ブックトーク
『みどりのスキップ』
2022.4.14
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世代を超えて読み継ぎたい、心に届く選りすぐりの子どもの本をご紹介いたします。
春 うたかたの出会い
ささやかな日常を舞台にした物語の数々から伝わってくるのは、きっと、孤独が作者の想像する力を育んだのだということ。だから、安房直子という作家は、大人の読者にこそ好まれるファンタジーの創り手だと私は考えていました。明るくユーモラスな場面にも、その奥底に沈んだ哀しみを見つめる作者のまなざしを感じてしまうからです。ききょうの花で染めた指で窓をつくってのぞけば、そこに温かい思い出がよみがえる『きつねの窓』も、ひろげると、小人たちがその上でお酒をつくる不思議なハンカチを手に入れた夫婦のお話『ハンカチの上の花畑』も、思い掛けず迷い込んだ奇しい世界で光を見出そうとする人々の姿を語ります。幻想的で美しいのに、ちょっとせつなくて、時に怖くもある。それが、この作者に懐いていた私の感想でした。
一面に桜を散らした薄桃色の表紙に引き寄せられ、この『みどりのスキップ』を手に取った時、ですから、少し意外な気持ちがしました。表紙の、丸く両目を見開いたみみずくは精巧に描かれているのに、生々しさはなく、やさしい姿をしています。ページをめくっていくと、和紙に絵の具をにじませたような日本画のたたずまいと、東欧の民芸品を思わせる素朴で愛らしい動物たちが穏やかに画面に調和しています。春から初夏へ、生命のエネルギーが横溢(おういつ)する新しい季節の意味を感じられそう――小学生たちとこの本を読んでみようと私はその時考えたのでした。
満開の桜の木の下にちんまりと座る女の子は「花かげ」と名乗りました。花が散ったら消えてしまうという彼女を護るために、今年の桜は決して散らさないと決意を固めたみみずくは、朝も夜も、ずっと見張りを続けます。風も雨も、お花見に来たきつねの親子だって追い返しました。だけど、ある日、「トット トット トット トット」と誰かが林に入ってきたのです……。
低学年の子どもたちとこの本を最後まで読んだとき、「また来年も(花かげちゃんに)きっと会えるよ!だから悲しくならないで」とみみずくに呼びかけた男の子がいました。“また来年も会える”って、いい言葉です。特別なイメージが強い春だけれど、本当は、それぞれが体験したことの自然な続きでしかなく、それを知ることで、きっと自分も新しくなれるのでしょう。そして同時に、別離の悲しみは、その誰かを(何かを)強く思った証なのですから。
「みどりのスキップ」が桜林になだれこんできたとき、作者は、その初夏の気配をこんなふうに語ります。
このとき、ふしぎな風が、ふいてきたのです。とてもながい足をした銀色の風でした。この風が、すてきなにおいをはこんできました。
うめの実のにおいでした。ばらのにおいでした。くちなしのにおいでした。やまゆりのにおいでした。
声に出してこの文章を読んでいると、鼻の奥がつーんとしてきます。心細い綱渡りの日々を経て、みみずくの努力が水泡に帰したからではありません。何があっても――地上で生きるものたちの思惑がどうであれ――季節は必ず巡ってゆく、というその事実に胸を打たれるのです。天変地異や未曽有の災害を前にすれば、この思いはさらに深まっていきます。だから、「来年もきっと会える」という前向きな言葉が、傷ついた日常を確かに修復すると感じたのです。
あるひとつの出会いと別れを軸にして、風も風景もにおいさえも一変する端境のころを水彩画のように淡く語った一冊。冒頭で、孤独が想像力を育むと書きましたが、きっとそれはあたりまえのことなのでしょう。それでも、児童書と呼ばれるジャンルにおいて、出会う時も別れる時も、ひとり対ひとりであるという、この作家の誠実でしなやかなセンスを、改めて美しいと感じたのでした。
プロフィール
吉田 真澄 (よしだ ますみ)
長年、東京の国語教室で講師として勤務。現在はフリー。読書指導を行いながら、読む本の質と国語力の関係を追究。児童書評を連載するなどの執筆活動に加え、子どもと本に関する講演会なども行う。著書に『子どもファンタジー作家になる! ファンタジーはこうつくる』(合同出版)など。