ブックトーク

『リベックじいさんのなしの木』

世代を超えて読み継ぎたい、心に届く選りすぐりの子どもの本をご紹介いたします。

美しい木版画が印象的な叙事詩絵本『リベックじいさんのなしの木』

テオドール・フォンターネ 文/ナニー・ホグロギアン 絵/藤本 朝巳 訳/岩波書店/※版元品切れ重版未定

本を開いて、まず目を奪われるのは金色の無数のなしの実。見開きいっぱいに描かれたそのひとつひとつは、微妙に異なったかたちをしていて、無骨ながら輝くようにおいしそうです。
ページをめくっていくと、余白を大きくとった見開きが続くためか、物寂しい気配も漂います。でも、木版画の素朴な美しさが一冊の本全体に湿度を与え、そのしっとりとした手触りが、主人公リベックじいさんの穏やかな人生を語るにふさわしく感じます。表紙のおじいさんの柔和な表情とともに、読者の心をくつろがせるのです。

ハーフェルラントの あるむらに、
リベックじいさんが おりました。
リベックじいさんの やしきには、
なしの木が いっぽん ありました。
あきになると きんいろの なしが みのり、
あたりいちめんに ひかりかがやいたそうです。

秋になると、ずっしり実をつけるリベックじいさんのなしの木の周りには、いつも子どもたちが遊びに来ています。男の子には「なしを ひとつ、いかがかな」、女の子には「さあ おいで。なしを ひとつ、めしあがれ」とやさしく声をかけるおじいさん。そんなおじいさんが亡くなったとき、村は深い悲しみに包まれたのでした……。

物語は、ドイツのハーフェルラントという土地を舞台にした、テオドール・ファンターネの叙事詩。ファンターネは、1819年ドイツ生まれの詩人で、昨年、ちょうど生誕200周年を迎えました。ドイツでは著名な彼の詩は、学校の教材として世代を越えて親しまれているそうです。原文を確かめてみると、ドイツ語には不案内な私でも、リズミカルで言葉が弾むように響くのがわかります。この心地好さが邦訳では得られないのは残念ですが(もちろん仕方ありませんが)、訳者は、「詩の形式にとらわれず、内容を伝えるように」つとめられたとのこと。語りはいたってシンプルで、複雑な要素は加えられていません。

アルメニア系アメリカ人のナニー・ホグロギアンによる絵は、どの場面も、人物はほとんど黒一色で描かれます。黒いシルクハットに黒い縞のシャツ、小粋なおじいさんの手には、いつでもおひさまのような橙色のなしが握られています。彫りの深いやさしい笑顔です。全体をとおして、テキストより絵の情報量が圧倒的に多く、物語の抑揚が、色数を押さえた端整な木版画によって静かに、けれど印象的に描かれていきます。葬儀の朝は、真っ黒に塗りつぶされた人々と傘の群れで陰鬱な空気を伝え、高くなった秋の空は、淡い水色を筆でさっと刷いたようにさわやかです。そして、メインとなる黄金のなし。これだけの少ない色で、物語に奥行きと濃淡を加えた仕事ぶりは見事です。

ホグロギアンといえば、アルメニアに伝わる民話を題材にした『きょうは よいてんき』で1972年のコールデコット賞を受賞していますが(邦訳は1976年)、『リベックじいさんのなしの木』は、その3年ほど前1969年に米国で出版されています。邦訳版は2006年ですので、日本で紹介されるまでに40年かかりました。ホグロギアンが描く人物や動物たちの表情には、のんびりとした陽気さが浮かんでいて、あくせくしたところがなく、こちらまで笑顔になってしまいます。そんな彼女の作品が、今世紀になって新しく翻訳されたことを改めてうれしく思いました。

プロフィール

吉田 真澄 (よしだ ますみ)

長年、東京の国語教室で講師として勤務。現在はフリー。読書指導を行いながら、読む本の質と国語力の関係を追究。児童書評を連載するなどの執筆活動に加え、子どもと本に関する講演会なども行う。著書に『子どもファンタジー作家になる! ファンタジーはこうつくる』(合同出版)など。

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