ブックトーク
『うみべのおとのほん』
2021.7.8
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世代を超えて読み継ぎたい、心に届く選りすぐりの子どもの本をご紹介いたします。
はじめて聞く音、はじめての夏の海『うみべのおとのほん』
マーガレット・ワイズ・ブラウンという作家が、ごく幼い――本を楽しみ始めたばかりの――子どもの本の創り手として一流であることは言うまでもありませんし、その年齢の子どもたちが、たっぷりとこの”The Noisy Book“シリーズ(『うみべのおとのほん』『なつのいなかのおとのほん』他シリーズ7冊)を満喫するのは確かなことです。彼らは、主人公の犬マフィンといっしょに、身の周りにあふれる音を興味深く聞くでしょう。そして、初めて海を前にしたマフィンの驚きをともに感じるかもしれません。抑えた色数ですっきりと整えられた画面は、大人の読者にとっても新鮮です。
さて、家族と一緒に大きなセイルボートに乗って「うみ」を体験したマフィンです。
うぴゃあ うぴゃあ うぴゃあ?
なんでしょう?
しろいとりたちが そらをとんでいきます。みずのうえをとおりすぎる、こんなおともきこえました。
たったったったったったったったっ
なんでしょう?
シリーズの他の本と同様、音の主は常に絵に描きこまれていますから、子どもたちはそれを指さしながら楽しむはずです。ボーダーシャツを着て、絵筆で跳ね上げたようなひげを蓄えた船長さんも、オレンジ色の船体に真っ白な帆をたてたボートも、愛らしくて、マフィンのウキウキとした気持ちが伝わってくるようです。
“海”が舞台の話なのに、ブルーが使われていないのは少し不思議かもしれません。ブルーといえば、昼寝をするマフィンを乗せた、表紙に描かれる小さな手漕ぎボートの群青色のみです。(この群青色は表紙にぴりっと効いています。)でも、ミントグリーンの海は、さわやかな潮風がにおいたつようですし、何より、デザインとして洗練されています。ほどよく斬新で、印象的です。
この本で、マフィンが聞き分ける最後の音。それは乗っているボートの近くで突然聞こえた「ざぶん」という大きな音でした。「セイウチが、ぶるんとヒゲをふるわせた」音でも、「タツノオトシゴがはねた」音でもないその音は……何と、マフィンが海に落っこちた音だったのです。緑色のしぶきをばしゃばしゃとあげて、必死で泳ぐマフィンを船長さんが助け出します。「やあ!やあ!―中略―こんどは、いぬがつれたみたいだ。」と言いながら。のどかな口調に、気持ちもほのぼのとやさしくなります。こんなぐあいに、マフィンが全身で海を味わったところで物語も終わりです。
読者である子どもたちにへつらうような、毒々しい色づかいや陳腐な言葉の羅列は、いっさい見られません。子どもの感得力を信じているからこそ、こうした絵本づくりができるのだと、その徹底した仕事ぶりには敬服するばかりです。テリアの仔犬マフィンを主人公に据えながら、甘ったるい語りを押さえ、きびきびとリズミカルに物語が進行するのも心地よく、言葉と絵がまさに一体となってできあがった、アーティスティックな世界を感じることができます。たとえばディック・ブルーナの作品(『ちいさな うさこちゃん』他)のように、幼い子どもたちに向けて書かれた一冊でも、単純なストーリーと一見簡略なデッサンでも、優れた作家の手腕を存分に堪能できる絵本は数多くあるのです。
プロフィール
吉田 真澄 (よしだ ますみ)
長年、東京の国語教室で講師として勤務。現在はフリー。読書指導を行いながら、読む本の質と国語力の関係を追究。児童書評を連載するなどの執筆活動に加え、子どもと本に関する講演会なども行う。著書に『子どもファンタジー作家になる! ファンタジーはこうつくる』(合同出版)など。