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歴史プロデューサー「六龍堂」主宰 早川知佐さん (2)
2017.6.8
6.6K
わたしの原動力 |
「歴史に興味を持ちました」「楽しかったです」の言葉が、 |
元祖歴女!? 「おもしろい」の言葉を聞くために奔走
――歴史好きな女性を「歴女」と言いますが、早川さんはその第一号だとか。
時代屋のオープン時、いろいろな媒体が取材に来たときに、そのうちの一社が紹介記事のなかで初めて「歴女」という言葉を使ったんです。それで、元祖歴女と。
最初はこの言葉がイヤでした。2006年当時は、ゲームを通して歴史に興味をもつ女性が増え始めた時期で、歴女という言葉には、従来の「歴史好きに」対して「ミーハー」というニュアンスが込められている感じがしたんです。
でも、歌舞伎や映画から歴史好きになる人がいるなら、ゲームから入ってもいいはずですよね。歌舞伎や映画とゲームは、時代が違うだけで、その時代のエンターテインメントであることにまちがいはないのですから。
要は、入り口は何でもいいんです。歴史に興味をもつことで、開ける世界がある。わたしの役割はその入り口を増やすこと。そう考え、歴女という言葉にあえて乗っかるようになりました。
――さまざまな活動でご活躍の早川さんですが、そのエネルギーはどこから来ているのでしょうか?
やっぱり、話を聞いてくださったりイベントに来てくださったりした方々の、「歴史っておもしろいですね」「もっと知りたくなりました」「楽しかったです」という言葉です。本当にうれしいですね。
近年は各地の商工会や企業などに向け、歴史を軸にした地域活性化について話す機会が増えています。住人の方でも意外に地元の歴史を知らないことが多いんですよ。地域の歴史を知ることは、観光資源の開発につながるし、住人が地域に誇りを感じるようにもなります。都市部に目が向いていた若い人が、故郷を見直すきっかけにもなると思います。そこで最近、歴史で日本を元気にしたいという、新しい目標ができました。
みんな何かのオタクになるべき!
――どのようないきさつで歴史好きになったのですか。
小さいころ、祖母と一緒に見ていたテレビの時代劇です(笑)。それから、当時放映していた『まんがはじめて物語』という、モノの起源に関する子ども番組にも夢中になりました。
もともと本の虫だったこともあり、小学校のころは伝記やモノの由来に関するものを、片っ端から読み漁っていました。中学、高校と進んでからは、司馬遼太郎さんや池波正太郎さんの小説に夢中。興味のあるものは徹底して調べるのが好きでした。
――凝り性なのですね。
何においても掘り下げる性格なんです。オタク気質なんですよ(笑)。
好奇心が旺盛なので、いろいろなものに興味をもつ。もったら一定のところまで極めないと気が済まないんです。仕事もそう。できないまま、わからないままでいることがガマンできない。だから時代屋の立ち上げで挫折感を覚えたんです。それは今も変わっていなくて、「真田」が絡むものなら何でも知りたいしやりたいんです。オタクでしょう(笑)。
――では、オタク気質であることも活動の原動力の一つですね。
そうですね。わたしは、何かのオタクであることは、生きる力になると思っています。たとえば学校生活がうまくいかなくてつらいときも、好きなものがあれば乗り越えられる。ゲームだってアニメだっていい。極めたいものがあれば、将来を考えることができるんです。みんな何かのオタクになればいいとわたしは思います。
歴史には人間性を高める力がある
――改めてうかがいますが、「歴史」の魅力はなんでしょうか。
人間性を高めることができる点だと思います。歴史には子育て、人育てのヒントがあるとも感じています。
歴史は人生の教科書だといえます。先人がどんな考えをもち、どんな選択をしたのか、結果はどうだったのか知ることで、多くのことを学べるはずです。何より歴史に興味をもつことで、今まで見過ごしていたモノやこと、人を深く知ることができ、おもしろく感じられる。人生が豊かになるはずです。
――歴史に関心のない子に興味を持たせたいときは、どうしたらいいでしょうか。
小学生対象の講演もしますが、本人に紐づけると興味をもつようだとわかりました。たとえば、道端に石碑や案内板が立っていますね。そういうものを目印にして、「今立っているこの場所に、300年前には〇〇公が立っていたかも……」などと想像力をかき立てるという具合です。自分の苗字のルーツをたどるのもおもしろいですね。苗字と同じ地名があって、そこは戦国時代には何という武将がいて、と。
地域の特産品を題材にしてもいいと思います。静岡はお茶の産地として有名ですが、なぜだかわかりますか。明治になり、徳川方の旧幕臣は徳川慶喜の住む静岡に移住しました。でも職がない。そこで旧幕臣のトップである勝海舟が考えたのが、茶畑の開墾と生産だったのです。ですから静岡の、とくに牧之原地区のお茶の生産者のルーツをたどると、ほとんどが江戸の幕臣に行き当たるんですよ。
――おもしろい! なぜ徳川慶喜が静岡に移ったのかなど、話題も広がりますね。
そうでしょう。そうして遡っていけば、年号の暗記が苦手な子どもも、自然と日本という国の時代の変遷がわかると思いますよ。
――ありがとうございました。
プロフィール
早川知佐 (Chisa Hayakawa)
1977年東京生まれ。子どものころから人やモノの歴史に興味を抱き、古書店グループに入社後、2006年に歴史専門ショップ「歴史時代書房 時代屋」の企画・オープンを担当。初代店長に。「六龍堂」を屋号に、歴史プロデューサーとしてイベントの企画実施、商品開発、講演などを行う。2008年、戦国武将の真田幸村ファンとしての熱意が長野県上田市長に認められ、信州上田観光大使に就任。『NHK大河ドラマ 日本一の兵 真田幸村公放映の実現を願う会』の設立に参画し活動を牽引。異例の約84万人分の署名を集め、『真田丸』放映実現を引き寄せる。歴史を地域資源と捉え地域活性化に関する講演依頼も増加し、16年の登壇数は30回超。静岡在住。1児の母。