ブックトーク

『ハヤ号セイ川をいく』

世代を超えて読み継ぎたい、心に届く選りすぐりの子どもの本をご紹介いたします。

冒険の物語 『ハヤ号セイ川をいく』

フィリパ=ピアス作/足沢良子訳/E=アーディゾ―ニ絵/講談社/720円(本体価格)

400年前(!?)に祖先によって隠された宝物を探す少年二人の物語。彼らの冒険談は、代々その土地で暮らす人々が放つ強いエネルギーによって複雑に深化していきます。そして、考えるのは、やはり、人は人と関わる以外の生き方はできないというあたりまえの事実です。関わり方はまったくもって千差万別。無責任であったり、好意的であったり、噂好きであったり、我儘(わがまま)であったり。多くの川を有するこの地方独特の、しかし俯瞰すれば、縁を結ぶ彼らのふり幅は、時代を超えて私たちにもしみじみと味わうべき人間の熱を含んでいると感じるのです。そうした意味で、宝探しとは無縁の今の私にとっても大変おもしろい物語でした。

庭の桟橋に、ある日古ぼけたカヌーが漂着しているのを見つけたデビッド少年。上流のどこかの岸につながれていたはずのカヌーが、先だっての大水で流されてきたのだと知った彼は、カヌーで川をさかのぼり、そこで持ち主のアダム・コドリング少年と出会います。コドリング家は、このあたりでは大変な名家でもともと裕福な大地主だったのですが、現在はすっかり没落し、生活にも困窮していたのでした。老いて病に伏す祖父、全ての面倒を切り盛りする叔母との三人で古い屋敷に住むアダムは、夏休みが終われば、バーミンガムのいとこの家におくられることになっています。しかし、エリザベス一世の時代に生きたアダムの祖先ジョナサン・コドリングが隠した財宝が見つかれば、アダムはずっとこの土地で暮らせるのです。貧しい暮らしから脱却できるのですから。カヌーの修理を通して急速に仲良くなったデビッドとアダムは、秘密を共有することでさらに親交を深めていきます。

一編の詩を手がかりに、カヌー「ハヤ号」に乗って二人は川を巡ります。その描写は、他のピアスの作品と同様、つぶさに鮮やかで、合流する小さな川、ひなぎくの花やつる草や生え広がる牧草地、また古い教会や手入れされた個人の庭も、まるで二人とともに実際に見ているかのようにくっきりと清澄です。こうした精緻(せいち)な土地の描写力が土台となって、ここに住まう人間たちの生きてきた時間と感情の襞(ひだ)がリアルに立ち現れます。ある人とある事実が繋がったり、繋がるはずの出来事が全く無関係だったり。

物語の終盤、いよいよアダムがバーミンガムの親戚の家に行かされることになったとき、デビッドが二人の友情の証でもある「ハヤ号」を沈めようする場面では胸が締め付けられます。

   なにごとにも、ものごとには終わりがあり、人々は去っていくのだという感じがした。

もう、ハヤ号に乗って楽しい時をすごすことは、ないのだと思った。

ハヤ号は、一人の少年が一人きりで乗るボートではないのだ。―中略―

ハヤ号は、アダムとデビッドになれているのであって、そのほかの人では、だめなのだ。

   二人が、ハヤ号の船長なのだ。

自身の喪失の念とひたむきに対峙するデビッド。もしかすると大人は、目の前で起きたこと以上に、これから起きそうなこと、言葉や文字によって喚起される怒りや悲しみに足をとられ、本当に大切なものを見失ってしまうのかもしれません。デビッドの率直な悲しみは、私がつい忘れてしまいがちな静かな思索の時間――たとえそれが絶望と向き合う行為であっても――を身体に蘇らせてくれました。

物語はもちろんハッピーエンディングを迎えますが、その詳細は控えます。ただ、私が感じたのは、満たされて幸福でいるとき、人は神さまには出会えないということです。孤独やどうにもならない現実にぶちあたってもがいた者だけが、ふとそれに気づけるのかもしれません。細部まで描写し尽くす筆力が、そのまま書く対象に寄せる作者の愛情の深さにも感じられた一冊。ピアスのデビュー作でもあります。

 

プロフィール

吉田 真澄 (よしだ ますみ)

「国語専科教室」講師。子どもたちの作文、読書指導を行いながら、読む本の質と国語力の関係を追究。児童書評を連載するなどの執筆活動に加え、子どもと本に関する講演会なども行う。著書に『子どもファンタジー作家になる! ファンタジーはこうつくる』(合同出版)など。

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