丸谷才一はその点に関して、ややユーモラスに、小林秀雄本人が非難されるべきなのではないと述べる。
 
「責められなければならないのは、彼を現代国語の規範としてあつかひ、ただでさへ難解なかういふ型の評論を、前後を勝手に切つたかたちで入学試験に出す出題者たちである。かつて文藝評論家志望だつた文学青年(中年? 老年?)たちは、こんな手を使つて挫折感をみづから慰めてはいけない。彼らが自己満足をむさぼるとき、可憐な少年少女は塗炭の苦しみを味はひながら、『文学』に対する漠然たる悪意をいだくのである。」
 
丸谷の冗談半分(ということは、半分は当たっている?)の「かつて文藝評論家志望だつた文学青年」が「出題者」という指摘は、実は近代の「国語」入試問題の歴史を考える時、非常に重要な視点を提供してくれている。この点についてもおいおい語っていかなければならないが、まずはせっかくだから、「ただでさへ難解な」小林秀雄の文章がどんなものであるのか、ほんのさわりだけでも引用しておこう。今の中高生諸君は、たぶん見たこと、もとい、読んだことがないだろうと思うので。
 
吾々にとつて幸福な事か不幸な事か知らないが、世に一つとして簡単に片付く問題はない。遠い昔、人間が意識と共に与へられた言葉といふ吾々の思索の唯一の武器は、依然として昔乍らの魔術を止めない。劣悪を指嗾しない如何なる崇高な言葉もなく、崇高を指嗾しない如何なる劣悪な言葉もない。而も、若し言葉がその人心幻惑の魔術を捨てたら恐らく影に過ぎまい。(新字旧かな)
 
これが、小林秀雄の出世作『様々なる意匠』の出だし部分だ。たいていのヒトは、読みはじめた瞬間に「ひー!」と内心悲鳴をあげるのではないか。おっと、「たいていのヒト」なんて逃げてはイケないな。ぼくが「ひー!」と叫んでしまうのであります。いや、小林が、それも二十七歳という若さに逸る小林がなにをいわんとしているのかについて、まったく察知できないというようなことは、もちろん、ない。むしろ、「言葉」が本来的に持っている根本的な性質のひとつについて、きわめて常識的な見解を述べている、と言うことができるだろう。
 
要するに、「物事簡単に白黒つけられたら苦労しねえよな。偉そうな言葉が、結局ろくでもねえことを引き起こしたり、くだらねえ言葉が、すばらしい結果を生んだりするじゃねえか。それじゃあ困るってんで、人の心を惑わすかもしれねえそういう矛盾を言葉が捨てちまったら、言葉は言葉じゃなくなっちまう。」ってなことじゃあねえかと・・・・・・おっとっと、なんだかついベランメエ調になってしまったが、まあ、自信はないけれどそんなようなことを言っているのではないかという気がする。
 
もちろん、一応すぐに理解できるようにこんな感じで書いてしまったら、ベランメエは別にしても、絶対入試出題者のおメガネにはかなわないに決まっている。「難解」だからこそ受験生の選別にもってこいなのであり、読んですぐわかるようでは試験にならない。というのが出題者の典型的思考であり、しかも、現行の「国語」入試においては、たしかにそれはまちがいとは言えない。しかし、すでに述べたように、そこには落とし穴があるのだ。「曖昧」が濃厚に入りこんでいる文章は、受験者のみならず作問者にとっても「難解」になってしまうという難題が待ちかまえているのである。
 
にもかかわらず、小林秀雄は過去多くの(ブンガク好きな)国語入試出題者を魅了してきた。ありがたいことに、というのはぼく個人の感想なのだが、ありがたいことに二十一世紀に入ってからは、彼の文章に試験でお目にかかる受験生諸君は、非常に少なくなっていたと思う。さすがに、現今の若い人たちの言語生活と小林の文章の間に横たわる隔絶の大地溝帯を、作問者が無視できなくなったからだろう。と思っていたところに、まさかのセンター試験出題だ。
 
過去の亡霊なんて書くと、「なんて失敬な」と怒られてしまいそうだが、正直なぼくの感想はそうだった。しかも、問題文は「鍔」! 刀の鍔について語っている内容なのだが、本物の鍔なんて見たことある受験生、いったいどのくらいいるっていうのだろう? 出題者も、そのあたりは心配だったとみえて、刀と鍔の絵が、問題文のあとの注釈ページに描かれている。注の数自体も、なんと21もある。かつてよく出題されていた『様々なる意匠』や『無常といふ事』でさえひどくむずかしかったというのに、なぜよりによってこの文章なんだ? という疑問が、黒雲のごとくわきあがってくる。
 
その黒雲に視界をさえぎられつつも、ぼくは問題を解いてみた。結果、しっかりまちがえちゃいました。そのあたりを踏まえて、2013年度センター試験の「国語」第一問を、次回もう少し詳しく眺めてみることにしたい。

連載バックナンバー

著者プロフィール

大岡玲(おおおか あきら)

大岡玲(おおおか あきら)

1958年東京生まれ。私立武蔵高校卒業後、二浪の末に東京外国語大学イタリア語科に入学。以降、だらだらと大学院まで居すわってしまう。大学在学中から本格的に小説を書きはじめ、87年29歳の時に最初の小説を文芸誌に載せてもらう(あの時は、気絶するほどうれしかった!)。1989年に『黄昏のストーム・シーディング』という作品で第二回三島由紀夫賞を、90年には『表層生活』で芥川賞を受賞した。小説以外に、エッセイ、書評、翻訳なども手がける。お調子者なので、テレビ番組の司会やコメンテーター、ラジオ出演なども時々やっている。2006年からは、東京経済大学で日本文学や日本語表現、物語論といった授業を担当中。