- その1
- これから「どうしたら勉強ができるようになるか」というお話を書いていきます。こういう書き方をすると、すぐに勉強法だなとお考えになる方がいらっしゃるかもしれません。とくに中学生高校生の方。もちろんそれは大切なのですが、それ以前に勉強に向かう心は、方法論以上に重視する必要があります。
わかりますか? 何をやるか以前にどのようにやるかということを真剣に考えないといけない。1回目はそのあたりをお話します。あなたが柔道部に所属しているとしますね。後輩が練習している。よく見ると柔道着ではなくパジャマで練習しているではありませんか。さらに床の上にはいろいろ余計なもの――コミック類だとかお菓子だとか――が散らばっている。先輩として注意しませんか。その格好は何だ、その散らかりようはどうしたことだと。
仮に後輩が「パジャマだって動きやすいからいいじゃないですか」と答えたとします。あなたはきっと呆れるでしょう。と同時に、内心こんな気持ちでは強くなれっこないと思うはずです。勉強も同じです。自宅で勉強されるときに、だらしない格好で散らかった机で半分遊びながらの「ながら勉強」をしているのであれば、パジャマ姿で散らかった床で練習をしていた後輩と同じです。この記事を読みはじめた時点では、どなたもそんなひどい後輩いるわけがない! と思われたでしょう。しかし、勉強のときパジャマ姿のまま散らかった机で友だちとメールなんかをさかんにやりとりしながら作業している中学生高校生を私はたくさん知っています。単に形を整えろというのではなく、形によりそう心を大切にしなさいということを伝えたいと思います。真剣に臨む心を作る。何をするのもまずそこですよ。柔道着、剣道着、野球やサッカー選手のユニホーム・・・きちんと身につけることで「さあ、やるぞ!」と心を作る。
きちんとした格好で整理整頓された机に向かい勉強の最中はほかのことをしないというのは基本中の基本です。これまでのことはもういいですよ。本気でやるのであればこれからはそうしてください。勉強の前に、ご自身と周囲の状況を確認する。勉強の心を作る。そこからスタートです。
- その2
- 前回は最初の心構えについて書きました。
さらに心構えについて追加の話を書いておきます。何年か前、ある難関女子高校の副校長先生に次のようなお話をうかがいました。
いよいよ大学受験が近づいてくるとその高校も皆さん、必死です。医学部に進学される生徒が大量にいらっしゃるので、受験が近づいてくるとそれこそ「寝る間を惜しんで勉強」という感じになってきます。するとどういう現象が起きるか。ときどきもう見てくれはどうでもいいという生徒も出てくる。もちろん制服は着てくるのですよ。ただ髪は乱れているしお風呂どころかシャワーを浴びる機会もないというような状況にもなってくる。
でもね、と副校長先生は笑顔でおっしゃいました。毎年きまって最上位にいるような生徒がみんなにやんわりとアドヴァイスしてくださるそうです。きちんとしようよ、私たちりっぱなお医者さんになるのだからと。「みんなはっとしますよ。そうだ、自分たちは何から何まで一流を目指すのだったと思い出すのですね」と先生はおっしゃっていました。お話を聞いていてわかるような気がしました。いまのあなたは将来の理想のあなたとつながっています。理想はお医者さんでも何でもいいですが、とにかく別人ではない。もし理想のあなたと現在のあなたが著しく違っているのであれば、どこかおかしいと思いませんか。おかしいだけでなくそのままでは理想に行き着けない可能性が出てくることに気づいてください。
一流の高校で大活躍しているあなたとまあ少しぐらいサボってもいいやと今日を無為に過ごしてしまったあなた。つながりますか? つながらないとしたら、いつつなげるのですか?いよいよ受験生になったら・・・などというのではたった一年しか理想のあなたに近づかないことになります。それでは到底理想そのものまではたどり着けないでしょう。
どうすればいいか。いま、この瞬間から意識してください。一流校に不勉強な人は似合いませんね。つまり一流校に入りたいというのであれば、勉強する人になるしか選択肢はない。勉強する人としての生活を、この瞬間からスタートさせるしかないと覚悟を決めてください。
- その3
- 精神論を展開していてもきりがないので、そろそろ実践的なお話もしましょう。まずノートを使うということ。テキスト類に気づいたことを書きこむのは悪いことではありません。マーカーなどで線を引くのも悪いことではない。
ただ問題を解くときは、必ずノートにやってください。問題集には書きこまない。英語や数学は問題もきちんと写してノートに大きく書いていく。大切なのは、自分ができないことをできるようにしていく過程ですから、それを阻害する要素は排除していかなければならないのです。問題集にじかに書きこんでしまうということは、当然間違えたところも――そのままにしておいていいわけがないので――赤字で訂正を書きこむことになると思います。復習するときに正解が見えてしまう。
ああ、そうだった、こうやるのだった。それだけで、きっともうできるに違いないと思いこんでしまう。人間、そんなものです。きちんとゼロからやりなおす気力を欠いてしまう。それを避けるために、問題は必ずノートに大きく写してから解いてください。その作業を通じてスピードもまた養われる。雑に書いてはもちろんいけない。しかしばか丁寧に書いていたら終わらない。適正なスピードですらすら書けるように自分を鍛えていく必要が出てきます。必要が成長を生む。工夫する気持ちがあなたをたくましくしていくものです。
ノートに写すときは省略しないようにしましょう。計算問題をやたらと暗算をまじえて解こうとする人がいますが、その「面倒がる心」こそがあなたの敵です。ホンモノの敵はそうやって常に自分の内側にいるのですよ。使用したノートは数学1、数学2、英語1、英語2・・・と必ず保管しておきましょう。入試が近づいて不安になったら床に積み上げてみるといい。教室に来てくれていたある生徒は、全教科のノートが3年分で自分の背丈ぐらいになったとおっしゃっていました。それぐらい心をこめて書き続けてきたからこそ一流校に合格できた。逆に言うと、何も残らない勉強では少し心配になりますね。
きちんと形に残すことで「自分はこれだけやってきたのだ!」という自信につなげるのことができるのです。
- その4
- 前回ノートのことを少し書きました。今回も続けましょうか。
昔、将棋の大山康晴という大名人がいました。歴代の将棋界で1番目か2番目にすごい名人だったと私個人は勝手に思っています。その名人が小学生ぐらいの子どもたちの将棋を見て回るというテレビ番組を見たことがありました。大名人がいらっしゃったので子どもは大張り切りですよ。何か特別ないいアドヴァイスがもらえるかもしれません。このときの映像はすごく印象に残っています。翌日、偶然その番組を見ていた将棋好きの友だちとやっぱりなあ・・・みたいなことを話したからです。名人はただただ丁寧に駒を置いて指しなさいと繰り返していた。マス目からはみ出さないように、まっすぐに置きなさいばかりです。丁寧に指している子には「そうそう」ぐらいの声かけはありましたかね。
いい戦法だとかすごい手だねとかは全然口にされない。丁寧に、きちんと、それだけです。あえてそれだけしかおっしゃらないというのは、それこそが眼目だからでしょう。勉強も同じ。ノートももちろん同じ。雑ではいけません。心をこめて丁寧に書く。丁寧にしかもすばやく書けるように努力する。のろのろしていてはいけません。
ここに教室で使っているテキストがあります。私の担当は国語ですが、わかりやすそうなので英語のものを使います。英語の先生からお聞きしました。
受動態の書き換え問題ですね。
My father bought a guitar for me.
↓
( )( )( ) bought for me by my father.こういうとき、必ず上下の全文をノートに写すように指示されます。( )内だけを書いてはいけない。この場合、A guitar wasだけ書いておしまいでは丁寧な勉強になっていないということです。boughtやfatherのつづり、forとbyの位置、meとmyの使い分け、そうしたものも覚えるためには全文書く必要がありますね。
さらに上下の文章を感情をこめて最低20回ずつは音読しなさいと言われます。そこまでやって「普通」の丁寧です。名人から「そうそう」ぐらいには褒めていただけるかもしれない。これを「難しくて大変」とは呼ばないでしょう。なのにやらない人は絶対にやりません。あたりまえのことを丁寧にやる。それが秘訣です。
- その5
- 音読についてはその重要性を何度強調してもきりがないですね。国語でも英語でも大切です。昔の秀才はじつによく音読しました。
若いころ、湯川秀樹博士の自伝を読んだことがあります。湯川博士は日本ではじめてノーベル賞(物理学賞)を受賞されたすごい先生ですが、その湯川先生が本当に勉強になったと書かれていたのが子どものころの漢籍(漢文ですね)の素読でした。おじいさまに直接習われた。大きな声でおじいさまが読む通りに復唱する。意味は正確にはわからなかったみたいですが、そもそも素読というのは内容がよくわからなくてもいいのだと言われていました。
声を出して百回も読めばひとりでにわかってくるというのです。ひたすら姿勢を正し、大きな声を出し繰り返し復唱する。物理学の博士がそれがいちばん勉強になったとおっしゃるのも妙だなと当時は考えたりしていたのですが、いまは先生が示唆されようとしたところがわかるようになりました。
その音読を英語でさえあまりやらないという中学高校生(大学生もそうか)がいらっしゃるのは困ったものです。たくさん読みましたというので聞いてみると、2、3回で終わりにしている。小さな声で2、3回。それで音読はいつもしていますと胸を張る。
桁が違うでしょう。最低20回は読む。私が以前こう書いたら英語の先生に20回では足りませんと指摘されてしまいました。最低50回と書いてくださいと言われました。
読まなくたって意味はもう完全にわかっているから・・・という生徒がいます。しかし意味がわかるというのは、英語ではなく日本語の世界でしょう。英語の勉強であれば変な表現ですが、英語が英語のまま理解できるようになるべきです。
また「わかったよ、読めばいいんだろ」という感じで感情も何もこめないで音読するのでは効果がありません。感嘆文なんか本当に感嘆しながら読まないといけない。身体で覚えるという表現がありますが、全細胞にしみわたるように努力する。声に出すだけではなく、感情や感性まで総動員することで身体にしみわたる勉強が可能になります。くれぐれも「形だけ」にならないようにしてください。
- その6
- 物事に上達しようと思ったら素直にならないといけません。我流を捨てることです。いずれはご自身による工夫が必要にはなってくるかもしれませんが、入口のところで勝手なことをしないというのは大切な要素だと思います。
当人は勝手なことをしているつもりはないのですよ。しかし、指導するほうから見ると勝手なことをしている。その心の隙が非常にもったいない。たとえばこういうことがあります。
漢字を練習するときに意味を調べて、3回ずつ書いてごらんと言っています。声に出して発音しながら書いてごらんと。
かりに「実践」という熟語を覚えようとしているとしますね。「実戦」という言葉もある。どう違いますか? まず辞書で確認する。そのあとで実践、実践、実践と発音しながら3回書く。全然やらないわけではないのです。みんなやってくれる。ただ決められた通りにはやらない人も出てきます。まず「何となくわかるから」と言って「実践」と「実戦」の違いを調べない。質問してみると「実戦」は確かにわかっても「実践」の意味は正確に言えなかったりしますね。そのままでよしとしている。
さらにこの字は簡単だからという判断で1回しか書かない。あるいは1回も書かずに見ただけで終わりにしている。
それでも確かに小テストはできるかもしれません。ただそうやって楽に楽にしていこうという姿勢が非常に危険ではあると思います。出だしで言われた通りにできないようでは先にいってますますそうなってくる。前回も書いた英語の音読二十回が十回になり五回になり・・・とうとうやったりやらなくなったりになる。
それは工夫ではないですよ。部活の後輩が毎日1キロは走りなさいというあなたのせっかくのアドヴァイスを勝手に200メートルに短縮していたらどう思いますか? 工夫しているなあと感心したりしますか? それとも、素直に努力できないようではだめだなあと思いますか? 同じことだと考えてください。
- その7
- 勉強するうえで大切なことはあくまでも「自分のものにしたかどうか」ということです。習ったかどうか、わかったかどうかではありません。「自分のものにしたかどうか」です。
たとえば憂鬱の「鬱」という字がありますね。私はこの字をすらすら書けますが、そうなるまでには相当時間がかかりました。思春期に「鬱」と書けたらすごい人に見えるのではないかと考えたのがきっかけで覚えました。当時、哲学者のキルケゴールに憧れていました。憂鬱そうな風体にひかれた。憂鬱な哲学者にひかれるのであれば「鬱」ぐらい書けなければと思ったわけです。辞書をひいて丁寧に写す。難しい字ですが、すぐに覚えられることは覚えられます。一日二日は何も見なくても大丈夫。もうできた・・・と思う。
ところが一週間ぐらいたつとあやふやになっています。一ヶ月たつと「あれ? 左下はどうだったっけ」となる。微妙なところがわからなくなっているのです。できたとあんなに思ったのに、できなくなっていた。
同じことが皆さんの勉強でもたくさん起きています。起きていますと断言するのは、私はそういう事例を数え切れないほど見ているからです。解説を聞いた直後は自力で解けるようになった問題がひと月たつと解けなくなっている。どの教科でも起こります。
自分のものにする以前に習得の努力を放棄してしまった。もっともっと繰り返すべきだったのですね。
先にあげた「鬱」という字は、私はもう一年間書かなくても書けるようになっています。完全に自分のものになっている。そういう漢字がいくつかあります。「薔薇」なんかもそうですね。何度も覚えたはずなのに書けなくなった。覚えた、できたと本人が思いこんでいるさらに先があるわけで、気をつけなければいけません。
一つの目標としてはどれだけすらすら書けるかということがあります。漢字だけではないですよ。ダンスを踊るように、楽器を演奏するようにすらすらできるか。
そこまでいっていないとすべての「できた」は「やっぱりできない」になってしまう可能性があります。
- その8
- 将棋に瀬川晶司先生というプロ棋士がいらっしゃいます。一度はプロの道を断念されたもののアマチュア界で大活躍され、特例でプロ入りを許可された実力者です。アマチュアから特別な試験制度で合格された棋士は大昔の花村先生とこの瀬川先生、それについ最近棋士になられた今泉先生の三人だけです。
その瀬川先生が最新号の「将棋世界」に面白い記事を書かれていました。雑談のときある棋士がこうおっしゃった。自分は記憶力がよくないから、ひたすら毎日反復する以外に勉強方法がない。ところがこの発言をされた先生はいわゆるトップ棋士で、はた目には記憶力も抜群に見えるのだそうです。
瀬川先生は、こんなにすごい棋士が日々の反復が足りないとおっしゃるのであれば、ご自身も結局もっともっと反復の努力をするしかない、調子が悪いなどというのは、単なる努力不足にすぎないと反省されたと書いていらっしゃった。世間では頭がいい悪いと簡単に済ませてしまいがちですが、頭がいいと思われている人が日々どれほど繰り返しの努力をしているか周囲は気づかないだけだと思います。逆に覚えられなかったりわからなかったりする人は、単純に日々の反復が足りないということでしょう。
ときどき「あいつはけっこうすらすら覚えるのに自分はなかなか覚えられない」と嘆く人がいますが、それは回路がまだできていない証拠です。回路がしっかりしてくると早くなっていきますから安心してください。
算数の九九と同じですね。はじめは暗誦するのにとてつもなく時間がかかった。だんだんはやくなってくる。回路ができてくるからです。回路を作る以前に「自分にはどうせ才能はない」と投げてしまったら、九九でさえいつまでたってもできないですよ。
英単語を覚えるのも計算が上手になるのも活字を読むスピードをつけるのも何でもそうです。「毎日」と「反復」という二つの言葉が鍵になります。調子が悪いときは、そのどちらかが欠けている。漠然と嘆かずに冷静に受け止めてください。
- その9
- 自分の専門教科は国語なのですが、ときどき受験間際になって国語のテスト問題を解き終わらないのですが・・・と相談にいらっしゃる受験生がいます。読みきれない。書ききれない。とくに難解な長文を出す高校の問題が終わらない。
工夫して早く読みなさいとしか言えないですよ。とにかく早く読む。だからこそ、低学年のときからこちらは読書をしなさいとずーっと言ってきたのです。一日20分でいいから毎日読みなさいと。読みきれないとおっしゃる生徒は、中3の夏ごろから教室にいらした方が多い。そのころはさすがに「読書でもしようか」という余裕がなくなっています。全教科やることがたくさんある。本当はそれまでにしっかり読んでおかなければならなかった。しかし、その当時は「読んでおかないと将来困りますよ」とアドヴァイスしてくださる方がいらっしゃらなかったのでしょう。いまの世の中活字を読まなくてもいくらでも生活できてしまう。その結果、受験が近づいて慌てることになった。私たちは活字を読み、それを映像化させます。無意識のうちにそうしている。たとえば「熊が出た」と書いてある。熊の映像を思い浮かべますね。何色ですか? 黒色か褐色か灰色か。 熊だけではありません。山や樹木も何となく思い浮かべるはずです。場合によっては動きまで想像する人もいるでしょう。立ち上がっていますか? 四足ですか?
文章をすばやく読むためには、どうしてもそういうやわらかな想像力が必要なのです。ところが読む習慣のない人は想像するのに手間がかかる。
読むものははじめは何でもかまいません。サッカーが好きならサッカー選手の、芸能界に興味があるなら芸能人のエッセーで十分です。音読しなくてもいいですよ。読んで楽しむ。読むことに没頭する。それを日々心がける。
あいだを空けるとせっかくの習慣がすぐになくなってしまいます。筋力トレーニングと同じであると考えてください。サボれば衰えます。毎日読むことをご自分に課してください。
- その10
- 1日にどれぐらい勉強すればいいですか? というご質問を受けることがあります。もちろん学校での勉強はべつですよ。基本は終わるまで、できるようになるまでです。いい成績をとりたいのであれば、終わるまでいくらでもやるという覚悟が必要でしょう。
そのうえで目安を書いておくと、すごくできるようになりたいのであればとりあえず1日2時間以上ということになると思います。中学1年生からそれぐらい。当然上の学年にいけばいくほど時間は延びます。これはある公立中高一貫校に入学された中1の生徒さんに学校から指示される勉強の最低時間でもあります。できる人ならそれぐらいでも大丈夫かもしれないというニュアンスで伝えられる。つまり人によっては3時間、4時間やらなければならない。終わるまでということです。
それぐらい勉強しているから、大学進学の実績が出るのですね。そういう努力を続けた結果としていい大学に合格している。皆さんはそのまえに高校入試があることはありますが、先のことまで考えたとき質的にも量的にも中高一貫校の生徒さんに負けるわけにはいきません。あなたの通われている中学の仲間がどうであれ、それぐらい努力している中学生が現にいるということです。
問題なのは、ほかのことが忙しくてそんなに勉強していられないよというケースです。難関高校や大学を目指すのであれば、それは本末転倒です。仕方がないなですませてはいけない。
少し生活を整理してください。部活などをあきらめろというわけではないですよ。隙間の時間をうまく利用してください。5分、10分でもその気になれば相当のことができます。学校の休み時間を4回利用すれば40分稼げます。忙しい日はそういう工夫があってもいいはずです。
時間を作るために、部活のあと友だちとお喋りしながらだらだら帰るのだけはやめたという先輩もいました。忙しい中で時間を作れるがどうか。勉強しようという意志が試されています。
- その11
- 少しずつ核心に近づいています。
勉強の核心とはこういうことです。知らないことを知ること、覚えること、できなかったことができるようになること。これが定義です。
すでにできることをなぞるのは勉強は勉強でも効果という意味ではちょっと薄いかもしれません。ときどきひたすら問題を解く人がいます。何時間もかけて何教科も解く。数学90点、英語80点、国語70点。採点してミスしたところは解説を読む。ああ今日もよく勉強した。4時間近く頑張ったで終わってしまう。
机に向かい続けた気力は賞賛できますが、このやり方でどれぐらい力がつくかはちょっと心配です。つまりあなたははじめから数学90点、英語80点、国語70点分の実力は持っていた。それはもともとあなたに備わっていたもので、今日の勉強でついたわけではありません。できなかった数学の10点分、英語の20点分、国語の30点分はどうなっていますか? 解説をざっと読んだ程度で本当に「知った」「覚えた」「自分のものにした」と言えるでしょうか。
勉強の要諦はこういうところにあるのです。さらに時間をかけて間違えた部分を徹底的にやる。何度も何度も書いてみるといいでしょう。声に出して読んでもいい。最後に問題を書き写して自力で解き直す。
それですらすらいくのであれば少し安心です。すらすらいかないようなら翌日もう一度やってみてください。
問題集というのは「できるところとできないところの見極めをつけるために」やるのです。何時間問題を解き続けても「できなかったところをできるようにする」という大前提が崩れていたら何にもなりません。
長時間机に向かっているのに効果がないと嘆く人がいますが、このあたりに問題があります。未知のものを既知のものに変えていき、さらには得意なものに昇華していく過程こそがホンモノの勉強だということです。
- その12
- 学力をつけるためにはどうしても語彙力を高めないといけません。語彙力がないとすべてからまわりしてしまいます。言葉の力をつけることが出発点だと考えてください。
最近は中学高校生用の語彙力養成テキストも市販されています。1500語以上の言葉が整理されて載っている。順番に覚えていくといいのですが、残念ながら中学生ですと正しい使用法がつかみにくいときもありそうです。
たとえば「乖離」(かいり)という言葉が載っています。乖離というのは辞書には「結びつきがなくなること」という説明が出ているでしょう。あるいは離れることとか。
あの人の意見と自分の意見にはだいぶ乖離があるという感じで使います。しかし名古屋駅から岡崎駅まではけっこう乖離があるとは使いません。こういうところが場数を踏んでいないと体得できない。中学生同士の会話に出てくる熟語ではありませんからこの言葉を正しく理解できている中学生は、活字で体得したということになります。だから読書が大切だと強調するのですよ。乖離という言葉は、大人の読み物には頻繁に出てきます。何度も何度もぶつかっているうちに(なるほどこう使うのか)とわかってくる。そうやってぶつかる回数を増やす。
アイデンティティーなどという用語もそうですね。辞書をひいてもぴんとこないかもしれません。しかし、何度もぶつかっていくうちに「感じ」がつかめてくる。「自分らしさ」ぐらいの解釈でちょうどいいのかなとわかってくるはずです。
語彙のテキストを材料にご家族でお話してみてもいい。一日に5つぐらいですかね。取り上げてお互い「こんな言い方はあるだろうか?」と話してみる。お兄さんお姉さんがいらっしゃる方は、ときには輪に入っていただくといい。食後、今日も5つ見てみようかと本当に遊び感覚でいいのです。10分もかかりませんし、根をつめてやる必要もありません。言葉のやりとりを楽しむだけです。そういう文化的な空間自体が大切なのですよ。
- その13
- 今回は心理的な問題について触れてみます。勉強法はわかってきたのだが、勉強する気持ちになれないという方がいらっしゃる。
そもそも、あなたはなぜ勉強するのですか。テストがあるから? 受験があるから? 勉強しないとおうちの方や学校や塾の先生に叱られるから? あるいは勉強すると褒められたりお小遣いを多めにもらえたりするから? どれも悪い答えではありません。本音はそんなものかもしれないですね。それでは、志望校に合格したらどなたが喜びますか? もちろんあなた自身は喜びますね。ご家族が喜ぶ。お友だちも喜んでくださると思います。一緒に合格できた仲間はとくにそうでしょう。学校や塾や添削者の先生も喜ぶ。私(長野)だって喜びますよ。コラムを読んでくださっていた方が合格されればうれしくないわけがない。
変なことを書きますが、それでは志望校に万が一落ちたらどなたが悲しみますか? あなた、ご家族、学校や塾や添削者の先生、そして私。するとAくんが合格してもBくんが合格しても世界はたいして変わらないことになります。合格という幸せがAくん側に行こうがBくん側に行こうが、大勢に影響がない。
ところがもしAくんが世の中全体のために勉強していたらどうでしょう。合格の先の先まで見すえていて、将来少しでも世界をよくしていくために運命を切り開こうと努力していたらどうでしょう。一般の人はこぞってAくんを応援すると思います。Aくんの成功が自分たちの利益にもなるからです。
そういう視点もぜひ持ってくださったらいい。勉強することが許される環境に暮らしている人間は全世界でごくごく少数です。その人たちが頑張らないかぎり、いまの世の中はあらゆる意味で救われません。貧富の差、人種や文化間のトラブル、環境問題や多発する複雑な紛争、それらを解決できそうなのはきちんと学問するチャンスに恵まれたあなたたちだけです。勉強をはじめることがいずれ世界を救済することにもつながるのだと考えてみてください。
- その14
- 時間がない時間がないと嘆きながら時間をむだにしていることは大人でもよくあります。春期講習のある日、教室でこういう光景を目撃しました。
1時間目の国語の授業が終わった。私は明日の宿題を告げてから黒板を消しはじめました。わざと丁寧に消すのですが、それは丁寧さというものを考えさせるためでもあります。何をするのにも1つ1つの作業を丁寧にというメッセージですね。さらに授業の価値の一部は、スタート時点の黒板がどれぐらいきれいかで決まるという気持ちもあります。2、3分かかりますかね。教室を出て行こうとした。するとつい数分前に告げた宿題をやっている子がいました。10分間の休み時間内にやれるところまでやってしまおうというのでしょう。
なるほど考えているなと感心しました。15分はかからない問題です。しかし、10分だとちょっと短い。ぜんぶやり切る必要はないですね。少しでも見ておけば帰宅してからうんと楽になるでしょう。ひょっとすると今日はすべての授業でそうするつもりかなと思ったので、それとなく観察していました。すると次の休み時間も終わったばかりの教科の宿題をやっています。きのうまではこうではなかった。ということは・・・おそらく今日だけ帰ってからやるべきことが詰まっているのでしょう。お稽古事とか部活の関係とか、ご家族やお友だちとの約束かもしれません。だから休み時間を活用している。
受験生でもないのにそうしたことを冷静に考えられるのは偉いと思いました。勉強していたから偉いという意味ではありませんよ。伸縮自在な要素がある時間というものを自己の管理下に置いているところが偉い。
こういう「大人の判断」ができるようにならないといくら潤沢に時間があっても、結局足りなかったということになりかねません。何をやるかということより、どこでどうやるかということのほうがよほど大事です。日々、油断なく作戦をたててください。
- その15
- 復習のやり方について書いておきます。見直しておきなさいという表現がありますね。これは完全に自分のものにしておくようにという意味です。完全にです。
春期講習のあとで確認テストというのがありました。そもそもよくできるある生徒が午前中に英数国の試験を受けました。午後は理社ですね。その後もずっと自習していました。そして夕方、英数国の解答用紙をもう1組もらえませんかと受付まで来た。何をするつもりなのかはわかっていたので渡しました。意欲のある生徒には当然それぐらいのサービスはしています。はたしてもう一度午前中に解いたテストを解きなおして自己採点して持って来ました。記述のところができているかどうか確認してほしいという。
点数を見るとほぼ90点とれている。2回目で90点です。あとはさらにミスした10点分を見ておくといいでしょう。文法は今度はぜんぶできていましたとうれしそうでした。知識項目ですからね。きっちり復習すれば絶対にミスがなくなるはずなのです。それを何となくわかったぐらいで放置しておくからいつまでたっても同じようなミスをする。
で、同じ中学生の皆さん(小学生でも高校生でもじつは同じことなのですが)はここまでやっていますかというお話です。その日のうちに間違えた問題は解説を読んで理解する。そしてもう一度解き直す。この一連の作業でいちばん大切なのは「もう一度解き直す」というところです。
時間がなければ間違えた問題だけ印をつけておいてそこだけやり直してもいいでしょう。ミスがあった部分だけをもう一度ゼロから解き直す。そしてミスしたところは覚え直す。
復習というものを「ただぼんやりノートを見返すこと」ぐらいに判断している方がいますが、それは自動車の運転を絵で覚えようというのと同じぐらい無謀なことです。自分ができるようになっているところを実際に確認してください。自信もそうやってつけていくのです。
- その16
- 勉強のできるできないというのは、ある意味文化度の違いみたいなところがあります。これは優れている優れていないというお話ではありません。音楽に置き換えていただくとわかりやすいかもしれませんね。おうちの方皆さんが音楽がお好きで楽器演奏などを好まれれば、自然とお子さんもそうなってきます。ご家庭にいつも音楽が流れている。おうちの方が頻繁にピアノやギターを奏でている。そうした中で、音楽にまったく関心を抱かずに生活するのはむしろ難しいと思います。
以前、私が授業中に問題文で出てくる小説家のエピソードをちょっとだけ披露すると、必ずその小説家の本を買ったり借りたりして読む生徒がいました。志賀直哉、太宰治、芥川龍之介、川端康成・・・中学生にとってはちょっと難しいかもしれないと思ったので、むりして読まなくてもいいよと言いました。いまは自分が面白く感じるものだけを読めばいいよと。
ところが未知なもののほうが刺激的で面白いと言うのです。確かに退屈なものもあったけれども刺激的なものもあった。
昔から本は好きなのかと質問すると子どものころから大好きだと言う。そういう文化圏ですでに生活していたということですね。それでは遠慮なくということで、私は梶井基次郎や梅崎春生、田山花袋なんかも薦めてみた。いちいち感想は伝えに来ませんでしたが、高校生になってから「人が言うほど田山花袋の『蒲団』に嫌悪感は抱きませんでした」というようなことを話しに来ました。じつは私もそうだったので、こりゃ完全に同レベルだなと思いました。
オシャレをするとき、どの文化圏に属しているかで方向性がまるで違ってきます。ある人にとって短パン姿は非常にオシャレでも、ある人にとってはみっともないということになる。刈り上げた髪型を素敵だと感じる人もいれば、長髪でなければ恥ずかしいと考える人もいる。要するに文化圏の違いです。あなたは所属する文化圏の影響を強く受けています。勉強のことを考えるのであれば、自分が勉強に向いた文化圏で生活しているかどうか(友だち、娯楽、生活習慣、話題など)は常に意識されてもいいと思います。
- その17
- ときどきどうもやる気が出ないのですが・・・という相談を受けることがあります。やる気が出ないから勉強に手をつけない。やる気が出てきたらやろうと考えているのです。
残念ながらその発想では、最後までやる気が出ることはないかもしれません。テニスやサッカーと同じで、やっているうちに面白くなってきたりますますやる気が出てきたりするのですよ。もしとりかかる前からやる気があるとすればすでに相当の上級者であり、勉強をはじめる前から楽しみな人は間違いなく優等生でしょう。ですから一般の小中高生が勉強に向かう以前にあまりやる気が出ないというのはあたりまえの状態であり、深刻な何かではありません。と同時に、そうであればやる気が出るのをただぼんやり待っているというのは非常にまずい対処法だと気づいてください。
何だかんだ言っていないで、まず机に向かうのです。テキストとノートを開く。英文を音読する。計算式を書く。とにかく作業の中に入ってください。そうやって少し経過するうちに「今日はけっこう進みがいいかも」という日が出てくるでしょう。いわゆるやる気が出てくる。ランナーズ・ハイと同じで、それは走り続ける過程で生まれてきます。
勉強をしていない状態で勉強に対してやる気を持つことは不可能です。なかなかやる気にならないのは、まだ勉強をはじめていないからです。声に出して読んだり手を動かしたりして練習していないからです。
毎日やる気が出ないという人は毎日たいして勉強していない人だということになります。調子が出る以前にやめてしまっている。それは人間ですから、いくら頑張っても調子の悪い日はあるでしょう。しかしいつもいつも調子が悪いというのは、本気で取り組んでいない証拠です。本気で取り組んでいればご本人の中に、いつもよりいいという感覚が必ず出てくる。その感覚を味わうことが大切です。次のやる気につながってきますから。
- その18
- 勉強するときに声は出ていますか。少なくとも英語や国語の勉強をされるときには声「も」使ってくださるといい。もっと書いてしまえば、英語の音読なんかは立ち上がって身振り手振りをつけるぐらいまでやってほしいところです。
そういう先輩がいらっしゃいますよ。会話文のところなど本当に感情をこめて、実際にどなたかとお話しているように発音する。感嘆文。心をこめて「wonderful!」と発音する。ちょっとやってみてくださいよ。つまらなそうにぼそぼそ「How wonderful to see you・・・」と呟くのと、立ち上がって大声でうれしそうに発音するのとでは頭に残ってくるものが圧倒的に違います。中には呟くことさえ面倒がってただ字面を追っているだけという人もいる。同じテキストを使って勉強しているのに差が開いてくるのは、そうした部分だという自覚を持つことです。何をやるかではない。どうやるかなのです。
身振り手振りなんて・・・ばかばかしいような気がするかもしれませんね。ただ、こういうことはやり出してはじめてその面白さや効能がわかるものなのです。保護者の方からうかがった話です。お嬢さんは大声でジェスチャーをつけて英文を読んでいる。はたから見てふざけているようにも感じられるし、あんなことで本当に大丈夫なのでしょうかと心配されていた。ただ現実に彼女は英語で高得点をとり続けているわけで、要するに勉強が遊びに近いところまで昇華されているのです。音読という作業が楽しくて楽しくて仕方がないところまで進化している。楽しんで勉強している人にはかなわないですよ。
見ているだけというのがじつはいちばんつまらない勉強法だということに気づいてください。楽ではあるかもしれませんが、つまらない。躍動感がない。参加していないからです。テレビのサッカー番組は確かにすごく面白いかもしれませんが、ご自身が試合に参加したらもっともっとエキサイティングで面白いでしょう。どうやったらより多く参加できるのか工夫しながら進めていく必要があります。どれだけ声を出したか、どれだけ書いたか、どれだけ身体を動かしたか、どれだけ楽しめたか。そういうことですね。
- その19
- 高校受験の場合、入試はだいたい1教科50分が多い(例外はたくさんあります)ですね。それぐらいはどうしても集中できなければいけないわけです。ですからふだん勉強する際も、気が向く限り・・・ではなく、だいたい50分のリズムで集中できるように気をつけるといいと思います。計画をたてるとき50分を1つの区切りとする。
50分の枠の中でできそうなものを用意しておく。複数でもいいですよ。計算練習20分、読解問題30分という形ですね。計画はそれなりにたてるにしても、行き当たりばったり「まず英語でもやるか」と臨んでいる人が多いように感じます。やるべきことのリストを作ってください。そして優先順位をつける。好き嫌いではなく冷静に。
来週からの中間テストの理科の勉強がしたい。けれども明日漢字の小テストがあるというのであれば、明日のもののほうが優先順位は高くなりますね。場合によっては勉強時間を延長することになっても、まず漢字はやってしまったほうがいい。嫌いな科目はあとまわしという人がいますが、あとまわしにしているからますます嫌いになるのです。優先順位が高いのであれば、どの科目でもちゅうちょなく手をつけるようにしてください。すると嫌いというのは一面の見方にすぎず、本質的にはいいも悪いもないということがわかってくるはずです。嫌いという選択をしている自分がいるというだけのことです。
50分のサイクルを2つ使うと100分、3つ使うと150分になります。それでも2時間半ですね。試験前はそれぐらいはやろうと思えば絶対にできるはずです。
こういうやり方をしているうちにさらに「あと50分だけはやってみようかな」と思う日が出てくるから不思議ですよ。50分という枠があるからやってみようという心理状態になる。枠がなければそうは考えられないものです。安心感が大きい。そして50分ぶんだけ何かをやる。枠の中に何がおさまるかということも、だんだんわかってくるはずです。
- その20
- 先日、保護者会で数学の先生が面白い話をされていました。今日はそのお話を書こうと思います。
みんないい生徒ばかりである。大人しく授業を受けている。何も問題はないようにも見える。ところがじつはこうしなさいという教えを「正確には」守らない。反抗的で守らないわけではなく、言われた通りにやらなくてもうまくいくだろうと勝手に解釈して省エネみたいなことをする。例に出てきたのがy=2×2というやつでした。xが-1から2までの値をとるときにyの値はどうなるか? 先生は必ずグラフを書いてから解きなさいと教えている。ところがこんなの書かなくても・・・と甘く考えて書かない。書かないで式に数値を代入して2~8という誤答を出す。
グラフをきちんと書けば放物線が0を通るということがひと目でわかります。どうして言われた通りにやらないのかと聞くと「できると思って・・・」と答える。悪気はないのです。しかし、やりなさいと言われたことはきちんとやらないといけない。そんなにむりなことを要求しているわけではありません。
国語にしても漢字テストがあまりにも悪かった生徒に「本当に三回ずつ練習したのかね」と質問することがあります。必ず三回は書こうと言っています。照れ臭そうに書きませんでしたと答える。忙しかったと答えるのですが、本当はそうではないですよ。3回ずつ書いても十数分で終わります。一週間に十数分も取れないわけがないと思いませんか。
どの教科でも同じです。言われた通りにやらなくても何とかなると勝手に考えてしまう。そして、例外なく楽なほうへ楽なほうへとやり方を変えていきます。それで確かに何とかなる日もあるかもしれませんが、ならない日も出てきてしまう。「ケアレスミスだから」とごまかし続けていては進歩がありません。
初心のうちは自己流を取り入れてはいけないのだぐらいに考えてください。習った通りに、正確にやりましょう。
- その21
- 最近ちょっと心配なのですが、そもそもエネルギーの欠如している子どもが増えているように思います。勉強がいやというより、何をするのもおっくう・・・みたいな感じ。エネルギーそのものが若干枯渇気味なのです。
そういうのは、おおむね生活から来ています。疲れている。理由はいろいろあるでしょう。肉体的なものより精神的な要素が大きいかもしれません。友人関係であるとか学校の部活であるとか。勉強以前に、整理できることは整理してみてください。いやいや部活をやっているという中学生がいました。本当はやめたい。やめたいけれどもやめると友だちにばかにされそうな気がする。それで週に何回もいらいらしながら気が向かない練習に出ているというのです。
そんな状態では勉強どころではないですよ。大人だって心配事を抱えていては仕事が手につきません。まして中学高校生の方ならなおさらでしょう。その生徒の場合、思い切って部活をやめたら状況はうんと改善しました。すべての変化は成長という側面を持っているのだということに気づいてください。はじめは楽しいと感じていたことが苦痛になってくる進歩や成長だってありえます。「一度決めたことだから」と歯を食いしばってやり通すのはもちろん自由ですが、乳歯が抜け落ちるように自然に離れていく選択肢があってもいいと思います。
たとえば一般的に大人は子どもほど大声で走り回ったりしませんね。自然とそうなったわけで、その自然さは責められるべきものではありません。
人それぞれ成長速度が違う。だから友だちもくっついたり離れたりする。一度友だちになったからといって死ぬまで親友でいなければならないという義務はありません。お互いの目指す方向や趣味が違ってきても、別の人格なのですから当然ですね。
ご自身の本当の気持ちに耳を傾け、生活を整えてください。スケジュールをたてるのはそれからです。気持ちよく勉強に入れる環境作りはとても大切だと思います。
- その22
- ご自宅で問題演習なさるときもなるべく解答はノートに書いてください。テキストに書きこめるようになっていても、ノートに書くクセをつけられたほうがいいと思います。いちばんの理由はテキストに直接書きこんでしまうと復習がやりにくいということです。
できなかった問題は解答を読むだけではいけません。解答を読んで理解して、時間を置いてからもう一度解き直す必要があります。書きこんであるとそれがやりにくい。ゼロから解き直せないのです。
もう一つの理由として、大きな白いページ(罫線ぐらいは引いてあるでしょうが)でないとのびのびと考えられないという事情があります。国語の記述問題などでよくありますね。この要素とこの要素を入れようと箇条書きにしておく。そのうちにそうだ、もう一つこのことも入れようと思いつく。テキストの小さな解答欄でそんな作業ができるでしょうか。せいぜい完成された解答を書く程度のスペースしかありません。解けなかった問題の解答を丁寧に写せるのもスペースが十分あるからです。テキストですと間違えた解答の下部にごちゃごちゃ書きこむ程度になってしまう。
つまり1.復習がしやすく2.のびのびと考えながら解けて3.正解も省略せず丁寧に書き写せる…わけで、どう考えてもテキストに書きこむよりよさそうです。
こんなことを強調するのは学校や塾で直接書きこんでいいよと指示されているケースもあるからです。復習したいからノートに書きたいと申し出ても怒られるわけがないので、そうしてみてください。
ある生徒は英語の教科書全文をノートに写していました。そのほうが説明を自由に書きこみやすいという理由だったのですが、続けていくうちに英文を書き写すこと自体に非常に大きな意義があると気づいたそうです。古文なんかでもそういう例はたくさんある。要するに手間をかけた学習で損をすることはないということですね。逆に省エネ学習は得をしたと思っていてじつは損をしている。よく考えないといけないですね。
- その23
- 内申がなかなか上がらないと悩んでいる人がいます。確かにこれまでとまったく同じでは上がらないでしょう。いままでと違う自分をアピールするからこそ評価が変わってくるのです。
上げたいのであれば一人で悶々と考えるだけでなく、違いを外に表明していくことが大切です。テスト類の点数上昇はもちろんでしょうが、テストだけではない要素もあります。そのあたりはどうですか。たとえば提出物。出さない人はいないと思いますが(出したり出さなかったりでは絶対に上がりません)、雑にやっているとか提出物にシミがついているとか紙がくしゃくしゃになっていたとかということはありませんか。大切なものなのですから精一杯きれいに扱い、可能な限り努力して埋めるべきです。自由研究みたいなものもそうです。「自由」だからこそ全力を尽くす。しっかりした生徒だなという印象を与えることができるはずです。手を挙げないから5をつけないとおっしゃった先生もいらっしゃいました。はっきりおうちの方にそうおっしゃった。一回も手を挙げない。テストの点数がいいのにかたくなに手を挙げない。
どの先生も円滑に授業が進むことを望んでいます。できれば優秀な生徒に授業を引っぱっていってもらいたい。そこで「わかる人?」と声をかけたのにじーっとしている。優等生が引っぱらなくてどうする? ということになる。その消極さは評価できないとおっしゃる。
トップクラスの公立高校の校長先生に質問してみたことがあります。学校によって内申の厳しさに差があります。そのあたりの不公平さみたいなものは・・・とうかがってみました。すると「我が校ではどんな環境下でも認められる真のリーダーを求めているのです」とおっしゃっていました。どんなところでもみんなを引っぱり授業に協力的である生徒が悪く評価されるわけがない。内申が思うようにとれない方は、そのあたりを考えてみてください。
- その24
- ふだんから生徒たちに必ずしも自室でしーんと勉強しなさいとは言っていません。過去、自室だと落ち着かないというお話は何度も聞いたことがあります。どなたの目もない。遊び道具もいろいろ揃っている。遊び道具が仮になくても愛読書なんかは置いてある。ちょっとだけ・・・と思ってついつい遊んでしまうというケースはじつはけっこう多い。真面目な方でもよくあることです。
自宅のリビングルームでやるというお話は頻繁に聞きます。印象としては女子生徒に多いかな。さすがにテレビは消してもらって、皆さんのいる中で勉強する。学校や塾の自習室や図書館でないと勉強できないという方もいますね。うちの息子も大学受験のころ、自宅ではやる気にならないと言っていつも外出していました。皆さんが勉強している姿を見て自身を励ます要素もあったのでしょう。
以前よく行っていたあるお蕎麦屋さんで、空いている客席で高校生ぐらいの息子さんと思われる方が一生懸命勉強されている姿を何度も目撃したことがありました。お店はうるさいのですよ。でも、関係なく一心不乱に打ちこんでいらっしゃった。集中できるできないはたぶんに心理的なもので、その状況で本当に全力で打ちこめるのであれば周囲があまりやきもきする必要はないと思います。
そのあたりはご自身でも意識してください。音楽を流しながら勉強することが本当にご自身のためになっているのであればそれもいいでしょう。勉強だけだと退屈(?)するので・・・という部分が少しでもあるのなら、そこは改めるべきでしょう。
こんなことを書いている私もいちばん集中して読書できるのは電車の中です。人がたくさんいてわさわさしているのですが、たくさん人がいるからこそかえって集中できる感じがあります。自室ですと静かすぎて私自身が不必要に介入してくる感覚があり、落ち着いて読めないのです。静かだけれども集中できない。そういうこともあるのですよ。
- その25
- もう25回目になりました。今回は具体的な勉強法は休憩して、勉強について少し本質的なことを考えてみたいと思います。そういう機会を持つことも大切ですね。
ときどき勉強を一切しなくてよかったらどんなに幸せだろうとおっしゃる中学生がいます。朝から晩までずーっと遊んでばかりいられたらいいのに。本当ですか?仮に今後は一切勉強しなくていいということになったとしますね。他の中学生はしなければいけないけれども、あなただけはしなくていい。むしろしてはいけない。学校の内申は無条件でよい点をもらえるし、高校にも確実に行けるという約束がとれたとします。
何もやらなくてもいい。365日遊んでいなさいと言われて「得をした!」と思えるのはいったい何日ぐらいでしょうか。友だちは一生懸命勉強しています。明日はテストだからと何かやっている。受験があるからと通信教育をやったり塾に行ったり必死で努力している。朝から晩まで遊んでいるのはあなただけです。当然の結果として友だちはあなたよりはるかに物知りになり、思慮深く知性的になっていきます。どんどん差がつきます。
これ、そんなに楽しいことですか。不安になりませんか。合格が約束されていたとしても心配になりませんか。
人間には知的好奇心があります。知らないことを知りたいと強く願う。ところが勉強しないと永遠にわからない。教えてくれる人がいたら教わりたい。調べる手段があるなら調べたい。それは自然の欲求ですね。放っておけば人は勉強したがるものなのです。
ただ漫然とそんなことを続けていくのは大変でしょう。そこで節目節目に大きめのテストをします。要するに入試ですね。目標を定めにくいでしょうから、それぞれ志望校というものを作ってもらって「入れるぐらい勉強してごらん」ということになる。
こんな便利なシステムが用意されているのですから利用しない手はないですよ。一人でやるのはどれだけ大変か。じっくり考えてみてください。
- その26
- きちんと復習しなさいというようなことを言われていると思います。先生は「きちんと」とか「しっかり」としかおっしゃらない。それでわかってくださるはず・・・という期待がこめられているのですね。ところが全然伝わっていなかったりします。
先日、古文で古い月の呼び方を勉強しました。1月睦月(むつき)、2月如月(きさらぎ)、3月弥生(やよい)というやつですね。ご存知の方も多いでしょう。これはもちろん私自身高校のときにやりました。やったものの正確に覚えなおしたのは大人になってからでした。部分部分あやふやになっていたのです。現在は毎年教えていますから、忘れるはずがありません。
私は中学生にこれを覚えるように言いました。漢字が書けという問題は出ないかもしれないとまで言いました。つまり最低ラインはひらがなで書けるようにしておくことだということを示唆したつもりです。覚えるときには発音しながら3回ずつ書いてみるといいとも言っています。漢字練習などのときもそう言っている。3回書いても危ないなということであればもちろん4回5回書いてみる。この場合であれば、1月――睦月睦月睦月(実際に「むつき」と口に出して発音しながら)ということです。
そうやって復習しておきなさいと言いますね。その通りやってくださるものだとばかり思っています。あえてやらないという反抗的な態度の生徒は文字通り1人もいないからです。
ところがまったくやらない子もいます。漠然とした怠惰さからやらない。復習は面倒臭いという習慣からやらない。
気の毒ですが、そういうサイクルで生きているうちは少なくとも優等生にはなれません。大切なのは何がひらめくかではなくて、学んだことをどこまで丁寧に自分のものにできるかなのです。ひらめく方は確かに頭はいいでしょうが、自分のものにする努力を欠いていれば最後は落ちていってしまいます。
自分のものにするのは授業内だけでは不可能です。そのことは忘れないようにしてください。
- その27
- 全人的なものが試されていると考えてください。これはとくにご本人に強調したい。点数「だけ」を何とかしようという発想そのものが幼いのです。ぜんぶしっかりしてくる過程で、勉強「も」できるようになるのですよ。
いよいよ夏休みに入るわけですが、日々の生活をどこまでしっかりさせるか、そこが肝心です。どれだけ勉強するかではないですよ。生活自体をきちんと構築していけば、必然的に勉強はできるはずです。朝は早めにきちんと自力で起きられるか。午前中に少し稼いでおかないと勉強時間はどうしても足りなくなるものです。とくに受験生の方。昼ぐらいにのそのそ起きてきて、さあ効率よく勉強を・・・などという姿勢そのものが学力不足の原因なのだと気づかないといけない。
夜もまただらだら起きていてはいけないということです。気分転換は必要ですが、朝起きられないほど深夜まで起きていてはいけない。夜眠れないから朝起きられないという人がいますが、朝は何が何でも早く起きる。三日続けてごらんなさい。夜はひとりでに早く眠くなるはずです。
学校に行くとき毎朝7時に起きるとしますね。夏休みも同じように7時に起きるのは苦行でも何でもないはずです。それから食事をしてうんと休憩しても9時には勉強がスタートできます。まず3時間稼ぐ。夜の11時に寝るとしてもあと11時間あります。受験生の方は、仮に半分は他のことをしていたとしても日に8時間以上の勉強時間を確保できますね。
そうしたことを自分で考えられるようになるのが全人的成長です。もちろん8時間行き当たりばったりの勉強ではいけません。どの時期に何をするか、計画をたててください。どの科目もきちんとやる。好き嫌いをなくす。不得意科目という言葉に逃げこまない。
塾や通信の教材を組みこむいい機会ですね。学校以外の勉強をする。まとまった本を読む。それもまた大きな勉強です。インターネットやスマホなどは管理しましょう。自力でできなければおうちの方にお願いする。これはかなり重要なことだと思いますよ。
- その28
- こういうことを考えてみてください。ちょっと面倒な感じの英単語、たとえばFebruaryを覚えなければいけないとします。あなたも覚えなければいけないし、優秀なお友だちも覚えなければいけない。明日の試験に出る。どうやって覚えますか? 見ているだけでなく手を動かして実際に書いたほうがいいですね。声を出して発音しながらFebruaryと書く。一回だけですか? 何回か書いてみましょうか。で、さらにFebruary、Februaryと書いてみる。
覚えましたね? 優秀なあなたのお友だちもまったく同じことをしています。かけている時間もほとんど同じです。で、仮に明日試験があれば――試験直前も見直したほうがいいですが――あなたもお友だちもおそらくFebruaryと正解をもらうでしょう。
まったく同じことをしたのでまったく互角の結果が出ました。私が言いたいのはこのあとです。1つだけの単語の試験なら互角なのになぜ20語、30語、40語になると差が出てくるのですか?
100語ならもっと差がつく。それこそ入学試験ともなるとさらに差が開く。だってあいつは頭がいいし自分は頭が悪いからと逃げる人がいます。本当にそうでしょうか。
本当の理由はそうではないですよ。成績のいいお友だちはFebruary の苦労を100語なら100語全単語で行った。あなたはFebruaryだけは確かに熱心に練習したものの、100語すべてについては同じような努力をしなかった。場合によっては見ただけだったり発音しなかったり省エネになってしまった。違いますか?
できるできないというのはすべてこうした心構えの差です。一つの単語では成功できたわけですから、それをすべてに貫き通せばよかったのです。やり方は知っているわけです。あとはきちんとぜんぶひたすらこなすというあたりまえのことができるかどうか「だけ」なのです。
ときどき自分はやってもだめだと決めつけている人がいます。あいつ(優等生)みたいにできるようになるわけないよ。ただ実際はやっていないわけですから、「やってもだめ」ではないのは確かです。
- その29
- 今日、あなたは一日何をしていましたか。きのうでもけっこうです。一日何をしていました?
最小の単位に最大の情報がつまっています。そういうものです。部分の中に全体の情報がそっくり入っている。遺伝子検査なんかもそうですね。僅かな血液でその人のだいたいのところがわかってしまいます。
つまり今日のあなたの姿が一生のあなたの姿そのものである可能性がある。将来のあなたの雛形ですね。ですからもし今日がまるで充実していなかったとしたら、このまま改善しないでいると充実感のない一生になってしまうかもしれませんよ。今日まるで勉強していなかったのであれば、そのまま必要最低限の勉強しかしない(当然成績優秀者にはなれないでしょう)人間になってしまう可能性は十分あります。
いつかではないのですよ。すべては現在のあなたがどういう状況にあるかで決まると考えてください。そしてまた私たちは、自らの意志で生き方を変えることができます。ここからは今日一日の過ごし方次第で一生が決まるという正しい認識を持って日々生活(勉強)してくださったらいい。
同じように次の質問は、この一時間あなたは何をしていましたかということです。ぼんやり過ごしていたのであれば、今日一日がぼんやりしてしまう可能性がある。
限りなく細分化された一瞬一瞬を充実させる。勉強でもスポーツでも言われることですが、夏のこの時期改めて心してください。連続する「一瞬」を捨てていればそれはやがて一時間になり一日になりひと月一年になり、最後には一生を無意識のうちに捨ててしまうことになりかねません。行動と思考の中で自己を燃焼させてください。その過程でまた面白みも生まれてくるのです。
同じ漢字練習でも今日は全力尽くしているなあという瞬間がありませんか。象徴、象徴、象徴・・・と我ながら丁寧にきちんと濃く書いているなあという日。そういう気持ちを常に意識する。するといつのまにかできるようになっているはずです。
- その30
- テストの答案が返ってきてから見直さない生徒が案外多いので、ちょっと心配です。どうして見直さないのかと質問すると大きく分けて三つですね。まずもう二度と同じ問題は出ないから意味がないと言う生徒がいます。次にやり直そうにもよくわからないのでやり直せないと言う生徒がいます。最後に単純に面倒臭いからと答える生徒がいます。
どの答えも同じことになってくると思いますよ。あなたができなかったところをそのままにしておく。テストを「できるところ」の確認にだけ使っている。あなたという人間が進歩向上していくためにはテストでも何でも同じですが、いままでできなかったことができるようになってはじめて進歩があります。違いますか? いままで鉄棒の逆上がりができなかった。それがある日できるようになった。歌詞を覚えていないのでたどたどしくしか歌えなかった。それがついにすらすら通して歌えるようになった。そうなってはじめて進歩したということになります。
できないものがそのままでは進歩向上していないということでしょう。テストというのは幸い解答を渡されます。簡単な解説も書いてあるものが多いですね。それをきちんと読んでください。だいたいのところはわかるはずです。どうしてもわからなければ先生のところに持っていって質問してください。恥ずかしがらないことです。どんな質問でも先生方は少なくとも生徒にやる気が出てきたことを好意的に受け止めてくださるはずです。
頻繁に質問するようになったら内申が突然上がったと言っていた生徒が複数いますが、わかろうとしているわけですから少なくともその意欲は買ってくださるでしょう。
一学期のすべてのテストの直しをやるぐらいの気持ちを持ってください。そしてまたそれがいちばん効果的な勉強になります。自分ができなかったところを確認しているわけですから、じつはそれ以上「効率のよい」勉強はないぐらいです。
- その31
- ちょっと聞いてみたのですが、夏休みに入って読んでいる人はじつにたくさん読んでいます。読んでいない人はそれこそテキスト以外全然読んでいない。読まないと読解力はつかないですよ。それでも読まないとなってくるともうお手上げです。もちろん見捨てたりはしませんが、ご本人が絶対に読みたくないということであれば、どこかで伸びが止まることは覚悟の上でできるだけの手助けをしていくしかないと考えています。
何を読むかという話もしています。身近なところで新聞を読みなさいと。かたや毎日必ず新聞を読むようになりましたとおっしゃってくださった生徒もいる。どれぐらい読む? と質問すると、だいたい15分ぐらいですかね。面白そうだと思ったところをぱらぱらと拾い読みしている。コラムや社説や投書欄を読んでごらんと提案するのですが、スポーツ欄ばかりですとおっしゃる中学生もいる。
とりあえず読まないよりははるかにいい。語彙や熟語や慣用句、言い回しなどは完全に大人の表現ですからね。最近、新聞に非常に面白い記事が出ていました。人工知能が白血病の患者さんを救ったというのです。特殊なタイプの遺伝子をたった10分で見つけ、適切な治療を施した。おかげで患者さんは退院できたそうです。人間なら2週間はかかる作業だというコメントが載っていました。それを僅か10分!
この人工知能には2000万件以上の生命科学の論文、1500万件以上の薬剤関連の情報を学習させたそうです。すごいですね。
こういう記事を読んで「自分で考える」ことが大切ですね。こんな高度な判断でさえ人工知能ができるようになってしまったら、人間はどうなるのだろうと考える。結論はないですよ。ただ大変な時代であると真剣に感じるだけで意味があります。また、それでは人間でなければできないことは何だろうとも当然考える。あるいは人間であることの価値はいったい何だろうとか。
そうしたことを次々と展開させていくことが「考える」ということですね。
- その32
- 講習のとき「演習授業」というのがあります。まず問題を解いてもらう。その直後に解説する。授業がちょうど1時間なのでだいたい30分間演習、30分間解説というバランスになります。当然、問題は30分(未満)用に作られています。30分でこれぐらいは解き終わらなければいけませんよという分量。
テストではないので点数をつけたりはしないのですが、全員真剣に取り組んでくれます。ただの講義より緊張感があるかもしれません。すると驚くほど早く終わらせてしまう生徒が出てきます。わーっと集中して解く。ある日10分ちょっとで終わらせた生徒がいました。20分の時点では3人ほど終わっていました。30分たつとだいたいの生徒が終えていて、まだ解いている子は少数でした。
あまりにもはやいので本気でやってくれたのかなと一瞬疑いました。ところが答案を見せてもらうとほとんどできている。70字と50字の記述もちゃんと書いてあります。片方は少しだけ減点されそうでしたがもう片方は完璧。後日話したとき「問題を解くのがすごくはやいな」と私は言いました。すると相手は何と答えたか。
昔から本ばっかり読んできたから当然だと思いますとおっしゃっていましたよ。前回も書きましたが、読む読まないの差は本当に大きい。大きくつかむ、すばやく理解する、考えをまとめる・・・活字を読む習慣がある人はすべてに有利です。
蓄積があるわけですね。その子も小学生のときから本をたくさん読んできた。仮に三日に二日は読むとすると年間約250日。もっと読んでいるでしょうね。教科書やテキスト以外のものを貪るようにして読んでいる。日に1ページだけということはないでしょうから最低でも15ページぐらいですか。15ページ×250日で3750ページ。3年間でざっと1万1千ページです。
まったく読まない方との1万ページの差・・・あきらかに歩み方が違ってくると思いますよ。
- その33
- 休みが終わりますね。夏期講習を受けられた方もおおぜいいらっしゃるでしょう。このあと何をなさいますか。
そうですね。復習です。復習の方法について確認させてください。テキストがあるはずですからぜんぶやり直してください。授業で扱った範囲だけでけっこうです。ぜんぶやる。あやふやな項目があればそこから手をつけてみる。案外わからなくなっているはずです。国語で言えばこういうことがありますね。「何段活用ですか?」というところがわからなかった。その問題の解答だけを覚えても復習にはなっていません。「動詞の活用の種類」というところを復習しておく。あまりにも広げすぎるとまたいい加減になってしまいますから、とにかく活用の種類だけは間違えないようにしておく。
夏期講習のテキストというのは夏期だけしか役にたたないものではありません。私は晩秋になってもよくわからないという生徒に、夏期講習のテキストをやり直すように言っています。可能であれば何回もやり直す。何度やってもわからない問題が出てくるものです。テキストはそうやって繰り返し使用してください。どういうわけか成績が苦しい人に限ってやたらと手を広げようとします。「だってもうこのテキストは終わったから」と言う。終わっていないでしょう。終わったというのは、テキストの中のすべての問題がすらすら解けるようになった状態を指します。できないものがある限り、終わっていない。
そうやって繰り返し演習するクセをつけるとできるようになってきます。もちろん音読なども心がけてください。できなかった数学の問題を別のノートにまとめていた先輩がいました。そうした工夫もいいことです。不得手な問題のみが抜粋された手作りの問題集になりますね。
もっと基本をやったほうがいいですか? という質問を受けます。やるべきことはあなたのできないところをできるようにするだけです。基本であろうが応用であろうが、できないところをできるようにするのです。
- その34
- ときどき10分間だけ漢字テストの練習をしてもらうときがあります。一学期に一回とか二回とか。ふだんから皆さんきちんと自宅で練習してきてくださるので、いい点をとらせるためではなく10分間でどれだけのことができるか実感してもらうためです。それと私自身が彼らの心の状態を見たいということもあります。そういうとき、姿勢の差が出てきます。
今年、最上位の私立高校を受験して見事に合格した男子生徒がいました。その子は毎回漢字テストは満点をとっていました。8割でも9割でもなく満点です。満点でないと気持ちが悪いのでしょう。
そういう子ですから厳密に言えば教室での練習時間はまったく必要ありません。つまり10分間何も書かなくても――いつもと同じですから――100点をとるでしょう。
与えられた10分間、その生徒はどうしたと思いますか?
ひたすら練習し続けました。書いて覚える習慣がついているうえに、今回も完璧に準備してきたからでしょう。書くスピードはものすごくはやい。どんどん書いていって普通はむりなのですが、マス目をすべて埋め尽くしてしまいました。それぞれ三回ずつ書いて120のマス目ぜんぶです。
それでも1~2分余りました。びっくりしたのはここからです。
彼はさらに欄外に練習をしはじめました! 一心不乱に書いている。そして時間が来てテストを受け、もちろん満点をとりました。
中にはずーっとテキストを見ているだけという生徒もいた。私は「やってあると思うから必要なところだけ練習して補強しなさい」とは言いました。
見ているだけ、あるいは熱心に書いていなかった子も合格点はとれています。しかし、やはり何かが違う。作業量だけではない何か。精神面というか向き合う気持ちというか。もはや100点をとるためなどという浅薄な理由だけではなくなっているのですよ。練習する用紙が与えられ時間が与えられできるようになりたい自分がいる。素直な生徒が、やはり伸びるように思います。
- その35
- 読んで考える、読みながら考えることは非常に大切です。手もとにあるテキストにこういう記述がありました。「睡眠は単なる活動停止の時間ではなく、高度の生理機能に支えられた積極的な適応行動であり、生体防御技術です」これをご自身でそうなのかとうなずきながら読む。「うなずきながら」というところが最大のポイントです。
読み進めていく過程で「寝てばかりいて」と叱られたことがあるけど、むだじゃなかったのだなという感想が脳裏をよぎる。また「高度の生理機能」「積極的な適応行動」「生体防御技術」のあたりはわざわざ辞書をひくほどの混乱はないかもしれませんが、言葉を知らない中学生であれば「うん?」とひっかかってくるものがあるはずです。そうやってひっかかりひっかかり進んでいくこと自体が大切ですね。
同じような表現に何度も何度も立ち止まるうちに自然に意味がつかめてきます。繰り返しひっかかる必要はどうしてもある。力をつけるためある種の抵抗感は必要なのです。
これをたとえば知識としてだけ得るとしますね。先生かどなたかに「寝ることも身体にとって大切で必要なことだそうだぞ」と概略だけを教わる。効率よく知識だけは身につきますが、何かが違う。読み進めながら「寝るのはむだじゃないのか?」と自分自身で意外に感じたり納得したりする瞬間だけに得られるものがあります。あるいは高度の生理機能って・・・身体の働きという解釈であっているのかなと不安に思う心の揺れ。そうした経験が何よりもご本人を進歩させてくれるのです。その過程が面倒臭いから結論だけまとめて教えてくださいでは絶対に力はつきません。
ですから効率よく時間の節約ということで、せっかく問題文があるのに読み飛ばして問題だけ解いておこうなどと考えるのはもっとも効果がない勉強になります。問いを解くだけではなく、長文を吟味し熟読しそのことについて生活の中でふと考えるぐらいにならないといけないということです。
- その36
- 今日書くことはとても重要なことです。ときどき本末転倒の人がいます。本末転倒の意味はわかりますか? わからなかったらすぐに調べてみてください。
難解な問題集をやっている。添削も利用している。塾にも通っている。ときには複数の塾に通っている。それなのに成績がはかばかしくない。聞いてみると学校の授業をいい加減に受けているのです。教科書をきちんと読んでいない。これは明らかにまずい。できるようになりません。まず学校の授業です。そして教科書は端から端まできちんと読んで理解する。それが基本中の基本であり、塾に通って難しいことを習っているから学校の授業なんかどうでもいいという気持ちでは成績向上は難しいでしょう。
学校ではどの授業も例外なく全力で受けるようにしてください。全力で受けるために当然明日の授業は何をやるのか下調べする必要があります(つまり予習です)。さらに授業内容を定着させるために、やってきたことを覚え直す必要もあります(つまり復習です)。予習と復習は学校の授業を100%活かすために必然的にやることであり、やってもやらなくてもいいというものではありません。
そうしたことを手抜きして塾に行けば何とかしてくれる・・・ではいつまでたっても健全な形にならないのがわかりますか。確かに私たちには生徒がどこでつまずいているのかわかることはわかります。そしてそこを補強する。
ただなぜその分野で大きくつまずいていたのかというところまでは十分見えていません。授業を真剣に受けていないのか、覚え直す(復習)ことをまったくしなかったのか。いずれにせよ、そうしたことが改善されない限りいくら補強しても次から次へと弱点が出てきて追いつかない。
教科書より添削や塾の教材のほうが詳しいからという人もいますが、そうしたことは教科書に出てくるような基本事項を100%理解してからです。何といってもまずは学校の授業、そして教科書です。
- その37
- 暴飲暴食というのはあきらかによくないですね。また夜更かしばかりして、朝はいつまでも寝ているというのもよくないと思います。さらに運動不足だとか大人で言えばお酒を飲みすぎたりタバコを吸いすぎたりとか、あるいは食べているものにあまりにも無頓着な状態もよくないと思います。
何によくないかというと、当然のことながら健康によくないですね。何か不都合な症状が出てくる可能性があります。そして慌ててお医者さんのところへ行く。調子が悪いということをお話して薬を何種類も処方してもらう。ただ基本的に生活がもとのだらしない状態であれば、多少は改善しても完治するところまではなかなかいかないでしょう。
まず正すべきは不調の原因である生活です。規則正しく健康的な生活を心がける。場合によってはタバコなどの悪い習慣(と最近では指摘されることが多いようです)とはきっぱり手を切る必要も出てくるかもしれません。これは勉強でもまったく同じことです。私は「どうしたら勉強ができるようになるのか」というタイトルでずーっと記事を書いてきました。中には私の書いたことを実践してくださっている方がいらっしゃるかもしれません。私の書いていることはいい「薬」ではあるはずです。優秀な先輩方が長いこと服用(?)されてきた良薬だという自信は持っています。
ただ前提条件である悪い生活習慣が残っていると、せっかくの良薬も効果がない可能性が出てきます。
音読20回と書きました。やってくださっているかもしれませんね。ただしずーっと音楽を聴きながらやっている。書いて練習とも提案しました。書いて練習してくださっているかもしれない。でも、練習時にもしょっちゅうスマホで何かを確認している。つまり神経が分断されている。
すると20回の効果が思うように出てこなかったり書いてもちっとも覚えられなかったりということになりかねません。悪い生活習慣と正しい勉強法を併用してもうまくいかないということです。そこは気をつけてください。
- その38
- いわゆる過去問をそろそろはじめようかという方がいらっしゃるでしょう。高校受験生の場合、まだちょっと早い感じですかね。11月の終わりごろからスタートする方が多いと思います。単元学習がまだ終わっていない科目も多いでしょう。
もっとも国語はやろうと思えばすぐにでもスタートできます。余力のある受験生はチャレンジしてみてもいいと思いますよ。あたりまえですが、やさしいものからはじめてください。現在、この記事は特定の地域ではなく全国の方に向かって書いています。具体的な名称をあげるのは難しいのですが、要するに公立高校の入試問題(共通問題)からはじめてください。難関と称せられる国立大学の附属高校や私立高校のものからはじめると難しすぎて、ちょっとめげてしまう可能性があります。
まず共通問題で何点ぐらいとれるか見てください。できれば新しいものからやったほうがいいですね。いちばん新しいものは最後にまわして、1年前のものからやるという受験生もいます。最新の問題は総仕上げ用に残しておきたいというのです。だからといって大昔のものからだんだん今年に近づいていく感じにはしないほうがよいでしょう。入試問題には流行りすたりがあり、傾向がかなり変わるのです。
解答用紙がある場合、コピーして使うと便利です。過去問は繰り返しやる必要があります。コピーを用いると気持ちよく解答することが可能です。
何となく答を覚えているから一度しかやらないという人がいますね。では二回目は満点がとれるのかというと、案外ミスをしている。答を覚えていると言いながらミスをしているのですから、本当はわかっていない。そこを徹底的に復習する。いつも書く通り「自分のできないところをできるようにする」ことこそが真の勉強です。
作文や証明はできれば指導者に見ていただく必要があります。書けたと思っても案外評価が低かったり、逆にだめだと絶望していたのにけっこう途中点がとれていたりもしますから、指導者の目がほしいですね。
- その39
- 数学の先生がよく「ミスしたところは勝手に消しゴムで消さないように」という指示を出されています。間違えたところがあとでわかるように、きちんと赤で訂正しなければいけない。ところがどうあっても慌てて消してしまう生徒がいる。恥ずかしいから一刻も早くなかったことにしたいという心理なのでしょう。そして正しい答を写しておしまいにしてしまう。
気持ちはわからないでもないのですが、そこはやはりきちんと赤で直しておいてください。本当の自分と向き合うことはじつに大切なことです。できていないのなら「できていないご自身」ときちんと向き合う。そして何が悪かったのだろう、どうしたら次はできるようになるだろうと冷静に分析する。ごまかさない気持ちがないと進歩しません。
同じく何でもかんでも「ケアレスミス」で済まそうとする生徒がいますが、それもまた本当の自分と向き合う気持ちが不足しています。大きなミスをする自分が許せない。だからすべてケアレスミスであり、本当はできていてもおかしくなかったという物語を作ってしまう。ときにはご家庭全体で「ケアレスミスが多いね」で終わらせようとしていることさえあります。親子ともどもお子さんがまだまだ努力不足であると認識したくないということなのでしょう。
それではいつまでたっても向上しません。できなかったところはできなかったものとしてできるようにしていかなければならない。「できなかった→できるようになった」は大変な進歩ですが、「間違えたのにできるような気がしていた→だから真剣に見直す気が起きない」ではまったく進歩がないことがわかりますか。
間違えること自体は恥ずかしいことではありません。同じことを三度も四度も間違えることこそ、恥ずかしいと言えば恥ずかしい。真剣に自分のものにしようとしていないからです。
いずれにせよ等身大の自己に真剣に向き合う気持ちは何よりも大切にしてほしいと思います。勉強のことだけではないですね。
- その40
- 授業中こういうことがありました。ちょっとだけ脚色して書きます。特定のクラスのことだとわかってしまうとよくないですからね。
万葉集は奈良時代の歌集であると話しました。古今和歌集が平安時代、新古今和歌集が鎌倉時代ですね。こういうことはぜんぶテキストに載っていますが、私はわざと黒板に書きます。ノートに写しなさいとも指示します。一つずつ時代がずれていくのがわかるかね? と話しました。ほかにもいろいろ話す。まあぜんぶテキストに載っていることばかりですが、音読するだけではつまらないので改めて「お話」の形式をとるわけです。そしてちょっとだけ質問してみる。日本最古の歌集は何だっけ?
古今和歌集と答えた子が複数いました。その場でですよ。けっしてできない子たちではない。しかし古今和歌集と答えました。奈良時代の歌集は何だっけ? と質問されたらおそらく万葉集と即答したのではないかと思います。要するに勉強することに心がこもっていないのです。心というか魂というか、ちょっと違う聞き方をされるとすぐにわからなくなってしまう。魂がこもっていない証拠ですよ。
よくありますね。日曜日の試験の開始は午前10時だよと生徒に告げる。はいわかりましたと素直に答える。しばらくして「何時でしたっけ?」と来る。「10時だよ」「はい」さらに再び「試験、11時で間違いないですよね?」ととんちんかんなことを言ってきたりする。
きちんとメモしておかなくてもいいやという油断があるのです。
メモとかノートとか漫然と書くのではなく、心に刻みこむべきことを心には直接触れられない代わりにこうしていま紙に書いているのだという自覚を持たないといけない。そういう覚悟があまりにも希薄です。こういうことを注意するのは生活指導的な意味ではまったくありません。魂のこもった学習をおろそかにしていながら「自分は頭が悪い」と安易に嘆いたりする方が多いからです。そうではないですよ。魂をこめているかどうかだけです。
- その41
- 私はふだん教室で中1中2中3の国語の勉強を見ています。どんどん成績が伸びていく生徒もいるのですが、なかなか伸びない子もいます。なかなか伸びない生徒というのは頭が悪いわけではなく、だいたいはやることが多すぎて混乱しているのです。
公立高校でもたとえばある高校の校長先生は、特別なコースに進むのであれば部活動はむりだとはっきりおっしゃっていました。楽な部活動であっても楽しんでいる余裕はないというのです。私立高校の特待生や最上位のクラスもそんな感じですね。そうしたクラスは国公立大学を目指すことになる。すると勉強以外のことのことをしている余裕はほとんどなくなってしまうのが現実です。暇がないというよりほかのことについて悩んだり迷ったりという精神的負担が邪魔になる。
生活を整理し、勉強を中心に持ってくる。それだけでは味気ないでしょうから趣味活動もいろいろ楽しみますが、基本はあくまでも勉強であり勉強の邪魔になる何かが出てきたらすぱっと捨てる気持ちがないと続きません。文武両道というのはあくまでもそうありたいという理念であって、文武両道を目指していたから勉強が思うようにできなかったなどというのは本末転倒です。これはもっとも高い志望校を目指すのであればという話ですよ。それぞれ目標は違うわけで、その高さによって考え方は変わってきます。
逆に何となく楽しく生活を送って入れる高校や大学に入るという発想もあっていいと思います。どう生きたいかということですよ。
ただこの法則は現時点でもつねに働いています。部活動をすることは悪いことではありませんが、そちらが大変でろくに勉強ができないということであれば、最上位の高校を狙う人間としてはやはり本末転倒になりますね。
娯楽や趣味やお稽古ごとだけではなく、友だちづきあいも同じです。それぞれの時間はそれぞれの宝であり共通した財産ではありません。自分で大切にする、それしかないのです。
- その42
- 同じ教科書、テキストを使って同じ先生の授業を受けているにもかかわらず違いが出てきてしまうのは、授業の受け方の周辺に大きな差があるからです。そこは意識的に上手になってくださらないと困ります。意識的にです。
ただ「静かに座っている」などというのはまったく意識的とは言えません。もっと能動的に「求める何か」を意識して授業に臨んでください。そのためには何が必要ですか?次の授業で何をやるのかという下調べ(=予習)は最低限欠かせないですね。授業を受けるときは好奇心を持って話を聞いてください。ときどきノートを写すことばかり夢中になっていて、話を聞いていない人がいます。そうではなくしっかり聞いて、これだけは書いておこうというものを厳選するようにしてください。自宅にもどってから改めてノートの整理をしている方もいますが、そこまでやればもちろんできるようになるはずです。ノートの整理は何よりもいい復習になるからです。
そうですね。復習というのは習ってきたことの確認と再構築にあります。
先生が繰り返し音読しておきなさいとおっしゃることがあります。繰り返しというのを2、3回でいいやと思う人もいます。5、6回ととる人もいます。10回以上と考える人もいます。複数の先生に質問してみたらいいのではないですか? 英語の教科書を何回繰り返し音読すればいいのですかと。先生によっておっしゃる回数は違うと思いますが、いちばん多かった回数を採用するべきでしょう。「覚えるまで」と告げられることもあるかもしれませんね。暗記するぐらい繰り返しなさいということです。
英文だけではないですよ。短歌なんかも教科書に出てきたものは、本当はぜんぶ暗記するべきです。昔の優等生の勉強法は――いい塾や参考書などなかなかありませんでしたから――教科書の丸暗記でした。文章を冒頭から末尾まで覚えてしまう。やり終わったらひたすら繰り返す。
いずれにせよ、授業を受けているだけではいけません。授業の前後が大切なのです。
- その43
- 形というものは大切です。そんなの形だけじゃないか・・・と言いますが、形に結実したのにはそれなりの理由があるものです。わからなくてもとりあえずは踏襲したほうが無難でしょう。
たとえばボーリングなんかでもまったく勝手な投げ方をすることはできますね。自己流の投げ方でときにはストライクをとることも可能かもしれません。ただそれでは続かない。すべての物事に正しいフォームがあります。野球でもサッカーでも茶道でも日本舞踊でも同じです。自己流は不可能ではないかもしれませんが、先が続かない。あるいは底が浅くなる。結局は正しいフォームを学び直す必要が出てきます。
勉強にもそれなりに正しいフォームというものがあるのではないか。それをきちんと学んでいないから定着しないのです。
たとえば活動にふさわしいユニホームがあります。きちんとした茶席に、気楽で動きやすいからという理由でジャージ姿で参加したら呆れられるでしょう。動きやすさ以前に心のありどころが問題視される。
勉強するとき――学校では制服でしょうが――日曜日はパジャマ姿で本当にいいものかどうか。勉強もまた一つの伝統芸能であると仮定したとき、接近する姿から本来は真剣に考えるべきだと思います。
机の上が極端に汚いというのは、ゴミだらけのスケート場で演技をしているのと同じです。筆記用具や辞書などが揃っていないというのは、防具をつけずに剣道に臨もうというのと同じです。音読と言われて音読をサボるのは、歌うのが面倒なので声を出さずに頭の中だけでメロディを反芻しているのと同じです。
それなのに「自分はやった」と考えていることはないでしょうか。
素振り十回は十回でしかない。うまくいかないなら目安が十回でも二十回三十回必要になるでしょう。そうしたことを自分で感じ実行できるからこそ上達するのです。英単語の練習も五回書きなさいと言われてそれでも覚えられないときは自分で増やせる真摯さがないといけません。そういう日々を送っていますか?
- その44
- 成績がふるわない理由があまりの過保護さにあるというケースをいくつも見ています。成績がふるわないのでますます過保護になる。つまり「他のことは一切何もしなくていいからとにかく勉強だけしていなさい」という形になる。実際勉強に時間を割くのですが、地に足がついた物の見方ができないのでなかなか成果があらわれません。
勉強そのものも大切ですが、もっともっと人生の深みに気づかせる必要がありそうです。おつかいに出してみてください。細かい指示は出しすぎない。ぶり大根を作るからいいぶりと大根を買ってきてとおっしゃってみてください。「いいぶりと大根って?」ご本人は当惑するでしょう。お店の人に質問してみなさいでけっこうです。さらに「自分でも調べてごらん」とおっしゃればいい。そうやって社会の中で揉まれるように工夫するのです。
別の日はカレーを作るから何百円以内で材料買ってきて、でけっこうです。材料って何だろう? 困惑するかもしれませんが、苦労が器を作ります。
私はご家族(主に高齢の方)のさまざまな身体的な世話をされていた生徒を何人か知っています。そんなこといちいち表明するものでもありませんから、何かのタイミングでおうちの方にうかがう。「へええ、そんな感心なお手伝いをされているのですか」と偶然知りました。
みんな大人びたしっかりした子たちばかりでした。お世話の時間も勉強をしていればもっともっと成績がよかったかというと必ずしもそんなことはない。苦労が人を磨く。大人にするのです。
何かしら生活に密着したお手伝いをしていると、人間そのものが磨かれてくる。トイレ掃除でも食器洗いでも何でもいいですよ。昔食器洗いの手順を通して勉強のコツをつかんだと言っていた女子生徒がいました。洗ったら拭く、拭いたら片づける。当然のことですね。その子は洗い物の作業中、いままでの自分の勉強は洗うだけで終わりだったと気づいたとおっしゃっていた。生活全体からアプローチしてみてください。
- その45
- 毎年、この時期の受験生に言っていることなのですが、受験生の方は偏差値を10上げようとか入試までにあと数十点上げようとか漠然とした目標を持たずに、毎日全教科で1点ずつ上げようという切実な気持ちを持ってください。
英数国、あるいは英数国理社で日々1点「だけ」上げればけっこうです。入試までまだまだ日数はあります。いまのあなたの志望校がどこであれ、毎日1点でも確実に上がれば合格できますよ。もともと「志望校」であって記念受験ではない。であれば、届くか届かないかというぎりぎりのところにいらっしゃるはずです。一日1点、週に7点、月に30点上がれば絶対に届きますよ。
1点上げること自体はそれほど難しいことではありません。たとえば故意の反対語は「過失」であると覚えた。それだけで2点上がる。助動詞「れる・られる」の用法――受身・可能・自発・尊敬――を覚えた。それだけで4点ぐらい上がります。
一つ一つのことを真剣に、落とすまいとして意識的に努力すれば、漠然と偏差値を上げようなどという姿勢より、よほど地に足がついた勉強ができるでしょう。何でもそうですね。「ホームランバッターになろう」ではなく「次の1球を確実に打とう」というほうがはるかに結果が出る。
人間が何かできるところというのは本当にこの瞬間しかありません。昔のことはどうしようもないし、先のことはどうなるかわからない。すごい人(合格できるのは確かにすごい人です)になれるのはいまの瞬間しかない。
この勉強は1点ぶんになるだろうかということを常に意識してください。するとやってもやらなくてもいいということがだんだん少なくなってくるでしょう。どちらでもいいのであればやるしかない。どちらが1点獲得に近いかと言ったら、やるほうに決まっているからです。
覚えたかな? というのもよくありますね。だいたい覚えたような気がする。もう一度書いても書かなくてもいい。その場合は必ずもう一度書いてみてください。私の提唱したい「切実さ」というのはそういうことです。
- その46
- 授業を受けるときのテンポを意識したことはありますか? テンポが非常にはやい人と後手後手にまわってしまう人がいます。どちらがいいかはわざわざ書くまでもないですね。
どこをやるのかはわかっている。今日はここからスタートだということがカリキュラム表で明確にわかる。学校の授業もそう。連続性の上に成り立っていますからね。突然何十ページもとばしたりはしないものです。授業がはじまるまでテキスト(教科書)やノートを開かずにぐずぐずしている人がいます。かたやテキストの今日の箇所を開き、ノートには日づけまで書いて待っている人もいます。両者の違いは習慣がうんだもので、閉じている人は毎回閉じていますし準備できている人は毎回準備できています。
閉じているどころか授業がはじまってからテキストを引っ張り出してくる人もいる。そのあげく「テキストを間違えたので借りてきていいですか」などと言う。
姿勢の違いが授業前から授業中、授業終了後までさまざまな影響を及ぼします。先生が黒板に何かを書いて説明する。大事そうだと思ったら指示がなくてもすぐに書き留めておくものです。書きなさいと言うまでじっとしている人がいます。初回はそれでもいいですよ。ところが毎回毎回待っている。書いておけよと言われてはじめて書く。なぜ「そういうものなのだ」と学習しないのでしょう。
あるいはここが大切だよと言われる。大切だから印をつけておきなさいと低学年のときに具体的に指示されたはずです。
3年生になると先生もただ「大切だよ」としか告げませんね。教科内容だけで、いろいろ忙しいからです。ところがそれだけでは印をつけない人が出てきます。大事なところをマークする練習をさんざんしてきたにもかかわらず、今回は指示が出ていないというだけでぼんやりしている。
できる人とあまりとれていない人では、そのあたりが著しく違います。テンポよく能動的に参加しているかどうか。自分の動きをつねに意識することだと思います。
- その47
- 漢字テストの準備をしますね。たとえば「一衣帯水(いちいたいすい)」というのが出てきました。読み方の課題として出てきた。テストでは「いちいたいすい」と書けばまるがつきます。ただそんな覚え方では当然ながら広がりがありません。一衣帯水とはどういう意味か。わからなければ、国語辞典で調べる必要があります。せめて周囲の大人に質問する。わからないことをそのままにしておくのは感心できません。
さらに「がでんいんすい(我田引水)を地でいく男」という書き取り課題が出てきた。何度か練習すれば我田引水とすぐに書けるようになります。ここまでは誰でもやります。さらに我田引水の意味を調べますね。書き取り課題であれば、おそらく半分ぐらいの人はそうするでしょう。ですが、そのあとの「地でいく男」までは調べようとしません。
調べる人がいることはいるのです。わからないことを絶対そのままにはしておかない人。すると調べない人と調べる人の差は日々開いていきますね。
わからないところは確実に調べる気持ちを持ってください。忙しいときは調べきれないかもしれません。しかし、わからないことがいっぱいあっても調べなくていいと開き直ってしまうと心配です。
勉強というのは「わからないことをわかるようにして覚える」繰り返しです。さきほどの例で言えば「我田引水」を前々から知っていればその部分はいいでしょう。ただ「地でいく男」がわからないままであれば、課題文を完全に理解したことにはなりません。
何かひっかかるところはないか、不安はないかと正直に検討していくようにしてください。ときどき宿題があっという間に終わってしまってやることがないという人がいますが、本当にぜんぶわかっていますか? 問いを解き終えただけではないですか。偶然わからない部分と問いが重ならなかっただけなのに、完璧に理解したと勘違いしてしまう。入試問題でも、教科書の欄外から出題されることがあります。隅から隅までぜんぶ理解してやるぞという意気ごみが大切です。
- その48
- 一般的に、人間は朝がいちばんすっきりしているものです。寝て起きてまだ何も食べていない状態。寝不足だとかそういうことはあるにしても、さまざまな活動――学校に行ったり部活で走ったり食事をとったり友だちと気まずくなったり――を経た就寝前の数時間よりは、朝のほうが格段にエネルギーが充填されています。
とくに受験生の方は朝の活用を心がけてください。朝とにかく早く起きると決める。起きたらすぐに蒲団を抜け出して着がえると決める。この「決める」というのが大切なところです。できれば起きたいとかたまには起きたい、ではない。毎朝起きると決めるのです。そして勉強する。慣れてくれば深夜の倍ぐらいの効果が得られるはずです。深夜だと1時間ぐらいかかることが、半分の時間で終わる。
早朝勉強するときは、活性化させるために積極的に声を出してください。手を動かしましょう。早朝勉強用のノートを作り、朝の勉強が形として残るようにするといっそう効果が上がると思います。
ちょうどいいのは5時起きでしょう。2時間勉強できます。またそのために前夜ある程度早く寝なければいけないというのも、とてもいい習慣になるでしょう。22時すぎには寝てしまう。
塾に来ている生徒でもいますよ。帰ってからは一切勉強しない。学校の宿題はすべて翌朝やるようにしている。睡眠時間についてはいろいろなことが言われていますが、神経質になりすぎないことも大切です。ときには5時間睡眠の日があっても、毎日でなければ大丈夫です。
夜中に何となく起きているというのがいちばんまずいですね。勉強しているようで、あれこれ夢想状態だったりする。ご自身で気づいていないのです。それもまた疲労のせいだと思います。
早朝に2時間勉強してしまうとかなりの貯金ができますね。学校やご家庭で何かアクシデントがあって思うように勉強できなくても、すでに2時間分は稼いでいる。そうしたこともまた大きいのです。工夫してみてください。
- その49
- いろいろなことに手を広げすぎる人がいますが、たいていの場合その作戦はあまり功を奏しません。よく言われることですが、問題集を三冊やるより一つの問題集を三度繰り返すほうが得る内容は大きいものです。
これは勉強に限らないでしょう。確実に自分の身につけるためにはよりよい方法を選ぶ必要があります。解答をすっかり覚えてしまったから・・・という人もいますが、解答を見ないでそっくり書けるようになったのであればそれだけで大成功です。塾もあちらこちらかけもちする人がいますが、できればご自身の気に入られたところでじっくり勉強されたほうがいい。もっとも何か不満があるのならさっさとやめてしまうでしょうから、それはそれで問題ありません。よくあるのは、自分にぴったりの塾なのだがちょっとだけ物足りないというケースです。
そういうときは他塾をのぞくのではなく、通っているところの先生に特別に自分用の課題を出してもらうといいでしょう。
生徒から「もっと勉強したいのでいい課題はありませんか?」と頼られれば、一般的に私たちは大喜びでその生徒にぴったりあった課題を探します。べつの塾をかけもちして新しい人間関係の構築に苦労するよりよほど学習効果があがるでしょう。
課題をどんどんこなしてくださればこちらもさらに出す用意はありますが、その際もひたすら量をこなそうと考えるのではなく、終えた課題の徹底的な復習を心がけてほしいと思います。
またご本人にはなかなか見えづらい要素だと思いますが、ある先生の指導でうまくいきかけていた生徒がべつの先生の指導によって調子が崩れてしまうこともありえます。たとえばよく頑張っているなという評価型の先生とまだまだ努力が足りないぞというという叱咤型の先生に同時に指導されるとしますね。日々、自己イメージが両極端に揺れる。そうした小さなことから混乱してしまう生徒はたくさん見てきました。
指導方針は教室によって少しずつ違ってきます。分裂しないよう気をつけたいものですね。
- その50
- テストではさまざまな観点から処理能力が試されます。「自力で」どう判断しどう道を切り開くか。助けてもらわなければできないのでは非常にまずいのであって、依頼心いっぱいでは何もうまくいかなくなります。
日々の生活内で「みんながわかっていることがなかなかわからない」という状況は、ご本人自身が強い気持ちで改めていかなければならないと思います。意地悪ではなく、そういう力をつけることが学力向上につながってくるからです。具体的に書くとこういうことです。
テストの日に受付のボードに学年とクラスと名簿、さらに教室番号を貼りだしています。それを見てご自身の名前を確認し、指定された教室に入ってテスト監督がやってくるのを待つという流れになっています。
9割以上の方は問題なく教室に入っていきます。つまりここまで掲示してあれば、それが当然であるということです。
ちょっとだけまごまごする人もいますが、基本的に「そこに書いてあるだろう?」と声をかければ自力で見つけて教室に向かいます。
ところが――偏差値とは関係なく――単純なことがなかなかできない人も出てきます。そこはやはり改善の意欲を持たないといけない。そんなことが自力でできないようでは、複雑な課題をこなせるわけがないからです。そこでこちらはすぐに教えずに、ちゃんとボードを見なさいと指示します。1回でも2回でも自力でやれたという達成感を持たせたいと考えるからです。
ところが中にはご本人がはなからあきらめてしまうケースがある。ボードを見ようともしない。いまにも泣きそうな表情で、自分のクラスはどこですか? と頼ってくる。そこまで言われればもちろん全面的に助けるのですが、貴重なチャンスを1回分つぶしてしまったという気持ちは残ります。
多くの場合、彼らは日常生活であまりにも依頼心が強いのです。整理整頓も準備もスケジュール管理もすべて他人任せになっていたりする。勉強以前に大きな差がついています。それはご家庭全体で考えられる要素ではないかと思います。
- その51
- 史上最年少棋士の誕生で将棋界がにぎわっていますね。中学2年生だそうです。ある雑誌で彼のインタビューを読みました。将棋が大好きなのでぜんぶの時間を将棋に使っている。部活などもやっていないし他の活動にはあまり興味を持てない、将棋に没頭したいという内容が語られていました。
どこをどう読んでも、いやいや努力しているわけではない。ここはものすごく大切なところだと思います。ときどきご自身で「けっこう勉強しているつもり」という生徒がいます。勉強しているつもりなのに成績は思ったほどよくない。私は大勢の生徒を見ていますから、そうした生徒が本当のトップ層と比べるとどれだけ勉強が足りないかということはよくわかっています。
何の世界でもそうでしょうが、トップにくるような人間は大変な喜びの中で、そのこと(勉強なら勉強に)に努力されている。嬉々としてという状態が結果を生むのです。
昔、ものすごく勉強ができる中3生に成績がいい秘訣は何か? と質問したことがありました。
すると彼は言下にこう答えた。「だれよりも勉強しているからですよ」これほどわかりやすい答はない。くわしく聞いてみると、彼より勉強している人間を彼はいままでに一人も知らないと断言していました。「けっこう勉強している」というのはこういう状態を指すものであり、いやいや長時間机に向かっているだけなどというのは勉強に対する解釈が違うのです。
もっとも私は全員がそうやって勉強しないとだめだと考えているわけではありません。それぞれの道があるでしょう。
ただトップ層の成績を収めたいのであれば、中学2年生のプロ棋士がそもそもほかのことはまったくやる気がしないというのと同じぐらい勉強に没頭しないと難しいのではないかと思います。彼らはじつは遊んでいるときも勉強のことを考えています。お風呂の中でさえ英文を思い浮かべていると言っていた優等生がいましたが、机の前だけでなく生活ぜんぶで勉強しているからできるのです。
- その52
- 生徒がいわゆる過去問を解いているのを見ていて感じることがあるのですが、復習する時間があまりにも短い人がいるのでちょっと本当の目的を考えてほしいとも思います。50分なら50分かけて問題を解きますね。終わりきらなかったところがあった。作文なんかはそうかもしれません。残念だったということでマルやバツをつける。わかる範囲で得点も入れてみる。だいたい70点か、もう少しほしいかな・・・で、終わりにしてしまう人さえいます。
本当はそこからですよ。やるべきことが出てくるのは、そこからです。
問題を演習すること自体は勉強というより「診断」だと思ってください。ご自身がどれぐらいとれるのかといういわば健康診断です。
できなかった(終わらなかった)ところこそが治療すべき箇所で、そこをじっくり治すことであなたははじめて完全な健康体になれます。放置しておいたら何も変わりませんし、ひょっとするとひどくなるかもしれない。ひとりでに治癒することはめったにありません。
終わりきらなかったところはぜんぶ埋めてみてください。作文は10分ぐらい制限時間を設けて実際に書いてみる。10分で終わらなければ、どこをどう変えていったらうまくまとまるか作戦をたてないといけません。そしてさらに書く。
暗記するべきものが覚えられていないようであれば、当然練習が必要です。べつのノートで練習してください。覚えるまで練習することです。
ときどき問題集を片っ端からただ解いているだけの人がいます。解いたあとにきちんとやり直しをしていない。たとえば数学の問題を解いたとしますね。解けなくて、解答を見て何とか理解できた。本当に理解できたと思ったところで、すぐに解答解説を見ないで解き直してみることです。
時間がかかるようであれば翌日にはもう忘れてしまうかもしれません。翌日も念のためにもう一度解き直してみる。それが勉強です。
健康診断は健康法ではありません。健康診断の結果で何をどうするかを決めるべきだということです。
- その53
- 昔の小中学生より現代の小中学生のほうが、忍耐強く正確に物事を理解しようという姿勢に欠けています。欠けているという自覚を持てればまだいいのですが、自分たちの理解力が欠けているのではなく、相手が不親切だから仕方がないぐらいに考えている場合もおおいにあります。
理解できない自分たちは悪くないというわけです。理解できない書き方をしているほうが悪い。ときにはご家庭全体がそう考えていたりもします。しかし、入試問題があくまでもあえてわかりにくいこと(相当わかりにくいですよ)を細々と質問してくる形式になっている以上、不親切な相手のほうがこちらがわかるまで歩み寄るべきなのだという発想では当然合格できません。すべて責任を持って理解するところまで近づいていくことは、問題を解くこちら側の義務だからです。
日常生活が便利になりすぎたことが大きな原因でしょう。何をするにしても徹底的にわかりやすい映像がついてくる。
動画の説明も多いでしょう。ここをこうやって開ける・・・するとなるほどレバーが出てきた・・・これを倒すらしいという感じで、長い文章を読み取る必要がありません。ただ見ていればわかる。
活字を映像に変換させることなくふだんの生活は流れていきます。ところが試験問題はそうではないですね。ビーカーの中の食塩水が行ったり来たりする。5%とか8%とか濃度が出てきて、もうわけがわからない! とかんしゃくを起こしたりする。
文字から読み取る訓練をしないままで何とかなると考えてきたこと自体が間違いなのです。それがわかったわけですから、入試が終わってからも少しでも多めに活字を読みましょう。同時に、映像や動画を際限なく見る習慣は避けてください。
味覚と同じで、あまりに刺激の強いものばかり食べていると微妙な味がわからなくなってしまうからです。活字による微妙な表現はみんな気づかず読み飛ばしてしまう。そうならないように予防する必要がありそうです。
- その54
- 知的好奇心は刺激に対する反応とはべつのものです。ですから知的好奇心を涵養していくためには、それなりの時間的余裕が必要になってきます。すぐに反応するのではなく、じわじわと(考えてみればおもしろい話だなあ・・・)と自分の中で育てていかなければいけない要素がたぶんにある。
ところが現代の子どもは忙しすぎて、なかなか「じわじわ」という時間の余裕が持てません。そのあたりにとても大きな問題があるように思います。1つの勉強をしますね。その内容についてしばらく考える時間が本当は必要なのです。勉強が終わった時点ですぱっと切ってしまうと、熟成していくものが何もありません。教科書やテキストは素材にすぎず、それが個々人の中でどのように羽を伸ばしていくかということがじつは大切なのです。
同じ先生に同じ教材で学び、それなのに著しく差が出てくるのは「熟成化」の違いにあると言えるでしょう。
復習しましょうという表現がありますね。復習はもちろん大切ですが、この「熟成化」は復習以上のものです。じつに面白いじゃないかという感想が持てるかどうか。そのためには学んだことをぼんやり思い返せる時間的空間的余裕が必要でしょう。
勉強が終わるや否や刺激の強い遊びに興じてしまう。そこまでひどくなくても復習は形だけですぐ刺激的な遊びに移行してしまう。するとどうしても熟成が甘くなります。残念ながら、他の強い刺激を加えることで霧散してしまう恐れがあるのです。
ですからある程度、静かに時間的な余裕を持てる生活を心がけてください。自分が教えている生徒でも、たとえばある作家を学んだあとでその作家の作品をあれこれ読み比べたりしている生徒がいます。そして「はじめはつまらなかったのに少し面白さがわかってきた」などと言う。こういうのを本当の「勉強」と呼ぶのであって、相当の余裕がないと不可能ですね。ただこうした経験が間違いなくご本人の中で熟成していろいろなものを残してくれることは、彼らの成績が証明しています。
- その55
- 各分野で第一人者と称せられる地位にのぼりつめられた方のおっしゃることには、共通項があるように感じます。たとえばある将棋の名人は「将棋だけをやっていても名人にはなれない」という意味のことを力説されていました。将棋の名人ですから将棋の勉強はもちろんものすごく大事です。ただそれだけでは強くはなれても名人にまでは手が届かないそうです。
それ以外の勉強が非常に大切である。落語界の重鎮も同じことをおっしゃっていた。優れた落語を演じようということで落語の稽古ばかりしていては行きづまる。ときには落語とは全然関係のない難しい本を読んだりして、他の分野の勉強も欠かさないようにしないといけない。そうした努力が落語に深みを与えるというのです。
さらにマンガ界の巨匠も同じことをおっしゃっていました。面白いマンガを描くために他の人のマンガを参考にしたりしていてはとても大成しないというのです。
これ、勉強にあてはめるとどういうことになりますか?
たとえば国語の勉強をするとしますね。教科書を丁寧に読む。問題集を熱心に解く。りっぱなことですが、これは要するに国語力をつける努力を国語という科目の範疇だけでしていることになります。将棋の勉強だけしている棋士、落語の勉強だけしている落語家、マンガだけから学んでいるマンガ家と同じですね。
力はつくでしょう。力はつくでしょうがトップ集団には届きません。
国語力のある生徒がどれだけ多彩なものを読んでいるか。どれだけの古典――夏目漱石などですが――を読んでいるか。私は生徒たちと長年話しているのでよくわかっています。夏目漱石、坂口安吾、太宰治、芥川龍之介などをさらりと愛読書にあげる生徒がときどきいる。例外なく成績がいい。
どうしたら国語がうんとできるようになりますかという質問の背景には、国語を国語の中だけで何とかしたいという発想があり、その発想では残念ながらトップまでのぼることは難しいと思います。
- その56
- 勉強ができる人は例外なく処理能力が高いものです。てきぱき物事を進めていくことができる。低学年でときどき見かけるのですが、書くのがとても遅い人がいます。丁寧なのですよ。それはいいことだとしても、あまりにも遅い。
状況を考えないといけないですね。丁寧に書くことだけが目的になっていないかどうか。授業のときは若干雑に書いておいて、あとで丁寧にまとめるという人もいます。そういうことであれば復習にもなるし大変いいですね。要はそうした工夫ができるかどうか。ぐずぐずしていると何をやってもなかなかうまくいきません。そしてこの「ぐずぐず」は生活ぜんぶがそうなっている可能性があるので気をつけてください。
朝いつまでもぐずぐずと蒲団から出てこない。食事もテレビを見たりして気を散らしながら延々と食べている。着替えや片づけもだらだらといつまでも終わらない。お風呂やトイレも異様に長い。すべてがそんな具合で進行していくケースもあります。
生活リズムがいつのまにかそういう形になってしまっているわけです。
私はそういう生き方を否定するものではありません。のんびり過ごすことは罪ではない。ただすごく成績を上げたいというのであれば、これではうまくいかないということです。勉強だけてきぱきしなさいなどと言っても生活リズムがのろのろしているわけですから、うまくいきっこない。
1日が24時間と限られている以上、処理能力の高い人のほうが物事は圧倒的にうまくいきます。問題文なんかすごく長いわけですよ。さーっと読む。大切なところを的確に見つけて繰り返し読む。ぐずぐずしていてはとてもできません。すばやく読む訓練も必要ですし、自分なりの読み方の工夫も必要です。
やはりある程度はてきぱき生活するクセをつけてほしいと思います。てきぱきというのは集中して取り組むということです。集中しなければ時間を早めることは難しい。何をやるにしても「ながら」ではなく、その作業に全力で取り組む姿勢を大切にしてください。
- その57
- 現在は手書きの文字を書く機会が昔よりうんと減りました。打ちこみで表現することが多いですね。学校に提出するレポートも、その形をとることがあるはずです。そのほうがきれいに整理できますし、読むほうも読みやすいという利点はあるでしょう。ただ入学試験に関しては、いまだに手書きです。手書きの文字で、解答欄を埋めていく旧式なやり方があたりまえです。
いつかは変わってくるかもしれませんが、当分のあいだ現在の形が続いていくのは間違いないでしょう。するとそこにものすごく大きな差が出てきます。丁寧に書く人と乱雑に書く人ですね。達筆かどうかということではないですよ。さほど上手ではなくても丁寧に書いている生徒はたくさんいます。逆に文字はあまり乱れていなくても雑に書く子もいます。
雑にというのは、たとえば「極端に薄い」、「一文字一文字が独立していない(草書体のようにくっついている)」、「濁点がつながって一つになっている」、「つまる音をきちんと小さく書いていない」「文字の大きさが揃っていない」などです。
読めないほど乱雑な文字を、悪気なく書いている生徒もいます。答案を見る先生は文字を丁寧に書いている人間と乱雑に書いている人間の心の中を推し量ることになります。時間に余裕があるにもかかわらず乱雑に書いている人間は、書く対象に対しての愛情が欠落していると考えるでしょう。読めないラブレターをもらったら、どなただって相手はいい加減な気持ちだなと推理するのと同じです。
そしてまたそうした文字を書いていることで、勉強中の自身の気持ちがどのへんにあるかという事実にも気づけるはずです。作業のいちばん手前にある文字でさえ丁寧に書けていない。その条件下でどれだけの成果をあげられますか。野球に例えれば全力で走ろうとしていないのと同じことです。全力で走ったほうがよいことは知っていても、ご自身が走っていない。
知っている「いいこと」をあなた自身がやっているかどうか。それがすべてですよ。
- その58
- 教室ではときどき入試研究会などの催しをやっています。いろいろな教科の先生にお話いただく機会があるのですが(国語は担当教科なので、自分でお話してしまうことも多い)非常にいいお話が出てきて感心もし、また私自身の勉強になることがよくあります。
先日は英語の先生からこういうお話がありました。NHKの基礎英語を聴きなさいという。それだけなら珍しくもないのですが、その先生はこうおっしゃっていました。録音したり再放送を聴いたりするのではなく、朝ちゃんと目を覚まして聴きなさい。
以前からそうおっしゃっていましたが、改めてこのことについて書き残しておこうと思いました。
朝、6時なら6時にきちんと目を覚ます・・・ということになれば、当然生活全体を整えていかなければなりません。前の晩は10時半か遅くとも11時ぐらいには休むでしょう。午前0時をすぎてしまうと確実に睡眠不足になります。工夫しなければいけません。
早寝早起きの習慣がつきますね。早寝はすべての生活をうまくいかせる秘訣であると思います。生徒たちを見ていると、だいたい夜遅くなってから必ずしもやらなくていいことをして時間をつぶしています。やらなくていいことというのは勉強生活を第一に考えたときにという意味であり、彼らは彼らで大事なことだと思っているかもしれません。夜中に友だちと延々と連絡を取り合ったり、勉強が終わってから一段落のつもりではじめたゲームが終わらなくなったりというようなことですね。
しかし、早朝に確実に基礎英語を聴くということになれば、ある時刻ですぱっと切り上げるしかありません。友だちには「この時間帯はあいつは寝ている」と認識してもらう必要があり、そのことは変な雑音が入らないという意味で有意義なことでしょう。勉強を阻害する要素をあらかじめ遠ざけていることになるからです。
成績が優秀な生徒は、前提として生活自体がしっかりしています。生活の中に勉強が含まれているからですね。
- その59
- 生徒たちが合格体験記を書いてくださいます。おうちの方が書いてくださることもある。もちろん全員の方が参加されるわけではありません。手間がかかりますからね。
その中でいくつか共通する部分が出てきます。最近多いのが、スマホやゲームとのつきあい方の記述です。どう工夫してきたか。
相当優秀な方でも依存症になりかけたと告白されていたりしますよ。ただその自覚が持てたので助かった。すぱっとやめられないということであれば、厳正なルールを作るべきだと書かれていました。ゲームだけなら確かにすぱっとやめるという選択肢はあるでしょう。ただ多機能を持つスマホだとそういうわけにはいかないでしょうね。
うまくいった方が強調されているのが使う場所や条件、時間帯などを厳格に決めておくというものでした。場所というのは盲点になります。自室にあれば、例外的に手にとってしまうかもしれません。
一度ぐらいなら・・・というのがいつのまにか週に二回三回になり毎日になる。ここのところはけっこう遅くまでやっているから試験前だけは少し気をつけなくちゃなどと気楽に振り返ったりしているのは、もうりっぱな依存状態です。自室には持ちこまないという当初のルールを大幅に逸脱してしまっています。
人それぞれでしょうが、娯楽全体でどれぐらいになるかを把握しておかないとテレビを散々見たあとでも権利だけは主張するという本末転倒な状況になってしまいます。
特別見たい番組があって長時間テレビを見たのであれば、その日はスマホやゲームには触らないぐらいの覚悟が必要でしょう。
要するに、本気で勉強ができるようになりたいというのであれば、大前提として勉強以外の時間を圧縮しようという気持ちが必要だということです。これぐらいまあいいだろうというふわふわした状況がうまくいかない元凶だと考えてください。
もちろんスマホやゲームの依存症は薬物なんかと違って法を犯しているわけではありません。ただそれがあなたの勉強生活を脅かしているのであれば、強い意志を持ってコントロールしていく必要がありますよ。
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- その60
- 将棋界で中学生の新四段(プロ棋士)が大活躍して話題になっています。彼については以前から注目していていろいろな記事を読んできたのですが、いわゆる難関中学に通われているところにも興味を持ちました。
他の小中学生と違って将棋の勉強があるわけですよ。そちらが本職ということになります。本職の勉強をたくさんしなければならない。ところがテレビ映像から優秀なクラスメートからも尊敬されている様子がわかりました。これは秘密があるに違いない。と思ったのですが、結局優秀な他の子と同じでした。彼もまた活字を読む習慣を持っていました。小学校四年生ぐらいから毎日大人の新聞を読んできたそうです。まず一面を読む。次に社会面から順に十数分読んできた。十数分というところまで、私がふだん生徒たちに話しているのとまったく同じです。大人の新聞を毎日15分ぐらい読みなさいと言ってきました。小学生にできたのですから中学生高校生の方は当然できるはずです。
特派員メモがお好きだと書かれていました。またアルコール依存症の方の特集がとくに印象に残ったとも。そういうことに好奇心が持てるのは大人の証拠です。
本も好まれるそうです。司馬遼太郎、新田次郎、沢木耕太郎という名前があがっていました。では皆さんも今日からこの作家を読めばいいのかというとそういうことではない。この先生方を見つけるまでに、彼自身がどれだけ膨大な読書をしてきたかということに思いをめぐらせてみてください。
いろいろと比較して、はじめて面白さはわかるものです。そうやってあれこれ回り道をしてご自身が本当に好きな作家に出会う。その「旅路」全体が大切なのであり、秀才のどなたかが読んでいるものを読みさえすれば手っ取り早く力がつくというものではありません。自分なりの旅路を作らないと。
できるようになりたいけどほとんど読まないというのは、力持ちになりたいけど筋力トレーニングはほとんどしないというのと同じです。覚悟を決めるしかないですよ。
- その61
- 何かを真剣にやろうというときに、行き当たりばったりではうまくいかないですね。運動競技であれば大会がいついつで、何日ごろまでにはどういう状態にもっていくかということを前々から入念に計画をたて準備を進めるはずです。
入学試験も同じことですが、さらに一歩進んで「とにかく勉強ができる人になりたい」ということであれば、試験がどうこうではなく日々何をやるかという計画が絶対に必要になってきます。と同時に、本当にその計画を達成できているかどうかについても細心の注意を払ってください。計画をたてるだけたてて全然予定通り進んでいないという生徒がいるものです。毎日活字を読むと決めている。15分間真剣に読むと決めた。ところが全然読めていない。理由を聞いてみると、予定していた書籍が手に入らなかったとか15分はむりだったけれど5分ぐらいは読んだとかいろいろ説明してくださるのですが、要するに予定通りに進んでいないということです。
計画が予定通りに進まないのではうまくいきません。英単語の練習とか漢字の暗記とか活字を読むとか音読とか計算練習とか、分量(あるいは時間)もきちんと決めその通りにできてはじめて予定通りとなります。ちょっとは見たなどという中途半端なものは本当はアウトなのだと厳しく認識してください。
そうしないと計画はたてられていても、名目だけで内実は甘く甘く実行しているという状況になりかねません。
予定通りいかなかったところには△でなく×を書きこんでみてください。たまにであればいいのですが、×印が続くようなら、計画自体がおかしいか真剣にやろうという気持ちが減退しているかのどちらかです。頑張りますと繰り返しているうちに自分でも暗示にかかってしまうことがありますが、×印はじつは頑張っていない証拠でそれが続いている現実はきちんと認識しておく必要がありそうです。
やっていると言いながらやっていないということが多いものです。きちんと見られる形で残しておくことですよ。
- その62
- ときどき教わる先生によっておっしゃることが微妙に違うのですが、どうしたらいいでしょうというご相談を受けることがあります。
基本的には、世の中には多様性があるということであって、究極的な正解はないのかもしれないよと話すようにしています。またご自身の本当の「正解」はご自身で見つけ出していかないといけないとも思います。比較的答えやすいのは、学校で「辞書はひかなくていいと言われた」とか「計算問題を解くときに電卓を使ってもいいと言われた」とかという極端な事例ですね。
たしかに海外に長いあいだいらっしゃった方などは、とりあえずできるレベルからスタートせざるを得ない場合もあるでしょう。ただそれは特異なケースであり、わざわざ真似することはありません。
ある先生は教科書の英文を全文ノートに写しておきなさいとおっしゃった。ある先生はそんなことまでするのは時間のむだだよとおっしゃった。また古文はいちいちノートに本文を写さなくていいだろうかという相談もありました。
いままでは写していたのかねと訊いたらそうですと言う。なぜやめようと思ったのかねと質問すると、みんなあまり写していないみたいなのでと答えました。
そこで、質問の方向を変えてみました。写していて役にたった? はい、それなりに・・・
それなら当然続けなさいという話になりますね。みんながどういうやり方をしていても、ご本人の役にたつことをやめる必要はありません。自分に合ったやり方以上にみんなの真似をしたくなるのが人間の不思議なところです。
手間をかけたほうがいいに決まっているのです。勉強と一緒にいられる時間が長くなるからです。効率重視とは言いますが、それは「一緒にいる時間を減らしたい」というのと同じです。早く切り上げたいということです。
人間同士であっても「なるべく効率よくおつきあいしましょう」などと言われたら、愛情は湧いてきませんね。効率だけを考えた勉強は、あちら側(つまり勉強側)からも愛情を持たれないものです。
- その63
- 勉強のできる人というのがいつもやる気満々であると考えたら大きな間違いです。人間ですから当然気が進まない日もある。体調がすぐれないとか頭が重いとか寝不足気味で眠くて仕方がないとかという日もありますよ。私はよくできる子たちをたくさん知っていますが、生まれてから今日までやる気に満ちた日以外一日もなかったなどという生徒は見たことがありません。
ですから、やる気が出ないからだめだという単純な考え方は捨ててください。彼ら秀才にも「気が進まない日」や「なかなかはかどらない日」があるということです。しかし、彼らはだから今日は一切やめておこうとはならない。不平不満を言わず、落ち着いて丁寧に、できる範囲で努力する。そういう貴重な習慣を持っているのです。持っているからできるようになったということです。
これは勉強に限りません。気が進まない日にどう振舞うかということは技術的な問題よりよほど大切だと思います。
気が進まない日も作業をする。作業というのは声に出し心をこめて読んだり、丁寧に書いたり、練習したりということです。いつもと同じ作業量を確保する。場合によっては――なかなか覚えられない分だけ――いつもよりさらに努力する。努力するというのは具体的に言うと作業の回数を増やすということです。
その過程で少しは気持ちも落ち着いてくるでしょうし、こんな日だって自分は頑張ったのだという誇りや自信も蓄積していくでしょう。
逃げなかった自己に対する信頼感ですね。そういうものが増幅していく。
人間を二つのパターンに分けて「私にはあの人のようなやる気はないのだからできなくても仕方がない」などと決めつけないようにしてください。いまのあなたよりやる気がなかった日も、彼らは習慣的な努力をとにかくスタートさせました。忙しいときもできるかぎりのことをした。
そういう習慣を作ることです。終わらなければ終わらないでかまいません。どうせ終わらないから今日はもういいやなどというのより、よほどましだと思いませんか。
- その64
- ときどき学校以外でどれぐらい勉強したらいいのか数値で示してほしいというご相談を受けることがあります。「どれぐらい=何時間ぐらい」と変換してほしいということでしょう。優等生になりたいのであれば、安易に時間に変換して考えるのではなく必要なだけ勉強するべきですよ。
そのうえでご参考までに目標値を書いておけば、高校生の方なら学年プラス2時間以上といったところでしょうか。中1中2の方は学校の授業時間は除外して日に2時間以上、受験生の中3になったら日に4時間以上と考えてください。
これはめちゃくちゃな要求ではないですよ。東京の公立中高一貫校に通っている生徒たちは中1のときでさえ日に2時間の自宅学習では足りないと言っています。3時間はかからなくても、毎日2時間以上は勉強しないと終わらない。また私立中学に通っているある中1生は同時に塾にも通いはじめたため、両方の宿題をやるだけで2時間はあっという間だと言っていました。
普通の公立中学に通われる方だけはやらなくても大丈夫という道理はないはずです。ただ周囲の友だちがそんなに勉強していないことも事実でしょう。この数値はあくまでも将来トップレベルの大学に余力を持って現役合格することを目標にした場合です。
もちろん通信や塾の勉強もこの中に含みます。塾で2時間授業を受けてきた中1生は、それだけでその日の勉強時間は確保できていますね。
ときどきそんなにやることがありませんという生徒がいます。日に3時間も何をやればいいのかわからない。当然繰り返しです。やったものをそっくりそのまま繰り返してやってみる。やみくもに教材を増やすより何度も繰り返したほうが効果的です。
それから読書の時間は勉強した時間とみなしてくださってもけっこうです。マンガはべつですよ。すると毎日何時間も読書に没頭している勉強家は、さらにたくさん勉強しているのと同じことになります。力の源泉はじつはそんなところにあるのですよ。
- その65
- 1980年代ある公立中学校(東京都)では、担任の先生があたりまえのように新聞のコラムをまとめさせる宿題を出していました。国語の宿題ではないのですよ。それぐらいのことはできたほうがいいという判断で、クラスの宿題として出されていた。
自分の教えていた生徒がその課題に取り組んでいたので、私は知っているのです。サボるのはほんの数人で、放課後残されたりしていたそうです。現在の平均的な公立中学校で、その種の宿題を出せるかといったらちょっと難しいのではないでしょうか。トップクラスの子は難なくまとめられるでしょうが、文章を読むのが苦痛であるという生徒だと新聞のコラムの内容そのものが理解できない日があるかもしれません。そういう意味では三十年前と比べて文章を読んだり書いたりする力が上がっているかどうかは非常に微妙です。私個人は平均値は下がっているという印象を持ちます。
理由はいろいろあるでしょうが、いずれにせよ文章をまとめる力はこれからの人生で大変な財産になります。ある長さの文章をたとえば50字でまとめる。これはすばやく要点をとらえられる人間であるということです。100字でまとめる。的確に要旨をまとめる力がある証拠です。200字でまとめる。豊かな表現力を持っていることは間違いありませんね。
人の話を聞くときもこうした力を持っている人は、ポイントをはずさずにすむでしょう。
でも新聞のコラムなんかまとめる気にならないよという方に提案したいのですが、まとめるのはどんな文章でもいいのですよ。私の勉強法の話でもいい。この記事は1回の分量がだいたい800字ぐらいになるように書いています。それを150字ぐらいにまとめてみたらいい。勉強ができるようになる方法論ばかりですから、まとめて害になることは一つもありません。何を削り、どことどこをつなげるかというようなことを考えてやってみるといいと思います。
いずれにせよ、ある程度習慣化することが大切です。
- その66
- うまくいかなくなってしまうことがありますね。これは勉強に限りません。調子が悪くなってしまう時期があります。そういうときは慌てずに原点に戻るしかないですよ。原点というのは、あたりまえのことをあたりまえにやるということです。
ただし心をこめてやってください。机の上をきちんと片づける。筆記用具をすべてきれいに揃える。定規やコンパスはどうなっていますか。カバンの中の教科書やノートはちゃんと向きを揃えましょう。科目ごとのノートも用意してください。プリント類の整理。
ルーズリーフだと散乱してしまいませんか。そうならないように各教科きちんと毎日整理してください。学校や塾の前に持ち物を確実に精査して絶対に忘れ物をしない。授業中は寝ない。集中してノートをとる。予習復習――とくに復習が大事だとは思いますが――は欠かさない。
英語の音読、国語の意味調べ、漢字や計算練習、そうしたことをまあいいやではなくしっかりやる。文字はできるだけ丁寧に書く。
こういうあたりまえのことを順番にやるしかない。何かが雑になっているのです。ひょっとするとぜんぶ雑になっている。その精神のゆるみが調子の悪さにつながってくるのです。慢性病みたいなところがある。
一生懸命やっていることに関しては行為の中に魂が宿ります。その魂が特別なものをもたらします。運動競技でも何でもみんなそうです。魂ですから大げさに書けば「命がけで頑張る」ということです。頂点に立つ人間はどの世界でも命がけでしょう。
あたりまえのことを命がけで。命がけという言葉の中に変な負担を感じることはありません。たとえばアイスクリームを食べるのだって、この世に残された最後のアイスクリームということになれば、だれだって全力で味わいますね。その真剣さを勉強につなげてくださったらいい。
仮に教科書だけであっても、真剣にやればうんと成績は上がるはずです。原点にかえり、心をこめて勉強に向かいなおしてください。
- その67
- 先日、英語の先生が面白いことをおっしゃっていました。受験生を担当されている。ご本人たちにラジオの英語講座を聴きなさいと伝えた。リスニングは一朝一夕にできるようになるものではありませんね。いまから毎朝、必ず早起きして聴くようにと伝えたそうです。
ただそれだけでは、みなさんなかなか聴くようにならないということはちゃんとわかっています。
そこで授業のたびに「聴いているか?」と問いかける。何週間かしてやっと2割ぐらいの生徒が朝のラジオ講座を聴くようになってきたそうです。この数字をどう見るか。
1年生や2年生だとちょっと油断があるかもしれません。しかし相手は受験生です。もうちょっと聴いてくれる生徒がいてもいいような気もしますし、やっぱりそれぐらいなのかなという気もします。
というのは、同じような経験が自分にもあるからです。
何かを強く薦めますね。書籍なんかが多いでしょうか。厳密に言えば、勉強とは呼べないかもしれません。「この話は面白いから読んでごらん」程度です。
すると必ず読んでくださる生徒がいることはいます。ただやはり2割~3割という感じです。25名のクラスで5名出てくるかどうか。これは活字を読みなさいという指示にしてもそうです。今日は? きのうは? と確認していくと、本当に毎日読んでくれているのは2割ぐらいです。
勉強法についていろいろなことを知っていても、実践していなければあたりまえですが、成績は上がりません。そのことはいくら強調してもしすぎることはない。私のこの一連の記事を欠かさず読んでくださっていても、実践されていなければ成績は伸びません。
そのことを自問するクセをつけてください。たとえば1.毎日15分以上読書していますか。2.(とくに英文の)音読は覚えてしまうぐらいやっていますか。3.すべての教科で、できなかった問題の解き直しをしていますか。どれか一つでも欠けていたら残念ながら「実践していない」仲間のほうだと思ってください。
- その68
- 忙しい忙しいと文句ばかり言っていて肝心なことから逃げているケースは大人にも見られますが、それでは進歩がないわけで何かしら工夫は必要です。
あなたが成績を上げることをまず第一に考えるのであれば――このコラムは「どうしたら勉強ができるようになるか」というタイトルなので――どんなに忙しくても勉強するための時間だけはきちんと捻出していかなければいけません。
現在の生活の中からあなたがやらなくてもいいことをそいでいくということです。やらなくて「も」と「も」を入れたところに注目してください。「やらなくていいこと」と「やらなくてもいいこと」では若干ニュアンスが違いますね。
ある受験生はきっぱりゲームをやめたと報告に来ました。するとびっくりするほど時間ができた。以前は夜中にこっそりやっていたりもしたので、睡眠時間まで確保できた。またある受験生はテレビを見るのをやめたと言っていました。世の中のことが気になるため、ニュースだけは見て娯楽番組は入試まで見るのをやめた。
さらに部活でさえやめましたという子もいます。文武両道と言いますね。文武両道というのは、好きなことだっていっぱいやらせてよというのとはちょっとニュアンスが違います。文と武の双方を通じておのれを鍛えるという意味でしょう。目的は自分を鍛えることです。そのために両道を使う。
好きなスポーツもやっているから勉強時間がないのは仕方ないじゃないかと主張したりするのは、そもそもの考え方が少しズレているように感じます。
やるべきこと(=勉強)をやる時間を確保するというのは大前提だと思いますよ。
勉強部という活動をしているある高校を知っていますが、勉強部に所属する生徒は昼休み本格的なお弁当はなしです。皆さん食べながらも勉強できるように、サンドイッチだとかおにぎりだとかを持ってきて時間を作っている。嬉々としてそうしています。忙しいと不満をもらすのではなく、時間は工夫して作るものだということです。
- その69
- 教室にいるとさまざまな教科の先生のお話を聞く機会があります。先生によって微妙に指導方針が違ってきたりもするのですが、どの先生も必ずおっしゃることがあります。その教科ができるようになりたければ、それだけははずしてはいけませんね。
たとえば辞書について。ほとんどの先生は紙の辞書を使うように指示しています。ただ電子辞書は言われているほど悪くないとおっしゃる先生もいました。辞書をひかないよりはよっぽどいい。一方で「中学生には」絶対に使わせたくないと強調される先生もたくさんいます。
辞書に関してはそんな感じですが、音読の大切さについては全員の先生が音読の習慣がない子は伸びないと断言されています。英語の先生で、音読はまあまあでいいとおっしゃった先生を私は一人も知りません。すべての英語の先生が繰り返し音読するように指示されています。
回数は確かにばらつきがあります。10回~50回、さらには文字通り「覚えるまで」という先生もいます。50回読んでも覚えていないようならまだ足りないぞということでしょう。
まずていねいに、そして正確に、最後はできるだけはやく読んでごらんとおっしゃっています。まとまった文章――まず教科書やテキストの文章を少なくとも10回以上、声に出して読む。覚えやすくするためには感情移入したほうがいい。感嘆文をうんざりしたような白けた読み方をしていても身につかないでしょう。
だってもう完全に訳せるから必要ないのでは? という生徒が必ず出てきます。しかし「訳」というのは日本語の勉強でしょう。
訳せるようになった英文を繰り返し繰り返し音読するのが英語の勉強です。日本語の訳を残すのではなく、英文そのものが残るようにする。そうやって身体で覚えたものはなかなか忘れません。それこそ中学で覚えた英文を一生忘れない大人が大勢います。ひたすら繰り返したあたりまえの英文を覚えている。10代の時期に繰り返し音読していた証拠ですね。
- その70
- 勉強というのは体力的な面ももちろん大切ですが、メンタルの部分はそれ以上に大切です。勉強する人間の精神面がどういう状態であるかということですね。
私は教室にいるのでよくわかるのですが、中学生が(全員ではありません)まったくあいさつができなくなったりする時期があります。そして、そういう時期は概して勉強のほうもうまくいかなくなっています。
面白い現象ですが、事実ですのでちょっと考えてみたいと思います。
逆にいまの自分の状態をそこから推し量ることもできそうですね。普通にあいさつができない(したくない?)時期は、勉強が円滑に進まない可能性があります。
あいさつをしなくなってしまった生徒に私はなぜあいさつをしない? と文句を言ったことは一度もありません。私自身そういう時期があったからです。くわしくは省きますが、周囲の大人に猛烈に腹をたてていた時期がある。はじめは両親に対する反発だったのが、やがて大人全体を敵にまわしたくなってきました。
大人はずるいから絶対に誰にも頭を下げないと心に決めた。自然に頭を下げたくなる相手もじつはたくさんいたのですが、いま頭を下げたら負けだと思ってとにかくあいさつしませんでした。
そういう「怒れる若者状態」のときは勉強どころではありませんでした。そのときの私と同じような何かが、彼らの中で進行している可能性はあります。私はこのことを保護者の方ではなく、生徒ご本人に気づかせたいという気持ちを持っています。
そんなにぴりぴりしていたら勉強どころじゃないだろうと。
推薦入試で合格していくような生徒たちは、本当に日ごろから愛想がいいですよ。あいさつだけではなく、こちらに向かって笑顔を見せてくださったりします。こんにちはで笑顔。さようならで笑顔。それだけ余裕があるのですね。
大きなことを成し遂げるために、精神的に柔らかな空気の中で生活できていることは大切な要素だと思います。心のありどころを確認するということですね。
- その71
- たとえば何かテストを受けたとします。五つ問題があった。科目はどれでもいいことにしましょう。Aさんは四つできて80点、Bさんは二つできて40点でした。80点のAさんは喜んで40点のBさんはがっかりする。
ただこういうことがありました。Aさんは高得点に満足してやり直しをしない。心のどこかに一つぐらいはミスしたって仕方ないじゃないかという気持ちもある。Bさんのほうは三つもミスしてしまったと反省して、その三つを自力で解けるところまで持っていきました。
同じテストを実施したらどうなりますか。Aさんは相変わらず80点の高得点をとるでしょう。しかしBさんはミスした三問を完璧に復習したわけですから、同じテストであれば100点をとるでしょう。そのテストに関する限り、あっという間にAさんはBさんに追い越されています。
こうしたことの積み重ねが、できる人とそれほどでもない人の差につながってくるのです。
テストでも学校の授業でも通信添削でも塾や予備校の授業でも、それぞれ「わからないところ」というものがありますね。人それぞれです。仮にわからないところがほとんどない人でも、僅かに残っている不明の点をそのままにしておけば結局実力は変わりません。わからないところがたくさんあった人でも穴をぜんぶ埋めてしまえば、少なくともそのテーマに関するかぎりどんな秀才にも負けなくなるでしょう。
自分のできないところを見つける。そしてそれをできるレベルまで高める。勉強というのはその繰り返しです。
できないところを見つけるためにテストを受けているのに、できないことがはっきりしたところをそのまま放っておくというのは、考えてみればすごく変な発想です。できない部分こそが自分に欠けているところであり、そこを埋めていくことで豊かになれるチャンスがある。
難しい問題ができるかどうかはたいした問題ではありません。大切なのはあなたができない問題をできるようにするクセをつけているかどうかということです。
- その72
- 夏休みが近いので、ちょっと過ごし方について書いておきます。とくに受験生の方ですね。
夏休み(春休みや冬休みも同じですが)は日々とにかく午前中どれだけ勉強時間を稼げるかが大きな鍵になります。稼げれば稼げるほどいいわけで、そのためにはそれなりに早起きする必要がありますね。
特別なことではないですよ。ふだん6時30分に起きているのなら7時起床だって遅いぐらいです。
学校があるときより遅く起きなければならないという決まりがあるわけではないのに、何となくそうしていますという方が多い。それこそ9時に起きましたと胸を張る人もいるのですが、ふだん9時に起きたら大遅刻です。
ふだんより遅いとしてもせいぜい30分ぐらいにしてください。朝きちんと起きないことによってだんだん生活が乱れてくる。そして夜は寝ないのではなく「眠れない」という事態が起きる。
それはそうですよ。朝いつまでもごろごろしているので眠れないだけで病気でも何でもありません。朝ぐずぐずするクセをつけると一日の使い方そのものが狂ってしまう。
午前中に3時間か4時間勉強してください。2時間ではちょっと心もとない。突然用事が出てきたりいろいろなことがあるものですが、とりあえず午前中稼いでおけば何とかなります。逆に午前中何もやらないまま用事が突然出てきたら、その日は結局「勉強できなかった日」ということになってしまいます。
計画は大きくたてましょう。塾などの講習に参加する方は予習復習の時間を十分にとりましょう。宿題は出るでしょうが、予習復習と宿題は厳密に言って違ってくるべきなのです。あくまでも予習復習の時間として確保してください。
学校の宿題もあるでしょう。朝稼ぐのと同じ理屈で夏休みの前半――お盆前までに――やりきるぐらいの計画をたててみてください。
それから調整日は絶対に必要になります。週に一度で十分です。きちんと進んでいるのならその日だけは少しくつろいでもいいでしょう。
- その73
- 中学生棋士の大活躍で、将棋界が久しぶりに明るい注目を集めています。やはり何かしら大きなドラマが展開してくるとどの世界も活気が出てきますね。
将棋の駒はそれぞれ20枚ずつあるわけですが、じつは並べ方に作法があります。一般の方はご存知ないかもしれません。大橋流と伊藤流という並べ方があり、ちょっとだけ手順が違います。たとえば伊藤流は、早めに「歩」でふたをして、敵陣に香車や飛車や角行の利きが直射しないように配慮します。
将棋教室に通っていたころ、奨励会員の先生に駒の並べ方について「毎回毎回必ずそうやって並べるものなのですか?」と質問した方がいました。すると先生はそのほうが間違いなく強くなれるとおっしゃいました。一枚一枚の駒に魂を吹きこんでいくのだそうです。「アマチュアの方もそういうところこそ真似してくださると強くなれると思いますよ」ともアドヴァイスされていました。
ところが生徒はなかなかそうしません。私を含めて教室の皆さんそう。適当に手にした駒をただ置いていました。知識としては知ってはいる。だけどやらない。
何を言いたいのかと言うと――皆さんも部活に例えて考えてくださるとよくわかると思いますが――指示したことをやってはいるけれども言われた通りにやらない後輩がいませんか? 毎日これこれこういうトレーニングをしろと指示を出した。するとやらないわけではないものの、量を加減している。あるいは毎日はやらない。あるいは変な工夫を加えている。そういう後輩を見てどう感じますか。指示通りにやれないようでは・・・という苦い気持ちになるのではないでしょうか。
勉強も同じです。はじめのうちはとにかく言われた通りにやってください。たとえばラジオ講座は録音しないで放送時刻に聴きなさいと言われたら、ちゃんとその時間帯に起きて聴いてください。内容はいつだって同じじゃないか・・・ではない何かがあるのです。いまは理由がわからなくても、素直に指示に従う気持ちは大切です。
- その74
- あと4回でおしまいになります。そこでこれから3回はいままでのまとめを書こうと思います。途中からお読みくださった方もいらっしゃるでしょう。第1回からぜんぶ読み直してくださいというのはさすがに不親切なので、要点をまとめたダイジェスト版を作成しておきます。だいたい60回分ぐらいにまとめてみます。繰り返す部分が多少出てきますが、その部分は本当に大切なことばかりだと思ってください。
1、 勉強に向かう心は、どんな方法論以上に大切です。まず勉強の心を作ってください。
2、 理想のあなたと現在のあなたはつながっています。いますぐ現在のあなたを理想に近づけてみたらどうでしょう。
3、 必ずノートを使用しましょう。テキストの小さなスペースに解答を書きこまないように。ノートはすべて保管しておきましょう。
4、 雑ではいけません。心をこめて丁寧に書く。英語は全文を写してから音読までしましょう。
5、 音読は最低でも20回。全細胞にしみわたるように感情をこめて読んでください。
6、 素直に指示に従ってください。我流のやり方では先にいって壁にぶつかります。
7、 大切なのは学んだことが「自分のものになったかどうか」です。楽器演奏と同じです。
8、 頭がいいと思われている人ほど繰り返しの努力をしています。毎日反復することです。
9、 日々活字を読む習慣をつけてください。筋力トレーニングと同じで少しサボると元に戻ってしまいます。
10、 最上位校をめざすのであれば1日2時間以上の自宅学習をしてください。
11、 問題集はできないところを見極めるために使います。ミスした問題は必ずできるようにしておいてください。
12、 語彙力はすべての基本です。語彙力が豊富な人ほど勉強は有利です。
13、 何をやるかということ以上に、どうやるかということのほうが大切です。
14、 復習は習ったことを「完全に自分のものにする」過程の努力です。
15、 勉強は文化なので、自分が勉強に向いた文化圏で生活しているかどうかつねに意識してください。
16、 やっているうちに面白くなるものなので、気分に関係なくとにかく机に向かいましょう。
17、 勉強するとき声を出すことを忘れずに。
18、 やるべきことのリストを作りましょう。優先順位はつねに気をつけてください。
19、 勉強以前に生活で整理できることは整理します。邪魔になることには手を出さない。
20、 省エネ学習は得をしたようで損をしています。手間と時間をかけてください。
- その75
- まとめの二回目です。前回に続いて20回分になります。
21、内申を上げるためにはいままでとは違う自分をアピールしてください。一流高校はどんな環境下でも認められる人間を求めています。
22、必ずしも自室で勉強する必要はありません。自宅のリビングルームでやっているという生徒も多いですし、図書館や塾の自習室を利用している方もたくさんいます。
23、勉強することが許されるという環境は恵まれています。それは常に意識しておくべきことです。
24、復習を当然やるというサイクルを作らない限り本当の優等生にはなれません。
25、勉強だけではなく全人的な価値が試されています。しっかりした人間だから勉強「も」またできるのです。
26、一単語であれば誰でも同じように覚えられるのに単語数が増えると差がつくのはなぜか。一単語を覚える努力をすべての単語でできる人が秀才と呼ばれるのです。
27、今日一日を無為に過ごしているようでは一生がそうなってしまう可能性があります。最小単位のところにその人の情報がつまっています。
28、テストの答案が返ってきても見直さない生徒が多い。できないものをそのままにしていては進歩向上がありません。
29、新聞などを読んで「自分で考えるクセ」をつけないと読み取り考える力=読解力はつきません。
30、やったことを確実にやり直してください。成績が苦しい方にかぎってやたらと手を広げようとします。今日やったことだけを繰り返してください。
31、作業の中にどれだけ熱意がこもっているか、ご自身で常に意識してください。
32、問題文を読み飛ばして問いだけ解こうというのはもっとも効果がありません。きちんと理解しながらていねいに読んでください。
33、基本は教科書と学校の授業です。とくに教科書は欄外まで読んでください。
34、悪い生活習慣と正しい学習法を併用してもうまくいきません。悪い習慣は改めてください。
35、過去問は繰り返しやりましょう。三回繰り返している先輩はたくさんいました。
36、ミスは消しゴムで消さず赤ペンで直しましょう。ごまかさない気持ちが大切です。
37、メモとかノートとか心に刻むべきことを書くわけですから心をこめて書いてください。
38、やることが多すぎて混乱している人は生活を整理しましょう。友だちづきあいもその一つです。
39、授業の受け方に差があります。授業を生かすためにはその前後が大切です。
40、勉強にもスポーツと同じように正しいフォームがあります。
- その76
- 今回でいちおうまとめを終わります。今回も20にしました。
次回は、最後のご挨拶です。
41、生活に密着したお手伝いは人間そのものを磨きます。成績がふるわない理由が過保護さにあるというのはよく見られることです。
42、ホームランバッターになってやる! ではなく「次の1球だけは確実に打とう」という気持ちを大切に勉強してください。
43、勉強するときテンポに気をつけてください。能動的に参加するというのはそういうことです。
44、勉強は「わからないことをわかるようにして自分のものにする」繰り返しです。
45、朝の活用を考えてください。5時に起きて勉強している仲間はたくさんいます。
46、量をこなすことよりも終えた課題の徹底的な復習を心がけましょう。
47、日常生活であまりにも依頼心が強いと伸び悩みます。整理整頓などは自分でやってください。
48、テストは健康診断と同じです。結果が出たときに対処(復習)しなければ何度健康診断を受けても健康にはなれません。
49、映像や動画を際限なく見る習慣は改めてください。
50、課題についてしばらく考えてみてください。「熟成化」の違いが点数の差に現れます。
51、教科書や問題集だけでは本当のトップにはなれません。国語のすごくできる生徒は中学生でも古典作品を読んでいます。
52、てきぱきと集中して取り組むクセを勉強だけでなく、生活の中でつけてください。
53、文字を丁寧に書けないというのは運動競技にたとえれば全力で走らないのと同じことです。
54、スマホやゲームとのつきあいは厳格なルールを作り、自分を律してください。
55、あれこれ回り道をして自分の好きな作家を見つける過程が大切です。秀才の読んでいるものを読めばできるようになるというものではありません。
56、普通にあいさつができない精神状態では勉強どころではないということに気づいてください。
57、秀才は「気が進まない日」も、不平不満を言わず落ち着いてできる範囲で努力しています。
58、迷ったら原点にもどりましょう。あたりまえのことをあたりまえにやるしかありません。
59、勉強法についていくら知っていても実践しなければ成績はまったく上がりません。
60、生活の中からあなたが「やらなくていいこと」をどれだけ削れるかで一生が決まります。
- その77(最終回)
- 約一年半に渡って「どうしたら勉強ができるようになるか」という連載を続けてきました。以前も書きましたが、繰り返しが出てきています。その繰り返しのところはよほど大切なのだとご理解ください。
いままで記事をお読みくださった方は本来うんと成績が上がっていなければおかしい。上がっていないとしたら勉強方法を頭の中だけで理解して、実践されていない可能性があります。サッカー上達法という本を読んだだけで、実際にはボールを蹴っていないというのと同じです。
ちょっとだけテストしてみましょうか。昨日一日のことだけを答えてください。できるだけ正直に答えましょう。
1、 英文を繰り返し音読しましたか。(はい いいえ)
2、 ノートの文字は丁寧に書けていますか。(はい いいえ)
3、 15分以上活字を読みましたか。(はい いいえ)
4、 勉強の中に復習(解き直し)は含まれていますか。(はい いいえ)
5、 スマホやゲーム機などの利用ルールは厳格に決まっていますか。(はい いいえ)
五つとも「はい」であってほしいものばかりです。この五つはどれが欠けてもいけない。一つでも欠けていたら「思ったほど」できるようにはならないでしょう。
勉強ができたらいいと夢想するのと勉強ができるようになるために実際行動するのとでは違うのだということは徹底的に意識しないといけません。いま実際に何をしているかということだけがすべてなのです。
志望校に合格できたらいいというのはもちろんですが、目標が高ければ高いほど志望校の先生方は入学後のあなたに勉強してもらおうと張り切っているはずです。何となく遊びに来てほしいとは絶対に考えていない。高い志望校を持つというのは、つねに「これからはもっと勉強するぞ!」と宣言しているのと同じです。中心に来るのはまず勉強です。ふさわしい人間かどうか、いつも考えるようにしてください。
あなたの勉強生活がうまくいくことをお祈りしてこの連載を終わることにします。長いあいだありがとうございました。