勇気と友情の本 『真夜中のまほう』

物語は、「やどやの看板の中にいる(つまり看板に描かれた)」マガモが、「おりてきな」とウサギに声をかけられ始まります。200年もの間「看板の絵」としてじっとしていたマガモに、真夜中12時を過ぎれば夜明けまでだれもが自由に動けるのだとウサギは慌ただしく伝えます。かくいうこのウサギも、別の宿屋の看板から飛びだしてきたのでした。池へ向かったマガモは、そこで面倒見がよく知恵者でもあるモリフクロウや、ネズミやカエルなどの小動物と出会います。が、しかしお話に興を添えるのは、なんといっても看板から抜けだしてきた個性的な面々です。「ライオンとヴァイオリンのおやど」からはライオンが、「人魚のおやど」から人魚が、それから、立派な角を生やしたユニコーンも仲間に加わります。「ミッドナイト・イン・サイン・クラブ(真夜中の、やどの看板クラブ)」結成です。
冒頭から「まほう」は即座に始まります。その唐突な、現実からファンタジーへの切り替えを可能にするのが、ディテールの具体性です。マガモが初めて看板から地上に降りたときの足の感覚、初めて池に入ったときの水の冷たさと泳いだときの感激。また、「ミッドナイト・イン・サイン・クラブ」の面々が早朝、看板に戻るときの騒動も詳細に語られます。マガモはこれまでと逆の向きで看板に入ってしまいましたし、ライオンは尻尾の先を看板にしまいきれませんでした。人魚は、ライオンに精いっぱいからだを伸ばしてもらってその背中から看板によじのぼりました。「真夜中のまほう」によって自由を手に入れたマガモたちでしたが、朝になれば律儀に看板に戻っていくのです。森の住人であるフクロウから、巣をつくって池の近くでずっと暮らすことをすすめられたとき、「なんてみりょくてきなご提案でしょう」と誠実に応じたマガモは、しかしすぐに「でも、日中は仕事をしなければなりません。ぼくがいないからっぽの看板を、そのままにしておくわけにはいきませんから」と毅然と答えます。さらに、「(看板に閉じこもっているのは)ひどくたいくつだろうね」とカエルに声をかけられ、マガモはきらっと目を光らせるのです。
「まったくそんなことありません。みんなと同じように、ぼくにはすべき仕事があります。言わせてもらいますが、ぼくはみんなに満足してもらえるように、きちんと仕事をやりとげていると思います。『マガモのおやど』は、このあたりではよく知られたやどなんです。――中略――だから、あの看板は、みんなのあこがれなんです。」
二百年の歴史をもつ宿屋の看板としての矜持、仕事を成しとげる喜び、堂々と自分を語れる独立心――人懐こいだけではない主人公の姿が、こうした言動から浮かびあがります。物語を支えるディテールの趣向は、こうして登場人物を魅力的に描く手腕ともつながるのでしょう。
この本は、英国で1967年に発表されているようですが、半世紀も前につくられた物語と知って腑に落ちました。丁寧な語り、てらわない進行、すっと物語に吸い込まれ、わくわくすれば、どんなことだって起こらないとは限らない、という無邪気な朗らかさが心の中に蓄積するようです。黑い輪郭で描かれる挿絵には、おっとりとした愛嬌が感じられ、開放的な物語に似合っています。
吉田 真澄 (よしだ ますみ)
長年、東京の国語教室で講師として勤務。現在はフリー。読書指導を行いながら、読む本の質と国語力の関係を追究。児童書評を連載するなどの執筆活動に加え、子どもと本に関する講演会なども行う。著書に『子どもファンタジー作家になる! ファンタジーはこうつくる』(合同出版)など。