ブックトーク

『ゆくえふめいのミルクやさん』

世代を超えて読み継ぎたい、心に届く選りすぐりの子どもの本をご紹介いたします。

つかれたらひと休み 『ゆくえふめいのミルクやさん』

ロジャー・デュボアザン作・絵/山下明生訳/童話館出版/1,400円(本体価格)

表紙には、青く澄みきった大空のもと、一輪のデイジーを咥(くわ)えて寝ころぶミルクやさんその人が描かれます。制服のまま足をぶらぶらさせてくつろぐ彼の傍らに寄り添うのは愛犬シルビア。いい絵だなぁ、としみじみと惹かれるのは、ここに説明を加えるとしたら、“のどか”とか“悠悠”といった、力の抜けた言葉にしかならないからでしょう。デュボアザンといえば、農場を舞台に動物たちのあたたかい交流を描いた作品がいくつも思い浮かびますが、周囲と心を通わせ友情を育む幸せは、子どもたちのみならず、大人にとっても生きる上での大きなテーマにほかなりません。人間の「おとな」が主な登場人物となるこの作品は、テイストこそ少々異なるかもしれませんが、飾らない素の自分を肯定し、あくまでも自分らしく生きようとする主人公の姿が、他のデュボアザンの物語と共通していると感じました。

主人公のミルクやさんの仕事は、町中にミルクを配達してまわること。顔見知りになった奥さん方たちとの会話といえば、毎朝毎朝、あたりさわりのないお天気の話ばかりです。たとえばこんなふうに―。

 

 

「けっこうな お日よりだわね。そうでしょう?」

「そうですとも、ピアニイおくさま。まったく けっこう」

かとおもえば、

——中略——

「はっきりしない 晴れかたね。雨になるのかしら?」

「そのようですね、ラークおくさま。晴れのつぎは 雨ですから」

かとおもえば、

——中略——

「ミルクやさん、今日のお天気 お気にめして? あつすぎないこと?」

「どんな天気も まずまずですよ、ロビンおくさま。そういうもんです」

 

こうしてお天気のあいさつを繰り返しながら、いつもの道を行ったり来たりする毎日に飽き飽きしたミルクやさんは、ある朝、とうとう配達を放棄し、来たこともない森へと車を走らせます。愛犬シルビアと共に、いきあたりばったりの陽気な旅です。湖で魚を釣り、ブルーベリーやブラックベリーを摘んで、「さいこうの」食事を楽しむ二人(一人と一匹)。自由を満喫する彼らの毎日は、この作家ならではのスマートな色彩と均整のとれた構図で美しく描き出されます。森のみずみずしい緑や、波を湛(たた)えた湖面はもちろん、カラフルな家々が行儀よく建つ都会の町並みや小さなバンまでが、この作家の手にかかれば舞台装置のようにキュートで表情豊かです。あくまでものんびりとした、ともすると散漫な印象さえ覚える物語ですが、この洒落た絵の力に助けられ、心地好く読者を充足させます。

配達をやめて旅に出てしまうという決断も成り行き任せなら、帰ると決めた時も、その気構えはゆるやかで事も無げです。ミルクやさんの気まぐれな旅をただ淡々と描くストーリーには、仰々しいしかけも大げさなアクシデントもありませんが、かわりに、気さくなユーモアがそこここに綴られています。疲れた大人に向けて著された一冊ではむろんないにしろ、満天の星空を仰ぎ見たり、広大な草地で深呼吸をしたりする主人公のご機嫌な爽快さは、生きることに凝り固まっている大人こそ味わうべき気分転換——本の中の世界とはいえ——なのかもしれません。

プロフィール

吉田 真澄 (よしだ ますみ)

長年、東京の国語教室で講師として勤務。現在はフリー。読書指導を行いながら、読む本の質と国語力の関係を追究。児童書評を連載するなどの執筆活動に加え、子どもと本に関する講演会なども行う。著書に『子どもファンタジー作家になる! ファンタジーはこうつくる』(合同出版)など。

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