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プラネタリウム・クリエーター 大平貴之さん(1)

大学在学中に、個人製作は不可能といわれていたレンズ投影式プラネタリウム「アストロライナー」を完成させ、世界を驚かせる。大学院在学中や、ソニーへの就職後もプラネタリウムの製作を続け、2004年には「MEGASTAR-Ⅱcosmos」がギネスワールドレコーズに認定された。現在もさらに進化を続ける大平さんのプラネタリウム作りは、実は小学校時代から始まっている。その情熱と原動力はどこから来るのか、お話をうかがった。
(取材・文=天神 春男)

わたしの原動力

プラネタリウムで人と人をつなぐこと
宇宙をテーマにして社会の未来を考えるきっかけを作ること
それがぼくの仕事だと思っています

ハードな理科少年

――大平さんはどんな子どもでしたか?

学校の勉強はあまりまじめではありませんでしたね。それより忘れ物が多くて、宿題があったことをまず忘れてしまうし、日常生活の、たとえば服を脱いだら片づけましょう、とか、食べ物をこぼさないで食べましょう、とかそういうことができない子どもだったんです。一方で、ぼくは理科実験へののめり込み方が少しほかの子と違っていたと思います。小学校低学年の時に植物を育てるのに夢中になりましてね、ヒマワリの芽が出たので大感激して、もう、そればっかり考えるんですよ。3年生くらいからは科学実験に興味をもつようになってきました。ちょうど理科の実験の本に科学実験のやり方が書いてあったんですよね。それで青写真といって、感光液を作って紙に塗って太陽の光で焼き付ける、あれをやってみたかったんです。それからどんどんエスカレートして、「なにかあったらどうするんだ」って言う両親や、「これは大人と一緒のときでないと、売ってはいけないんだよね」と言う薬局の人を口説き落として、なんとか科学実験で使用するさまざまな薬剤を手に入れました。「貴之君の知識だったらだいじょうぶ」って薬局の人にも太鼓判をおしてもらったので、ますます夢中になって試験管やらフラスコやら理科室のように器具を買いそろえ、自分の部屋のなかにズラーっと並べました。ちょっと変わったハードな理科少年、そんな感じでしたね。

――夢中になったら、とことん突き詰めるタイプだったんですね。

小学生のころのノート

はい。とにかく、いろんなことに興味がありました。基本は植物を育てる、鉱物、紙工作、写真、科学実験……、それと中学生の時にはアニメも作りましたね。テレビでやっているようなアニメを自分で作ってみたくて。それで中学校の美術室に8ミリカメラがあったものですから、それでいろいろセルとか買って、1コマ1コマ背景を描いて、動画を描いて……、全部で1000枚以上描きましたよ。それでアニメを作って文化祭で公開したのを覚えてますね。そのほか、学生時代は、ロケットの製作とプラネタリウムの製作にのめり込んでいました。

プラネタリウムと出合う

――プラネタリウムを作ろうと思ったきっかけは?

夜行塗料で作ったオリオン座(再現イメージ)

きっかけは科学館のプラネタリウムを見てきれいだな、と思ったこと。あれを見てから作りたくなったのか、もともと作りたくなってから見に行ったのか、よく順序を覚えてないんですが……。最初は、9歳のころ自分の部屋の壁に夜光塗料の星を貼ったんですね。夜光塗料を貼って部屋の電気を消すと、けっこうきれいに見えたんです。両親に見せるとまあまあ反応がよくて、それで、喜ばれるとうれしくなるもんですからどんどん星を増やしてね。部屋のなかをプラネタリウムみたいにして、親とか親戚とか友だちとかいろんな人を呼んで上映会をすると、みんなに喜んでもらえたんですよね。それまでぼくは学校の宿題はやってこないし、机の中はぐちゃぐちゃだし、人にほめられることってあんまりなかったわけです。ま、そんなもんかと思っていたんですけど、プラネタリウムだとみんながほめてくれる。これはうれしいわけですよ。これはいいな、ということでだんだんのめり込むようになっていったんですね。

――“みんなの喜ぶ顔”がプラネタリウム作りの原点になっているんですね。

小学生のころに組み立てた本の付録

そうですね。けれども、そのうち壁に貼った星は動かないので自分があきてしまって……。それで光で映し出すプラネタリウムをということで、ボール紙に穴をあけて中心の光源から星を映すという、本の付録を組み立ててみたんです。星は映ったんですが、像がくっきりせず、あまりきれいに見えませんでした。そこで、それを改良して自分なりの工夫を加えて、まあまあいいものが作れました。でも、科学館にあるプラネタリウムはレンズを使ったものなんですよね。それじゃあ、次はレンズで作りたいと思ったんですけれども、どこに聞いても「そんなものを素人が作ったなんて聞いたこともないし、とても無理だ」って言われる。なんとかしてできないもんかな、と考えて、レンズ工場に片っ端から電話したら、たまたまいい会社に出合って、余っているレンズを大量に分けてくれましてね。それで作り始めてみたんです。

小学6年生のころにかいた光学式プラネタリウムの設計図

無料で分けてもらったレンズは役には立ったんですけど、完成には至りませんでした。知識もなかった。とくに数学の知識がまったくなかったので、星の位置をどうやって計算していいかわからない。そういった意味で、原理はわかっていても、それを形にするお金や技術力がなかったんですよね。それで小学生のときはレンズ式のプラネタリウムを途中までは作ったんですが、これは生半可なことでは完成できないな、ということであきらめました。それから中学・高校へ進んでピンホール式プラネタリウムでどれだけ性能を上げられるか、というふうに、むやみに挑戦するんじゃなくて今できる範囲でベストを尽くそうという戦略に変えました。

――理科がちょっと好き、というのとはスケールが違いますね!

大学時代はレンズ投影式プラネタリウムに再び挑戦

――大学進学後もプラネタリウムの製作は続いたのですか?

はい。4年間かけて作ったんですけど、これもやはり最初専門家には「無理だ」と言われて……、でもどうしてもレンズ投影式プラネタリウムを作りたい、できないはずがない、と思いました。結局1年間大学を休学しまして、その甲斐があってレンズ投影式プラネタリウムが完成したんです。

このときの経験が今のぼくのプラネタリウムの基礎技術になっていて、大学時代の挑戦によって相当自分の技術レベルが上がりました。それまで電気回路って苦手だったんですけど、それが一通りできるようになった。大学の専攻学科は機械ですから電気は専門の勉強をやっていないんですが、それでも電気のエンジニアとして就職できました(笑)。

 

――大学で学んだことは役に立ちましたか?

役に立ちました。ぼくは日大生産工学部機械工学科だったので、電気に関しては、100%学校では勉強できなかったんで自分で勉強したんですけど、機械に関しては、材料力学とかいろいろと大学で教わったことが役に立ちました。授業を受けている時は何のことやら……という感じでも、プラネタリウムを設計するのに即戦力で役に立った知識が多かったですね。

 

 

⇒次のページに続く ソニー就職後、日本科学未来館にプラネタリウムが常設されるまでの軌跡を紹介します!

プロフィール

プラネタリウム・クリエーター

大平貴之 (Takayuki Ohira)

1970年、川崎生まれ。小学生の頃からプラネタリウムを自作し、1998年、従来の100倍以上の星を映すMEGASTARを発表。2004年、MEGASTAR-II cosmosがギネスワールドレコーズに認定。ネスカフェ・ゴールドブレンドのTVCMにも出演。セガトイズと共同開発した家庭用プラネタリウム「HOMESTAR」は累計115万台を突破。国内外施設への設置のほか、イベントプロデュースや音楽、アートとのコラボなど多方面で活躍。
受賞歴:日本大学優秀賞、川崎アゼリア輝賞、日本イノベーター大賞優秀賞(日経BP社)、BVLGARIブリリアント・ドリーム・アワード2006、文部科学大臣表彰(科学技術賞)
著書:「プラネタリウム男」(講談社現代新書)、「プラネタリウムを作りました。~7畳間で生まれた410万の星、そしてその後」(エクスナレッジ)

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