ブックトーク
『ロッタちゃんのひっこし』
2017.2.9
5.4K
優れた子どもの本は、大人になった今も変わらずわたしたちの心に届く。世代を超えて読み継ぎたい、選りすぐりの作品たちをご紹介いたします。
子どもの心に寄り添う本 『ロッタちゃんのひっこし』
小学校低学年の子どもたちと「ロッタ」が主人公の本を数冊読んだとき、「ロッタ」より少し年上の彼らは「(ロッタちゃんは)わがままな性格、でもおもしろい子」「やるって決めたことは絶対にやるところがすごい」「気が強いのに泣き虫」などなど、口ぐちに主人公の性格分析を始めました。なかには、「自分のことしか考えていないからあまり好きになれない」とか、「もし自分の妹だったら少しいやだな」などのまじめな反発もあって、ああ、彼らはまぎれもなく成長の只中にいるのだなぁ、とわくわくしました。だってそうでなければ、こんなに真剣に主人公と向き合えないでしょう? たとえば、「くまのプーさん」シリーズを読めば、プーさんの間抜けな思いこみを笑う余裕が彼らには確かにあるのです。でも、対象が“少し年下の女の子”に変わると、かつての自分と比較し優位に立ったり、振り回される周囲の不安を慮ったりと、少しだけ切羽詰まった読み方になるのが、主人公をそれぞれの中で形作っているようで、読書とはまさに物語に参加することなのだ、と改めて興味深く感じます。
5歳のロッタは、「あたい、ひっこした かみくずかご のぞいてみな」という書き置きを残してバムセとともに家を出ます(「バムセ」とはロッタのいちばん大事なぶたのぬいぐるみです。もっともロッタは「ほんもののくま」だと思いこんでいましたが)。「かみくずかご」の中には、切り裂かれたセーターが無残に突っ込まれていました。ロッタの大嫌いな、あの「チクチクする」しまもようのセーターです。運良く、隣に住むベルイおばさんのものおきの二階を貸してもらえることになったロッタは、兄さん姉さんに見せつけたい思いも手伝って、実にかいがいしく準備を始めるのでしたが・・・。
わたしがこの物語を好きなのは、ロッタが“家出”ではなく“引っ越し”を試みたところに幼い人特有のしなやかな想像力を見るからです。その想像力には、目の前の困難すら突破できるほどのエネルギーが横溢しています。感受性の塊りのような主人公は、傷ついても、もちろん幼さ故にその理由には言及できません。必然的に、自分の心の中に吹き荒れる嵐と格闘するしかありませんが、その姿は、いっぱしの小さな哲学者にも見えてきます。ロッタにとって、世界は謎で満ち満ちているはず。それでも足を踏み出さずにはいられない前向きな生命力が、彼女の全身にぎゅっと詰め込まれているのです。
ひとりきりの夜に耐えきれず、ロッタが再び自分の“本当の”家に戻ったとき、パパは、「ロッタが また、うちへ ひっこしてきたよ!」とうれしそうに言い、ママはロッタをその腕にしっかりと抱きしめてくれました。肝心のロッタはといえば、涙に咽びながらも「ママ、あたい もう いっしょう、ママと いっしょに くらすわよ」と宣言します。この幸せな結末は、主人公の失敗の結果ではなく、彼女がこれから探求する新しい善きものへの着実な一歩なのでしょう。胸がすくようではありませんか。そうして、前へ進んでいくロッタの雄姿を祝福したい快さです。
泣きながら自分の理屈を通そうとする主人公に共感できなかったとしても、遠い場所に住む少し年下の――やっかいな――友だちみたいに、幼い読者たちに寄り添ってくれればいいなと願います。
プロフィール
吉田 真澄 (よしだ ますみ)
「国語専科教室」講師。子どもたちの作文、読書指導を行いながら、読む本の質と国語力の関係を追究。児童書評を連載するなどの執筆活動に加え、子どもと本に関する講演会なども行う。著書に『子どもファンタジー作家になる! ファンタジーはこうつくる』(合同出版)など。