親と子の本棚

ゆめでもいい

子どもには本好きになってほしいけれど、どう選べばよいかわからない……。そんなときはこちらの「本棚」を参考にされてみてはいかがでしょうか。

タクシーは走りつづけていた

『車のいろは空のいろ ゆめでもいい』より

あまんきみこ『新装版 車のいろは空のいろ ゆめでもいい』の刊行は、2022年もおしまいに近いころのビッグニュースだった。1968年に出版された連作短編集『車のいろは空のいろ』にはじまるシリーズの4冊めにあたる。『続 車のいろは空のいろ』は1982年。2000年には、最初の本を『車のいろは空のいろ 白いぼうし』とし、続編を『同 春のお客さん』として、『同 星のタクシー』をくわえた3冊が出ている。3冊本は、「白いぼうし」などの収録作品が各社の国語教科書にのることによって、テキストにさまざまな異同(字句のちがい)が生じたのを統一する「定本」だった。この「定本」の3冊によってシリーズは完結したと思っていたから、『ゆめでもいい』には、ほんとうにびっくりした。3冊本から22年たっていたし、最初の出版からは54年ののちである。松井さんの運転する空いろのタクシーは、ずっと走りつづけていたのだ。
『新装版 車のいろは空のいろ ゆめでもいい』には、7編が収められている。雑誌などに発表されたままになっていたのが3編、あとの4編は書き下ろしである。
巻頭は「きょうの空より青いシャツ」、書き出しはこうだ。

 うすみどりの林のなかのほそい道を、空いろのタクシーがぐんぐん走っています。
 うんてんしゅは、松井五郎さん。
(春は、やっぱり、いいなあ。きょうは、いっぺんにあったかくなった。)

となり町までお客を送って、もどる途中、大きな木の下で、青いぼうしをかぶった子だぬきが短い前足の片方を高くあげている。松井さんは、その前でぴたりと車を止めて、「どうぞ。」と笑いかける。「えっ、のっていいの?」「うわあ、ぼく、のっていいんだあ。」といって、子だぬきがのり込んでくる。行き先は、「この林のおわるとこ」、なの花橋の手前だ。
走り出した車のうしろの座席から、「くくくくく。うれしいなあ。くくくくく。」という笑い声が聞こえる。――「ぼく、はじめてだよ。はじめてのったよ。はやいなあ。すごいなあ。くくくくく。」やがて、歌いはじめる。――「きょうの空より 青いシャツ/きょうの空より 青ズボン/ね、ね/にあうでしょ」子だぬきは、青いシャツとズボンの人間の男の子に化けているつもりだけれど、松井さんからは、やっぱり、たぬきに見える。子だぬきは、化けていなかったのだ。

「ほんとうのすがたのまま」を肯定する

松井さんのタクシーがはじめて走ったのは、作者が雑誌『びわの実学校』に投稿して掲載された作品「くましんし」(1965年10月)である。松井さんをわが家に招き入れた乗客の紳士は、「じつは、わたしは、北海道の釧路のさきの〝こたたん山〟で生まれたくまでしてね。」と打ち明けて、そのすがたを現す。紳士は、「なんだか気もちがいい。ほんとうのすがたのままでいられるということは、それだけで、とてもうれしいことなのですよ。」といい、松井さんは、「顔はくまになっても、かわらないものが、一つだけあります。それは――、目です。」という。
最新刊の『ゆめでもいい』では、「くましんし」にある「ほんとうのすがたのまま」の肯定がより強くなったと思う。巻頭の子だぬきだけではなくて、ねこたちも(「子ぎつねじゃないよ」)、たぬきの家族も(「きこえるよ、〇(マル)」)、物語のなかで、すがたをあらわにする。
「ふしぎ」の世界の入口と出口がはっきりしている「ファンタジー」ではなくて、現実と「ふしぎ」の境界があいまいで、にじみあっているのが、あまんきみこの世界だ。その特質もよりはっきりして、作者らしい物語になった。松井さんが車ごと乗客の夢のなかに入っていく作品も二つある(「ゆめでもいい ゆめでなくてもいい」「ジロウをおいかけて……」)。

夢のなわとび

『ゆめでもいい』から思い出すのは、エリナー・ファージョン『ヒナギク野のマーティン・ピピン』のなかで、旅の詩人、マーティンが子どもたちに語る話の一つ「エルシー・ピドック夢で縄とびをする」だ。なわとびが上手な女の子、エルシーは、夢のなかで、なわとびが好きなフェアリーたちに招かれて競争をする。エルシーを「生まれながらの縄とびの名手」とみとめた、フェアリーたちの師匠、アンディ・スパンディは、1年間、エルシーになわとびの秘術を教える。彼女は、三日月の晩に夢のなかで起き上がり、フェアリーたちのいるケーバーン山の頂上に登る。のちに、エルシーが109歳のおばあさんになったとき、なわとびで、ケーバーン山に工場を建設しようとした領主から山を守ることになるのだが。
あまんきみこにも、なわとびの話がある。短編集『だあれもいない?』の一番はじめの「海うさぎのきた日」である。語り手の「わたし」は、エルシー・ピドックとはちがって、なわとびが苦手だ。つぎは、その語り出し。

 このごろ若葉団地では、なわとびがはやっているの。
 でも、わたし、だめ。うまくとべないもの。みんな、どうしてあんなにとべるのかな。
 (中略)
 きのう、みんなと「おおなみ、こなみ」をしたときも、わたし、とびこめないで、おもち(ひもをまわす役)ばかりしていた。(カッコ内原文)

今月ご紹介した本

『新装版 車のいろは空のいろ ゆめでもいい』
あまんきみこ・作、黒井健・絵
ポプラ社、2022年
『車のいろは空のいろ』のもともとの挿絵は北田卓史さんだったけれど、1992年に亡くなった。今回の第4作は、黒井健さんが絵を描き、前の3冊も新しく描いて、4冊セットの新装版になった。北田さんの空いろのタクシーはセダン、黒井さんは、最近よく見かけるミニバンタイプになっている。

ファージョン作品集5
『ヒナギク野のマーティン・ピピン』

エリナー・ファージョン作、石井桃子訳
岩波書店、1974年
話のなかの子どもたちがうたう、なわとびの歌。――「アンディ・スパンディ、/さとうの、キャンディ/アマンド入り/あめんぼう!/おまえのおっかさんのつくっている晩ごはんはパンとバターのそれっきり!」おしまいのところは、前の倍の早口でうたう。
この本は、現在手に入らない。図書館でさがしてください。エルシー・ピドックの話だけは、絵本としても刊行されている(シャーロット・ヴォーク絵『エルシー・ピドック、ゆめでなわとびをする』岩波書店、2004年)。

『だあれもいない?』
あまんきみこ・作、渡辺洋二・絵
講談社、2001年
「おおなみ、こなみ」を何回も聞いた「わたし」は、青い海が見たくなって、国道を横切った先の海へ行く。海のにおいに、ふうわり眠くなると、にぎやかな声がする。――「おおなみ こなみ/ぐるっと まわって/うさぎの目……」砂浜に、真っ白なうさぎたちが14、5ひきもいて、きれいな青いひもで、なわとびをしている。
このほかに、4編を収録。この本も、図書館でさがしてください。

プロフィール

宮川 健郎 (みやかわ・たけお)

1955年東京生まれ。立教大学文学部日本文学科卒。同大学院修了。現在、武蔵野大学名誉教授。大阪国際児童文学振興財団理事長。日本児童文学学会会長。『現代児童文学の語るもの』(NHKブックス)、『子どもの本のはるなつあきふゆ』(岩崎書店)、『小学生のための文章レッスン みんなに知らせる』(玉川大学出版部)ほか、著書・編著多数。

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