浪の末に東京外国語大学イタリア語科に入学。以降、だらだらと大学院まで居すわってしまう。大学在学中から本格的に小説を書きはじめ、87年29歳の時に最初の小説を文芸誌に載せてもらう(あの時は、気絶するほどうれしかった!)。1989年に『黄昏のストーム・シーディング』という作品で第二回三島由紀夫賞を、90年には『表層生活』で芥川賞を受賞した。小説以外に、エッセイ、書評、翻訳なども手がける。お調子者なので、テレビ番組の司会やコメンテーター、ラジオ出演なども時々やっている。2006年からは、東京経済大学で日本文学や日本語表現、物語論といった授業を担当中。