Column 21年4月 日本インターネットの父が考える「インターネットの未来」

昨年以来のコロナ禍により、これまで以上にインターネットの重要性が叫ばれるようになりました。インターネットは電気・ガス・水道に並ぶインフラと言っても過言ではないでしょう。

日本のインターネットの幕開けと進化

https://www.nippon.com/ja/features/c01905/

そんなインターネットが登場したのは1969年。アメリカの複数の大学と研究機関が共同で作り上げたネットワーク「ARPANET」が起源だとされています。その20年後には、いわゆる「ホームページ」を表示させる技術である「ワールド・ワイド・ウェブ」の概念が登場し、われわれが知る「インターネット」が整備されてきました。

日本では、1984年に慶應義塾大学の村井純先生が、慶應義塾大学と東京工業大学を同様の仕組みで接続したのが「インターネット」の始まりでした。その後、東京大学や企業の研究機関が参加し、海外のネットワークにも接続をし、徐々に仕組みが整えられてきました。

この功績から「日本のインターネットの父」とも呼ばれる村井純先生。現在でも第一線で日本のインターネットに関する提言と啓蒙、普及推進を進めていらっしゃいます。

インターネットの父は諦めない 村井純が目指す一人も置いてけぼりのいない空間

https://events.z-holdings.co.jp/tougou/futurevision/031201/

このコロナ禍で、在宅勤務やオンライン授業など、「インターネット」を前提とした働き方、学び方が取り入れられてきました。この状況を村井先生は「一気に10年、下手したら20年くらい、社会を早回ししたような気がしています」と語ります。確かに、在宅勤務ひとつとってもこれまでなかなか普及してきませんでした。仕組みとしてあったとしても認められなかった、あるいは、厳しい条件があったものが、今では「少なくとも週に一度は在宅勤務とすること」といったことをいう企業も少なくありません。学校の学習もそうです。「対面」が絶対ではなく、オンライン授業という選択肢が生まれただけでも、これまでには考えられなかった変化が起きているといえるでしょう。

そもそものインターネットの理念は「インターネットの技術は、すべての人のために」という思いであったといいます。だからこそ、「一人も置いてけぼりを作らない」は大事なことと言えます。そしてこれこそが、村井先生の目指す「インターネットの未来」なのでしょう。

「一気に10年、下手したら20年くらい」一気に進んだこの社会。これだけ変化の早い今日の状況を、村井先生は、次のように総括します。

言われてみたら毎年そう言っているかもしれない。「今年が最高に面白い!」って。
常に「この先」があるって面白くない? 最高の時代に生きているよ、俺たちは。

日本のインターネット界のトップを走る村井先生ですら「この先」を見ているのです。10年先の、20年先のインターネットは、どのようになっているのでしょうか。ワクワクしますね!