が、ぼくのそうした目論みについてあわててここで書いても、よくわかってはもらえないだろうと思うので先送りにして、とりあえず話を戻す。
 
とにかく、現行の「国語」入試がいくぶんなりと「数学」に接近するためには、まず論理的な文章を題材にし、受験生がそれまで学んだ知識と論理を使うことによって「正解」に到達できる問題形式にしなければならない。したがって、明確な論理構成をめざして書かれるのではない小説なんか、題材に選んではダメなのである。
 
ということで、2013年度センター試験「国語」第二問は、ぼく的には問題外の問題であるので、設問を解析することはしないし、これ以上触れることもしない。解答しても、たぶんいっぱい間違えちゃうと思うし(笑)。などと書いているそばから、なんだか背筋がゾッとしてしまう。それなら、第一問は楽々解けるとでもいうわけ? というツッコミが、即座に「内心の声」方面からズドンと発されるからだ。スミマセン。あらかじめ土下座しておきます。こちらもとんでもない難題です。そうでなければ、そもそも「うひぇ〜」などと驚愕の声をあげたりはしない。
 
小林秀雄。日本近代文学の批評部門における巨峰であり、ウィキペディアには「近代日本の文芸評論の確立者」「小林から大きな影響を受けた批評家や知識人は枚挙に暇がない」という説明文が載っている。現在三十代より下の世代の書き手で、小林秀雄の文章を強く意識している人はそんなに多くはない気がするが、五十代のぼくらくらいまでは小林といえば、気分的にはけっこう直立不動みたいな感覚で読んでいたものだ。入試にもむやみやたらに登場したし、しかも一読すらりとわかる文章ではないので、受験生はしっかり気を入れて彼の文章を勉強しないとまずい雰囲気だった。
 
と言いつつも、じゃあお前はちゃんと小林秀雄を勉強したのかと問われたら、またしてもスミマセンと土下座しなければならない。というか、物書きを仕事にするようになって以後も、実はあまり読んでいないのである。その理由をきちんと述べようとすると、それはそれでちょっとした論文になってしまうのでやめておくが、乱暴に言ってしまうなら、要するになんとなく肌が合わないのだ。読んでいると、ちょっとベランメエ口調の、すごく知識が豊富な長屋の大家さんに、断定的に啖呵を切られたうえに、頭ごなしに叱られているような気分になってしまうせいかもしれない。
 
そう、小林秀雄の文章には、落語に登場するまぬけな八つぁん・熊さんに、こんこんとお説教をする大家さんの言葉と似通った風情(もちろん、落語の大家さんのそれより難解な単語満載で、詩的かつ高尚!)があるのだ。まぬけの自覚は充分にあるボクなので、お説教されることに否やはないが、はいはいと拝聴していると、理屈に飛躍が多くてうまく頭が追いついていけなかったりするから困る。えっと、そこのところの論理の流れがよくわからないんですが、なんて口をはさんだりしたら、だからお前はバカなんだと、あらためてすごく怒られそうで、聞き返すなんてコワくてできそうもない。
 
という風に、どこか不得要領に読んでしまうものだから、結局小林秀雄の文章をだんだん敬して遠ざける、という感じになってしまったのである。受験生時代も、幸か不幸か本番の入試では彼の文章に出くわさなかった。遭遇していたら、きっと木っ端みじんになっていただろう。そうした痛切な体験があれば、ひょっとすると小林秀雄の偉大さが身にしみて理解できたかもしれないが、今となってはあとの祭りだ。それに、批評家としての小林の偉大さは偉大さとして、やはり入試の題材にするには論理の飛躍をものともしない彼の天才性が、かえってうまくない結果をもたらしている気がする。
 
これはぼくだけの意見ではなくて、と、ほかのずっと偉い人に責任をいくぶんなすってしまうのだが、丸谷才一もその著『完本 日本語のために』で、「小林秀雄の文章は出題するな」という刺激的なタイトルの文章を書いている。曰く、
 
「小林はたしかに偉大な文藝評論家ではあるにしても(そのことをわたしは認める)、彼の文章は飛躍が多く、語の指し示す概念は曖昧で、論理の進行はしばしば乱れがちである。それは入試問題の出典となるには最も不適当なものだらう。」
 
入試問題が「正解」を要求するものである以上、「語の指し示す概念が曖昧」であるような文章は、そもそも作問をする過程でいくつもの障害にぶつかるはずである。そのもっとも大きなものは、出題者本人がいったいなにを正解とすればいいのか、本当のところはさっぱりわからなくなってしまう点にある。指し示された概念が曖昧であるなら、読んだ人間はそれを自分なりに解釈しなければならない。単に読後感として「きっとこんなことだろう」と思っているだけならいいが、その「解釈」にもとづいて「正解」のある「作問」をするということになると、これはとんでもない自信家でないかぎりまずムリだ、というのがまともな思考ではないか。

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著者プロフィール

大岡玲(おおおか あきら)

大岡玲(おおおか あきら)

1958年東京生まれ。私立武蔵高校卒業後、二浪の末に東京外国語大学イタリア語科に入学。以降、だらだらと大学院まで居すわってしまう。大学在学中から本格的に小説を書きはじめ、87年29歳の時に最初の小説を文芸誌に載せてもらう(あの時は、気絶するほどうれしかった!)。1989年に『黄昏のストーム・シーディング』という作品で第二回三島由紀夫賞を、90年には『表層生活』で芥川賞を受賞した。小説以外に、エッセイ、書評、翻訳なども手がける。お調子者なので、テレビ番組の司会やコメンテーター、ラジオ出演なども時々やっている。2006年からは、東京経済大学で日本文学や日本語表現、物語論といった授業を担当中。