授業中こういうことがありました。ちょっとだけ脚色して書きます。特定のクラスのことだとわかってしまうとよくないですからね。
万葉集は奈良時代の歌集であると話しました。古今和歌集が平安時代、新古今和歌集が鎌倉時代ですね。こういうことはぜんぶテキストに載っていますが、私はわざと黒板に書きます。ノートに写しなさいとも指示します。一つずつ時代がずれていくのがわかるかね? と話しました。

ほかにもいろいろ話す。まあぜんぶテキストに載っていることばかりですが、音読するだけではつまらないので改めて「お話」の形式をとるわけです。そしてちょっとだけ質問してみる。日本最古の歌集は何だっけ?
古今和歌集と答えた子が複数いました。その場でですよ。けっしてできない子たちではない。しかし古今和歌集と答えました。奈良時代の歌集は何だっけ? と質問されたらおそらく万葉集と即答したのではないかと思います。

要するに勉強することに心がこもっていないのです。心というか魂というか、ちょっと違う聞き方をされるとすぐにわからなくなってしまう。魂がこもっていない証拠ですよ。
よくありますね。日曜日の試験の開始は午前10時だよと生徒に告げる。はいわかりましたと素直に答える。しばらくして「何時でしたっけ?」と来る。「10時だよ」「はい」さらに再び「試験、11時で間違いないですよね?」ととんちんかんなことを言ってきたりする。
きちんとメモしておかなくてもいいやという油断があるのです。

メモとかノートとか漫然と書くのではなく、心に刻みこむべきことを心には直接触れられない代わりにこうしていま紙に書いているのだという自覚を持たないといけない。そういう覚悟があまりにも希薄です。こういうことを注意するのは生活指導的な意味ではまったくありません。魂のこもった学習をおろそかにしていながら「自分は頭が悪い」と安易に嘆いたりする方が多いからです。そうではないですよ。魂をこめているかどうかだけです。

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著者プロフィール

長野正毅先生

Z会進学教室渋谷教室長。
80年代より小・中・高校生(大学受験生)の学習指導に携わり、
97年よりZ会の教室に講師として勤務。担当は国語。
受験国語にとどまらない確かな指導は、生徒はもちろん、保護者からの絶大な支持を集める。

30余年にわたる指導において先生が目撃してきた
できる子の学習法
できる子を育てる家庭の秘訣
について綴ったブログが大人気(日本ブログ村「高校受験」カテゴリーで1位)。
2015年にはブログの記事を集めた書籍「励ます力」を出版。