ブックトーク

『やぎと少年』

世代を超えて読み継ぎたい、心に届く選りすぐりの子どもの本をご紹介いたします。

「生きる」について考える 『やぎと少年』

アイザック・B・シンガー作/M・センダック絵/工藤幸雄 訳/岩波書店/2,000円(本体価格)

物語は人の傷を癒すことも、命を救うこともできないけれど、それでも無能ではないはず――東日本を襲った大震災のあと、ある作家の方が、こんな趣旨のことを書いていました。この本の「まえがき」に記されたシンガーの言葉に触れ、ふとそれを思い出します。

 

過ぎ去っていく時間、その正体はなんなのだろう、そう思って首をかしげるのは、子どももおとなも同じです。―略―

過去とそれにまつわるさまざまな気持ちを思い出すうえに役立ってくれるもの、それが文学です。―略―

物語のなかでは、時間は消えない。人間たちも、動物たちも消えない。書く人にとっても、読む人にとっても、物語のなかの生きものは、いつまでも生きつづける。遠い昔におこったことは、いまもほんとうに存在する。

 

現実の世界では、“いま”も“ここ”も一瞬のうちに過ぎ去ってしまいます。そして、再び同じ地点に戻ることは決してかないません。でも、物語なら、もう一度そこへ降り立ち、以前とは別の視点で――もっと至近距離から、もしくは俯瞰で――その場所を見ることができるでしょう。特に、子どものために書かれた文学には、読むたびに発見と閃きを覚える深さと滋養を求めたいものです。

この本に収められた短編は七話。その中には、シュレミール(イディシ語で、すっとんきょうで滑稽な人)が主人公の寓話的スタイルのお話がいくつかあり、行動すればするほど悪循環に陥りながら、仕方ないなりに最善を尽くす彼らの奮闘が語られます。その姿はむろん滑稽ではありますが、どんな人の内側にもある愛すべき人間のふり幅が、個人的な手触りをともなって伝わってきます。決して強靭ではないけれど、いえ、むしろ脆弱(ぜいじゃく)でも、しぶとく世間を渡っていく、愚かで善良な人々の姿です。

最後の一編は、老いたやぎズラテーを肉屋に売りに行く途中、猛烈な吹雪に見舞われた少年アーロンのお話「やぎのズラテー」です。少年は、やぎに寄り添いその乳を飲んで嵐をのりきり生き延びますが、その過酷な三日間を、作者は丁寧で節度に満ちた語り口で描写します。あたかもシンプルな真実を浮かび上がらせようとでもするように。

私は、この短編で、二つのことを考えました。一つめは、些細な偶然に左右される運命について、そんな頼りない道程を手探りで進むからこそ、生きることはすばらしく尊いのだということ。もう一つは、言葉を持たない体に宿る崇高なたくましさについて。無垢だからこそ、そこに神さえも入り込めるのでしょうか。翻(ひるがえ)って、いつだって人間は人間の存在を越えられないのに。老いたやぎは、売られるために家を出る時、首に縄をかけられてさえ素直に人に従います。どんな状況におかれても、ブリザードのさなかであっても、長年共に暮らし世話をしてくれた人間を信じ、斉しく「めええええ」と応えるズラテー。それは、彼の「気持ちのすべて、愛のすべてを打ちあける」たった一つの言葉だから。

別の作品の中でシンガーは、「現在は、ほんの一瞬ずつだが、過去は一つの長い長い物語だ。物語を話すこともせず、聞くこともせぬ人たちは、その瞬間ずつしか生きぬことになる、それではじゅうぶんとはいえない――」と書いています。私たちは、ただ一つの理想の物語を生きているのではありません。どの地点からでも、幾通りのもの方法で、新たな航路を進むことがきっと許されているはずです。そして、無慈悲な蛮行や不条理がくり返される世の中であっても、ほほ笑む一瞬が確かにあり、自由な魂は、人知れずつつましく咲く――そんなふうに慰められた心地がして、センダックが描くモノクロの表紙絵をそっと指先で撫でました。

プロフィール

吉田 真澄 (よしだ ますみ)

長年、東京の国語教室で講師として勤務。現在はフリー。子どもたちの作文、読書指導を行いながら、読む本の質と国語力の関係を追究。児童書評を連載するなどの執筆活動に加え、子どもと本に関する講演会なども行う。著書に『子どもファンタジー作家になる! ファンタジーはこうつくる』(合同出版)など。

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