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チョークアーティスト 栗田貴子さん (1)

オイルパステルという画材を使って、黒板に色とりどりのイラストや文字をえがくチョークアート。ポップでおしゃれ、手がきならではの温もりが人気で、昨今、看板やメニューボードとして街のあちこちを飾っています。今回ズームアップするのは、そんなチョークアートを日本に広めた栗田貴子さんです。
今では全国を股にかけて大活躍の栗田さんですが、ここまでの道のりは厳しかった様子。でも「やめたいとは一度も思わなかった」とニコニコ笑います。そのエネルギー源とは!?
(取材・文=松田 慶子)

わたしの原動力

自分は楽しくて役に立つものを作っているという信念がある。
だからへこんでも立ち上がれるんです。

 

やり直しはできない! 緊張感と集中力が生む躍動感

――チョークアートとは、どのような絵画なのでしょうか。

オーストラリアやイギリス、アメリカなどで、看板に用いられることの多いアートです。もともと黒板にチョークでえがいていたことからチョークアートと呼ばれていますが、現在はオイルパステルという画材を使って、色鮮やかに絵や文字をえがきます。

オイルパステル

――では、黒板消しでは消えない?

黒板消しだけでなく、オイルパステルは消えない画材なので、やり直しはほとんどできないんです。それに色が濁るから修正もできない。
一度色をおいて、「もうちょっと赤いかな」などと色を混ぜていくと、どんどん汚くなるし絵に勢いとインパクトがなくなる。焼きたてのパンが3、4日目のパンになってしまうんです。一度かき出したら前に進むしかない。書道と似ていますね。
だから集中して臨まないと。大きい作品になると1日かかることもありますが、そのときはほとんど休みません。その緊張感も、制作の楽しみの一つです。

 

――制作はどこで?

小さいボードは沖縄のアトリエにこもってえがきます。大きいものや壁面にえがく場合などは、出張して現地で。設置される位置や照明によって見え方が変わるので、現場も確認したい。だから1年の3分の1は沖縄を離れています。先日は中国の北京にも出張しました。

――北京では、どんなお仕事をされたのですか。

自動車メーカーのお仕事で、エンジンを黒板にえがく様子を動画で撮影するというものでした。エンジンという最先端技術に、手がきのアナログ感を組み合わせることで、温もりをプラスするというねらいだったのだと思います。

生活の中で身につけた、生産し社会に貢献するということ

――もともと絵を勉強されていたのですか。

いえ、小さいころから絵は好きでしたが、習ったことはないんですよ。書道は好きで、小学2年生から短大卒業まで習っていました。

――どんなお子さんだったのでしょう。

一人でもくもくと絵をかいたりものを作ったりする子でした。障子のマス目全部に女の子をかいて(笑)、母に怒られたこともあります。
こだわりも強かった。今日はこれを着ると決めたら、それ以外は絶対に着ない。好きな理科の実験のある日は熱があっても学校に行く。着たい服がないなら自分で作ろうと、スカートやサンタさんの衣装を縫ったり、カバンを作ったり。
うちは、定額のお小遣い制ではなく、家庭内お給料制度だったんです。3姉妹だったので、お皿洗いやお米とぎ、お風呂洗い、肩もみなどの仕事を3人で分担し、担当になったら1年間毎日する。仕事をすると1日あたり10円~30円のお小遣いがもらえる。月末締めの翌月払い(笑)。そのお金を持って、絵や洋裁の材料を買っていました。

――お給料制度はユニークですね。

お米とぎを忘れると、お小遣いがもらえないだけでなく家族全員がご飯を食べられないんです。

――責任感が育ちますね。

実家が着物屋を営んでおり、両親は働くことで税金を納め社会に貢献できるという点で、商売に誇りを持っていました。
こんな家庭環境だったから、生活と働くこと、生産することが結びついていたし、自分がやりたいことは、自分で工夫し実現するということが当たり前でした。

留学先で出合ったチョークアート。チャレンジを決意

――チョークアートとの出合いは、大人になってから?

そうです。英語圏の文化に憧れ、短大時代に留学を決意したのですが、費用がかかるので、いったん就職しお金を貯めて、23歳でオーストラリアに語学留学しました。そのときに魚屋さんの看板を見たのです。当時は、鮮やかな色と触っても消えない不思議さが印象に残っただけでした。

――本格的に取り組んだのは?

帰国後に貿易関係の事務職に就いたのですが、どうにもつまらなかった(笑)。わたしはもともと作ることが好きなのに、ただ処理をするだけで何も生み出していないな、と。
それに、“自分は何にもチャレンジしていない”という焦りもありました。何かに挑戦したい、これだけはがんばったというものがほしい。そう考えたときに思い出したのが、チョークアートです。

――どんな点に魅力を感じたのですか。

まず、看板であることです。芸術として確立されたものなら、美術を学んだことのない自分には無理。でも看板ならわたしでもトライできるのではないかと。それに、子どものころから、商品をどう陳列し宣伝するとお客さんの注意を引けるのか、両親があれこれ工夫するのを見て育ちました。自分のかいた看板が、お店の役に立つという点が、自分に合っていると思ったのです。まだ日本に入っていないこと、またちょうどカフェが増え出した時期だったことにも背中を押されました。
それで28歳のとき、チョークアートを学ぼうと、再渡豪したわけです。

⇒次のページに続く 栗田さんがチョークアートを日本に広めた軌跡を紹介します!

プロフィール

チョークアーティスト

栗田 貴子 (Takako Kurita)

1971年、神奈川県生まれ。絵画、洋裁が大好きな子ども時代を経て、アメリカの雑貨に惹かれ海外留学を志す。短大卒業後、企業に就職し資金を貯めて95年、単身でオーストラリアに語学留学。チョークアートに出合う。99年、再渡豪しブリスベンの看板屋に弟子入り。チョークアートを学ぶ。2000年、日本初のチョークアート専門看板屋として事業を開始。徐々に注目が集まり出張教室も開催。03年日本チョークアート協会を設立。通信講座を開講。以降、著書「はじめてのチョークアート」(MPC刊)が韓国語に翻訳されるなど活動が広がる。07年に株式会社アーティチョークへ法人化し、代表取締役社長に。11年に拠点を沖縄に移すも、全国からの注文や講義の要望に応え飛び回る日々。

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