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スポーツキャスター 宮下純一さん(2)
2017.12.14
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「5回泳いで帰ろう」。目標を見事にクリアし、メダリストに
――北京オリンピックの代表選考会である日本選手権の100メートル背泳ぎで見事に2位に入り、派遣標準記録も突破して代表入りを決められました。夢に見たオリンピックの舞台はいかがでしたか?
コーチと決めたのが、「5回泳いで帰ろう」ということでした。個人種目である100メートル背泳ぎの予選と準決勝、決勝、そして、400メートルメドレーリレーの予選、決勝の計5回です。リレーのメンバーには、個人種目でより上位に入った選手が選ばれます。ぼくは背泳ぎの2番手として代表に選出されていましたから、1番手で選ばれていた森田智巳選手に個人種目で勝って、リレーのメンバーに入ってメダルを取るという目標で練習をしていました。
本番では、個人種目の準決勝の同じ組でぼくは日本記録を更新して決勝進出、森田選手は準決勝で敗退という結果となり、ぼくがリレーのメンバーに入ることになりました。決勝では、隣のレーンを泳ぐ世界記録保持者アーロン・ピアソル選手のペースに合わせてしまって、自分のレースができずにタイムを落としてしまったのですが。だから、リレーのときは絶対に隣を見ずに、自分の感覚を信じて泳ぐようにしました。
――メドレーリレーの泳ぎは、満足のいくものでしたか?
それが、記憶がないんですよね。ピストルが鳴ってからタッチするまで、まったく覚えていないんです。でも、あとから映像を見たら、コーチと求めてきた泳ぎができていました。無意識にでもできるくらい練習してきたので、その泳ぎを出せたんだと思います。個人として日本記録も出したし、ライバル選手にも勝ったし、メダルもとれて、満足度は120%でした。
――お母さまの反応はいかがでしたか?
オリンピックのあと、母と会えたのは鹿児島に凱旋したときです。ぼくが母にメダルをかけると、第一声が「あなたは、お風呂にも入れなかったんだよね」で。こういうときは「よくがんばったね」「よかったね」という人が多いと思うんですけど、母らしい第一声だな、と今でも覚えています。
引退後、選んだのはスポーツキャスターという道
――北京オリンピック終了後は、引退してスポーツキャスターの道を選ばれました。どのような理由からだったのでしょうか?
所属先と相談していた選択肢は、「現役続行」「引退して、社員としてマネージャー業に従事」「ホリプロのマネジメントのもと、スポーツキャスターとして活動」の3つでした。2カ月で結論を出せと言われて、いろんな人に相談して、いろんな意見を聞いたうえで、スポーツキャスターにチャレンジすることを決めました。
メディアに出ることって、だれにでもできることじゃないですし、一度しかない人生で人が経験できないことをできるチャンスはそうはありません。もともと北京後に引退するつもりでいたのも、25歳からセカンドキャリアをスタートさせれば、うまくいかなくても別のことに挑戦できると考えたから。1〜2年やってみて、合わなければほかの道に再チャレンジするつもりで決断しました。
――情報番組からスポーツ番組、語学番組まで、 幅広くご活躍されていますが、お仕事に臨むにあたって心がけていらっしゃることは何でしょうか?
「このコーナーを見ている人たちにより伝わりやすい表現のしかたは何か」ということですね。まずは、自分がいち視聴者として見たときに楽しめたり、気づきになったりするような言動・表現であるかどうか、それを番組や企画に応じて考えながら、ときにはスタッフの方に提案もして臨んでいます。
そうしてさまざまな形でぼくを知ってもらって、水泳に限らず、スポーツに興味をもって、スポーツをとおして学んでくれる子どもたちを増やせればいいなと思います。
――選手時代も今も、エネルギッシュに活動されている原動力は何でしょうか?
ひと言で言うと、「強くなりたい」という思いなのかなと思います。選手時代は「もっと速くなりたい、もっとタイムを縮めていきたい」という思いがぼくを練習に向かわせていましたし、今は、自分がまだ身につけていないものを吸収して、自分というものを少しずつ強くしていきたいという感覚があります。
この仕事って、同じことを二度やることはほとんどないんですよね。そのつど異なる相手と、シチュエーションに応じて、自分のもっているものなかから何を相手にぶつけていくかを考えて自分を出していかないといけません。そのための引き出しを増やすために、自分にないものを吸収して、自分に合うようにカスタムしていきたいという思いが強いですね。
小学生のお子さまをもつ方へ
――最後に、小学生のお子さまをもつ読者の方にメッセージをお願いします。
番組などを通じてさまざまなお子さまや保護者の方に接していると、お子さまにとっての宝を決めてしまう保護者の方が多いのではないかと感じることがあります。
自分にとっての宝は、自分自身で決めるものだと思うんです。たとえば、「オリンピックに行く」「オリンピックで金メダルをとる」「オリンピックではなく日本で一番になる」のどれを目標にしたいかは、一人ひとり違って当然です。それを保護者の方が決めてしまったり、目ざし方を手とり足とり教えてしまったりすると、子どもは、自分をもてなくなってしまいますし。宝の見つけ方も、探す楽しみもわからないままになってしまうのではないでしょうか。
だから、保護者の方々には、お子さまのサポート役として、お子さまが反応するものに対して「では、あなたはどうしたいの?」と問いかけ、お子さま自身が、自分にとっての宝に気づき、そこに向かうためのサポートをしていただくのがいいのではないかなと思います。
プロフィール
スポーツキャスター
宮下純一 (Junichi Miyashita)
5歳から水泳をはじめ、9歳のときコーチのすすめにより背泳ぎの選手となる。
その後、鹿児島県立甲南高校から筑波大学に進学し体育専門学群で保健体育科中高教員免許を取得。2008年北京五輪競泳男子100m背泳ぎ準決勝で53.69秒のアジア・日本新記録を樹立、決勝8位入賞。同400mメドレーリレーでは日本の第1泳者として銅メダルを獲得。その年10月に現役を引退。NHK「しごとの基礎英語」やTBS「ひるおび!」等にも出演し、さまざまな競技の魅力を伝えるスポーツキャスターを軸に活動中。