ブックトーク

『ゴールデン・バスケット ホテル』

世代を超えて読み継ぎたい、心に届く選りすぐりの子どもの本をご紹介いたします。

舞台はベルギーの老舗ホテル!『ゴールデン・バスケット ホテル』

ルドウィッヒ・ベーメルマンス 作/江國香織 訳/
BL出版/本体価格1,500円(税別)

この140ページあまりの物語を読み通して思うのは、やはり読書とは体験なのだなぁ、ということです。だって、歴史ある「ゴールデン・バスケットホテル」も、運河に囲まれたブルージュの街並みも、本を閉じてなお、頭の中にすっきりと再現できるのですから。文字の連なりから立ち上げた風景は、あらすじよりも、むしろずっと記憶に残るのかもしれません。もちろん風景だけではなく、たとえば、ホテルの“メートル・ド・テル”ムッシュ・カルヌヴァルの律儀な仕事ぶりや、ホテルの経営者兼シェフのムッシュ・テール・ムランがいかに料理を愛しているかなど、登場人物たちそれぞれの人柄もそうです。持ち物や習慣、勤務態度や人との関わり方をひとつずつ丁寧に扱うことで、その人たちの姿がくっきりと浮かびあがります。

ところどころに冗長とも思える説明的な箇所もありますが、そんな感想をいだいた直後には、さらりとユーモアを効かせ、香りや気配などの表現を重ねながら物語は動いていきます。そう、このお話の魅力は、細部が生き生きと語られていることです。ホテルの客室から食堂、屋根裏部屋(経営者の小さな息子の部屋です)まで、それから、ベルギーの「水の都」とも呼ばれる運河の街の隅々まで、ひとつひとつ丹精込めて描きます。クラシカルな建物の説明は、たとえばこんなふうです。

 

建物はとても古くて、両隣と真うしろを、べつな建物に囲まれていなかったら、とっくに崩れ落ちていただろう、と思われるほどでした。
長年にわたって役目を果たし続けてきたこの建物は、大きな肘掛け椅子に納まったくたびれた人のように、
正面以外の三方を、べつの建物に囲まれています。

 

主人公は三人の子どもたち。ロンドンから父親とともにやってきたセレステ・メリサンド姉妹、そして、ホテルの経営者の息子ヤンです。夜遅くにホテルへ到着した姉妹が、初めて見る夜明けのブルージュの街からお話はスタートします。「深い青色」に包まれた塔や切妻や石畳は、やがて「最初のお日さまの光」によって、まずは赤色に変わり、そのうちに家々を、緑や紫やオレンジなど「ともかく持ち主が塗ったままの色」に染め直すのです。訪れたことのない「ゴールデン・バスケットホテル」からの眺望を、デジャビュのように読んでしまうのは、

初めての体験をするたび、この世の真実に触れたような感動がこみ上げた記憶を、誰しもが持っているからかもしれません。行けないはずの場所が近づく瞬間が幾度もあって、語られた風景が、自分にも見えるような心地が幾度もしたのでした。

ルドウィッヒ・ベーメルマンスといえば、やはり、フランス・パリを舞台にした「マドレーヌ」シリーズが有名です。シリーズ第一作め『げんきなマドレーヌ』を世に出すちょうど三年前の1936年に『ゴールデン・バスケットホテル』を出版しています。ところが、『ゴールデン・バスケットホテル』にも、マドレーヌが登場するのです。それもかなり重要な役として主人公たちと出会うので、読者には思い掛けない嬉しさでしょう。

1898年にオーストリアで生まれた作者ですが、かなり切迫した紆余曲折を経て、アメリカの名門リッツカールトンホテルに職を得ます。老舗ホテルの詳細な描写力の源は当然この経験からくるものでしょうが、そこに集う人々への精巧な視点も、ここで培われたのでしょうか。あるがままに具体的に、それでいて、たしなみある慎ましさを感じさせる文体。絵だって、悪びれず見たままを描いたのびやかさのなかに、洗練があります。本のカバーを外してみてください。鮮やかな朱色に一羽の白鳥が描かれていて、大人にこそ手に取って欲しい素敵な装丁になっています。

プロフィール

吉田 真澄 (よしだ ますみ)

長年、東京の国語教室で講師として勤務。現在はフリー。読書指導を行いながら、読む本の質と国語力の関係を追究。児童書評を連載するなどの執筆活動に加え、子どもと本に関する講演会なども行う。著書に『子どもファンタジー作家になる! ファンタジーはこうつくる』(合同出版)など。

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