ブックトーク

『キツネどんのおはなし』

世代を超えて読み継ぎたい、心に届く選りすぐりの子どもの本をご紹介いたします。

シビアで可笑しい生きものの世界『キツネどんのおはなし』

ビアトリクス・ポター作・絵/石井 桃子訳/福音館書店/700円(本体価格)

クライマックスに向かってじわじわと加速していく熟達の筆は、講談のようにつるつると滑らかでいながら、一言一句に凝らされた意匠の手応えを感じさせます。ポターの作品になじみ深い読者には言わずもがなの補説でしょうが、野生動物が生き延びるための知恵と執念が、簡潔にして豊かな言葉で語られていくのです。厳しい自然界の摂理を土台に据えたファンタジーと、写実的な本物の素描。動物たちはみな服を身につけてはいますが、その肢体は骨格から正確にデッサンされ、多彩な絵の具で濃淡を醸した森や古い家々といったリアリスティックな背景とも一体を成しています。相好を崩さない無表情な彼らは、しかし描かれる角度や口の開け閉めによって、内面をほんのりと顔ににじませるのです。だけど、それ以上の擬人化もセンチメンタルな脚色もありません。弱肉強食という不寛容な舞台では、ウサギは常にキツネやアナグマの脅威におびえ、もちろん気を抜けば命の保証はないのです。本来は勧善懲悪もハッピーエンドもない冷厳な動物たちの生態を、おかしみとドラマ性を加味した明晰な筆致で描き出します。

 

 わたしは、これまで おぎょうぎのいいひとたちのおはなしばかり かいてきました。そこで、こんどは 気をかえて、ふたりの いやなひと――アナグマ・トミーとキツネどんのおはなしを かいてみようとおもいます。

お話の冒頭から、捕食者である彼ら――アナグマ・トミーとキツネどん――の好もしくない容貌や、不粋なたたずまいが、これでもかと繰り出されます。しかし、どれだけ「いやな」やつらだと書き連ねても、きびきびとした語りには気品が漂い、毅然たるテキストは、決して卑俗に流れません。

さて、狡猾だけれどどこか間抜けなキツネと、ものぐさでいながら計算高いアナグマ。その全ての行動をアナグマに見抜かれていることを知らず、キツネは懸命に、アナグマにひと泡吹かせるための、準備を進めます。ロープをくわえてうつむく姿が、忠犬のように健気にも見え、つい読者の頬も緩んでしまいそうです。一方、慇懃(いんぎん)に眠ったふりを貫くアナグマは、だらしなく開いた口元にも余裕が感じられます。動物たちはにこりともしませんが、ひとつずつのエピソードを丁寧に扱うことで、そこにかかわる彼らの気質がおもしろいほど透けて見えます。そう、私たちのすぐそばにいる誰かにもあてはまりそうな、そんな親近感さえ覚えるのです。もちろん、それは、悪役のこの2匹に限りません。まんまとアナグマにしてやられるやもめのじいさんウサギも、さらわれた小ウサギを奪還すべく敵地に乗り込むベンジャミンやピーターも、立派なパーソナリティーの持ち主なのです。

ポターが紡ぎだす世界は、どの絵本のそれとも違う静かな迫力をたたえています。生きることを語るためには死を避けられないし、美しいものを表現するためには悲しみから逃げられません。ポターに限らず、「児童文学」という範疇を越えて読み手の心を捉え続ける作家たちは、そうした独自の深みを意志としてもっていると感じます。それぞれの領域で懸命に生きる動物たちと同様、出来事にだって堂々と個性があって、まったく同じことなど起こり得ないのです。そのひとつひとつを象(かたど)った彼女の作品を読んでいると、先を予測できない私たちの日常にも、であるからこその自由が斉(ひと)しく存在しているのだと気付かされます。

プロフィール

吉田 真澄 (よしだ ますみ)

長年、東京の国語教室で講師として勤務。現在はフリー。読書指導を行いながら、読む本の質と国語力の関係を追究。児童書評を連載するなどの執筆活動に加え、子どもと本に関する講演会なども行う。著書に『子どもファンタジー作家になる! ファンタジーはこうつくる』(合同出版)など。

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