いや〜、びっくりしたナァ、もう!
 
「てんぷくトリオ」のリーダー三波伸介(若い諸君には「なんのことやら」だろうけど、四十代後半より上のヒトだったら、きっと記憶にあるはず)のむかしむかしのフレーズが、思わず口から飛びだしちゃうくらいのおどろき。え? なにがびっくりかって? ほら、アレですよ、アレ。2013年度センター試験の「国語」。
 
たまたま息子が受験をしていて、帰宅するなり、「『国語』の問題がすごかったよ〜」というので、持ち帰ってきた問題冊子を眺めてみたのだ。で、次の瞬間、「うひぇ〜!」という悲鳴にも似た声が、ぼくの口から飛びだしたのでアリマス。こ、小林秀雄に牧野信一ぃ〜?! な、なぜ、よりによって、今この人たちの文章を?!
 
「国語」の試験に小説を出しても「国語力」を測ることなんかできないし、むしろ「百害あって一利なし」、とぼくは普段から強硬に主張している。なぜそう主張するかについては、この連載でおいおい語ることになると思うので、今はくわしく説明するのはひかえておくが、ともかくそういう意見の持ち主である以上、当然第二問に出題された牧野信一の小説「地球儀」は、それこそ問題外である。
 
あらためて言うまでもないが、問題として問題外ということと、作品としての「地球儀」の価値とは、もちろん、まったく無関係だ。牧野の代表作『ゼーロン』に見られる、おおげさな身ぶりの言葉と文体でボケまくって奇妙なユーモアを生みだす才能は、日本の近代作家の中ではめずらしいもので、とても貴重だと個人的には考えている。現代の作家だと、町田康にちょっと似ているかもしれない。
 
「地球儀」は牧野のキャリアの初期のもので、いわゆる「私小説」の形式だが、後年のそうしたユーモアの片鱗はすでにはっきり読みとれる。試験問題として読まされるのは閉口だと思うが、教科書の副読本に掲載するというようなことであれば、若い学生諸君にとってもそれはそれでいい読書体験になるだろう。とりわけ、常にマイナーな作家であり続け、今では読む人もほとんどいないだろう牧野信一にとっては、そういう場があってもいいかもしれない。
 
とはいえ、入試に小説はイケマセン。文部科学省のエライ人や「国語」入試の制度維持(および発展?)にかかわっているセンセイ方がどう考えるかはわからないが、一方に「数学」や「理科」のように知識と論理を組み合わせれば正解がわかる、という試験形式があり、もう一方に人によっていろいろ答えが変わる可能性が大きい「国語」問題がある、というのでは、これはバランスが最悪だ。
 
いやしくも試験と銘打つからには、「国語」にだってまごうかたなき「正解」がなくちゃマズイ。そうでなければ、単に勘に頼った当て物ゲームになってしまうこともありうるし、もっと悪いケースを考えるなら、問題の内容や主旨などまるでわからなくても、出題者の思惑を類推する技術のみを磨いて合格する方法論が確立してしまうだろう。というか、こんなことは、もうずっと以前から予備校や塾では、あたりまえにウラ技として教えられてきた。その「実情」を面白おかしく痛烈に描いた名品に、清水義範のその名もズバリ、『国語入試問題必勝法』という短篇小説があるので、ぜひご一読願いたい。
 
まあ、ぼくのこの文章の総タイトルも「『国語』入試の作り方」というのだから、たぶんそういう出題者の思惑をいろいろとりあげる趣向なのだろうな、と思うヒトは多いだろう。もちろん、たしかにそういう部分もある。出題者の頭の中ってどういう風に働いているんだろう? という好奇心を持つ皆さんにむけて、ぼくのとぼしい経験プラス伝聞・推測その他を駆使して、「国語」問題ができあがる過程を「暴露」する覚悟は、当然あります。
 
しかし、同時にそういうウラ技が成立してしまう現行の「国語」入試には、すくなからず疑問を感じてもいるのだ。だから、それをこれから将来にむけて続けていっていいのかどうかについて、実はこの場で考えたいと目論んでいるのである。ぼくの個人的印象では、センター試験の前身である共通一次試験(ボクは二浪したので、これの第一回を受ける破目になりました)以降、「国語」、とりわけ「現代文」は完全な袋小路に入ってしまった気がしている。そして、それはマークシート方式の蔓延とも、密接な関連があるはずだ。

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著者プロフィール

大岡玲(おおおか あきら)

大岡玲(おおおか あきら)

1958年東京生まれ。私立武蔵高校卒業後、二浪の末に東京外国語大学イタリア語科に入学。以降、だらだらと大学院まで居すわってしまう。大学在学中から本格的に小説を書きはじめ、87年29歳の時に最初の小説を文芸誌に載せてもらう(あの時は、気絶するほどうれしかった!)。1989年に『黄昏のストーム・シーディング』という作品で第二回三島由紀夫賞を、90年には『表層生活』で芥川賞を受賞した。小説以外に、エッセイ、書評、翻訳なども手がける。お調子者なので、テレビ番組の司会やコメンテーター、ラジオ出演なども時々やっている。2006年からは、東京経済大学で日本文学や日本語表現、物語論といった授業を担当中。