ブックトーク

『すんだことは すんだこと』

世代を超えて読み継ぎたい、心に届く選りすぐりの子どもの本をご紹介いたします。

くよくよしないで逞(たくま)しく 『すんだことは すんだこと』

ワンダ・ガアグ再話・絵/佐々木マキ訳/福音館書店/1,000円(本体価格)

まず、題名がとてもいい。過ぎてしまったことにくよくよしやすい性質(たち)のわたしは、ひと目でこの本にひかれてしまいました。「すんだことはすんだこと」とは何とも潔い響きです。迂闊(うかつ)な自らを省みて悄気(しょげ)てしまったとき、この言葉をつぶやいてみると、わだかまっていた心がふっと楽になることもしばしばで、言葉の力とは実に侮りがたいものだと感じます。

さて、物語のなかでこの言葉を繰り返すのはおひゃくしょうのフリッツルです。毎日「のらしごと」にでかける彼は、「おとこのしごとが、どんなもんか。おまえさんにゃわかっとらんよ! ところで、おまえさんのほうのしごとときたら、まったく、らくなもんじゃないか」などと家事全般を受け持つおかみさんのリージーを詰(なじ)ります。そんな彼に、リージーは仕事の「とりかえっこ」を提案するのでしたが……。

ノルウェーの民話に「家事をすることになっただんなさん」というこれとそっくりなお話がありますが、本書の前書きによると、これはボヘミア地方に古くから伝わる話だということですから、このような笑い話は、きっとヨーロッパ各地の農村で語り継がれていたのでしょう。テンポのよい語りを重視する昔話では、登場人物たちは内面をもたないのが普通です。しかし、絵本『100まんびきのねこ』などで有名なワンダ・ガアグの再話は軽妙で、そのはずむような語りに、のんきもののご亭主と堅実なおかみさんという性格づけがユーモアを加えています。

定石どおり、フリッツルの家での仕事は失敗に次ぐ失敗。なにひとつうまくいきません。しかし、それでも——地下室がりんご酒に浸かろうとも、娘のキンドリがバターとクリームで全身べとべとになろうとも——少しも悪びれることなく例のセリフを言ってのけるフリッツルなのです。「しょうがない。すんだことは、すんだことだ」。このおおらかさにはほとんど敬服してしまいますが、何といってもすてきなのはおかみさんのリージーのほうです。仕事の大変さを愚痴る亭主に家事を任せてみるのも英断なら、その結果どれほど家の中が無残に荒らされようとも、その事態の収拾も含め、まるごと引き受ける寛闊(かんかつ)さを有した女性です。してみると、端(はな)から、リージーにはことの顛末(てんまつ)が読めていたのかもしれません。リージーが「のらしごと」から帰ってきたとき、フリッツルはスープの入った鍋の中で手足をばたつかせていましたが、そんな亭主をすばやく助け出したリージーは、それでもこんなふうに亭主を励ますのです。

「はじめは、ちょっとたいへんだけど」おかみさんはいった。「でもあしたは、あんた、もっとうまくやれるかもしれないよ」

この申し出を、もちろん必死で断ったご亭主のフリッツルは、もう二度と家事を軽んじるような発言をしないと約束します。それを聞いたリージーの最後のセリフがまた振るっているではありませんか。

「そうだねえ」と、おかみさんがいった。「そういうことだったら、あたしたちもきっと、なかよく、しあわせにくらしていけるねえ」

生きるための知恵とは、きっとこんな人物から学ぶのでしょう。くどくどと文句をつける亭主には一日家事をやらせてみるべし——しかし、それは、同時にやらせる側の度量の大きさをも試されるのだと肝に銘じておかなくてはならないのかも……?

プロフィール

吉田 真澄 (よしだ ますみ)

長年、東京の国語教室で講師として勤務。現在はフリー。読書指導を行いながら、読む本の質と国語力の関係を追究。児童書評を連載するなどの執筆活動に加え、子どもと本に関する講演会なども行う。著書に『子どもファンタジー作家になる! ファンタジーはこうつくる』(合同出版)など。

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