How the life of one shogunate official can help you have a more fulfilling life

9つの名を生きた幕臣―アバターが彩る江戸文化

 現在の日本の若者は、諸外国と比べて、自分自身に満足している、あるいは自分に長所があると感じる割合が半分に満たないという調査結果がある。*1 比較している欧米諸国と韓国の若者は 8 割近くが自己肯定感を持っている。日本の若者が自分を肯定しにくい原因の一つに、社会の様々な制約が上げられるだろう。
 今、夫婦別姓の是非が問われ、コロナウィルスに起因するテレワークが副業の可能性を広げつつある。それを阻んできた制約は日本の「伝統」と勘違いされることが多い。夫婦同姓は明治時代に、崩れつつある終身雇用は昭和時代に始まったに過ぎず、日本の長い歴史から見れば、どちらも「伝統」というより、むしろ例外だ。270 年続いた江戸時代を見れば、夫婦は別姓であり、人は今より多様な生き方を実現していたのである。

 多様な生き方の好例が大田直次郎だ。1749 年、彼は現在の東京都新宿区中町に生まれた。田沼意次が幕閣の一人(幕府高官)として頭角を表しつつあった頃、彼は 17 歳で父と同じ幕臣となった。直次郎は、幕府から禄(給料)をもらい、大田家とその家族の生活を守った。逆に、家を通じて幕府に管理されていたとも言える。

狂歌師”四方赤良”の人物画

 ところが彼には、大田南畝、四方赤良、蜀山人、寝惚先生、巴人亭、杏花園、山手馬鹿人、風鈴山人とういう 8 つの別名があった。彼はこの別名を、それぞれ異なる文化活動のために使った。大田南畝は著述家として知られた名前であり、四方赤良は狂歌、寝惚先生は狂詩を楽しむグループのメンバーとしての名前だった。8つの別名は直次郎とリンクしており、どの名前を使っても彼であると認識され、どの分野でも彼の才能は認められていた。
 つまり、別名は別人になるためのものではなく、自分の中にある複数の才能を表に出すために創られた分身、まさしくアバター*2 だった。アバターが活躍する世界は幕府の力が及ばない、自由な世界だった。彼のようにアバターを持つ生き方をした人は武士だけでなく、山東京伝というアバターで有名だった岩瀬醒のように町人もいた。

 法政大学の田中優子教授は、大田直次郎に見られるような江戸時代のダイバーシティ(多様性)を、現代社会と、そこに生きる人に役立てる研究を行っている。厳しい身分制社会というイメージが強い江戸時代は、人がその才能を存分に発揮するダイバーシティ(多様性)を持った社会だった。このようなアバターを持つ生き方は、若者の自己肯定感を増やし、その才能を開花させてくれるに違いない。

*1 内閣府『日本の若者意識の現状~国際比較からみえてくるもの~』ここでいう若者は 13~29 歳。
*2 インドのビシュヌ神が 10 の異なる化身を持つことに由来し、アバターとはその化身を指す。

 

田中優子教授(法政大学総長/社会学部・大学院人文科学研究科国際日本学インスティテュート教授)

専門は江戸文芸・文化、アジア比較文化。著書に『江戸の想像力』(筑摩書房、1986)、『近世アジア漂流』(朝日新聞社、1990)、『江戸百夢』(同前、2000)、共著に『江戸とアバター』(朝日選書、2020)がある。サントリー学芸賞、芸術選奨文部科学大臣賞ほかを受賞。2005年には紫綬褒章を受章。

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