ブックトーク

『ずどんと いっぱつ すていぬシンプ だいかつやく』

優れた子どもの本は、大人になった今も変わらずわたしたちの心に届く。世代を超えて読み継ぎたい、選りすぐりの作品たちをご紹介いたします。

居場所を選び取る 『ずどんと いっぱつ すていぬシンプ だいかつやく』

ジョン・バーニンガム 作/渡辺 茂男 訳/童話館出版/1,400円(本体価格)

ジョン・バーニンガムの作品といえば、華奢な線と筆でさっと刷いたような淡い色彩を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。今回ご紹介するこの絵本の表紙を見ても、同じ作家の手に成るものだとは信じられないかもしれません。しかし、1963年のデビュー作『ボルカ』から1966年のこの絵本までは、太くがっしりとしたデッサンとコクのある油絵のような色遣いが特徴の作品(1964年に『バラライカねずみのトラブロフ』、1965年に『はたらくうまのハンバートとロンドン市長さんのはなし』)があい次いで発表されています。1970年代に入ってからつくられた、どこかシニカルでひねりを効かせたようなストーリーではなく、誠実に人生を語る、単純で、しかし、あたたかなストーリー。バーニンガムは息の長い作家ですから、この4作以降の作品のほうがむろんずっと多く、また日本でも人気が高いのですが、わたしは、断然、この4作を推します。主人公たちは、みな恵まれた環境にはありません。にもかかわらず、生きる姿勢はどこまでもまっすぐでひたむきです。とくにこの『ずどんといっぱつ』では、主人公の雌の子犬が飼い主から無慈悲にも(ゴミ捨て場に!)捨てられる場面から始まりますから、せつなさはひとしおでしょう。

幼い人向けの本には、不足なく喜びが語られていなければなりません。それは、安っぽいおざなりなものではむろんなく、読者である子どもたち一人ひとりが、まるごと自分の人生を肯定できるような深い喜びであってほしいと考えます。信頼していた人に裏切られても恨んだりくさったりせず、優しい人にめぐり合い、自らの居場所を選び取った主人公シンプ。わたしはこの絵本を読むたび、彼女の雄姿を讃えるのはもちろん、彼女が求め行き着いた幸福が、穏やかに当然のように続いていく、という物語の閉じられ方に感動を覚えます。

迫力ある構図は、ときに遠近法さえ無視する勢いで、描きたいものを描きたいように描きたい順番で描いたといわんばかり。冒頭、シンプを残して走り去る黒いバンを見送るシンプは頭でっかちのぶかっこう。でも、小さく開かれた目には哀愁が宿っています。夜の場面が多いせいか(そして、主人公が黒い子犬なので)、全体的に黒っぽい画面が多いのですが、少しも暗くならないのは、その“黒”が、濃密に色を重ねてできた色だからなのでしょう。シンプが捨てられたゴミ捨て場も、苔むしたような茶褐色で塗られてはいるものの、コラージュを思わせる無造作な美が感じられ見ごたえがあります。シンプに襲いかかるネコは見開きいっぱいに描かれ圧巻だし、木立ちの中を全速力で走って逃げるシンプを追ったページは抽象画のようです。力強く男性的な色彩の中で、透明感のある月を目だたせて描いているのも印象的。つまり、どの絵も、ストーリーの説明という次元をはるかに超えた、ずっしりと持ち重りのする愉しさで満ちているというわけです。

前述の4作品すべてに言えることですが、本を開いていると、底辺に生きる人々や動物に目を届かせた作者の、頼もしい、しかしどこか飄々とした肉声が聞こえてくるような心地がします。喜びには抑制が効き、甘ったれた表現はないのに、読後感はいつもしみじみと幸せです。特別なことなど何も語っていない、といった飾り気のない善意が胸を打つバーニンガムの初期の作品を、ぜひ一度手に取ってみてはいかがでしょうか。

プロフィール

吉田 真澄 (よしだ ますみ)

「国語専科教室」講師。子どもたちの作文、読書指導を行いながら、読む本の質と国語力の関係を追究。児童書評を連載するなどの執筆活動に加え、子どもと本に関する講演会なども行う。著書に『子どもファンタジー作家になる! ファンタジーはこうつくる』(合同出版)など。

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