記事執筆者

株式会社オホーツク教育研究所
代表取締役 瀬戸 裕一郎
サレジオ工業高等専門学校 高専事務局 教務学生部 スーパーバイザー
1972年東京生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科教育学専修卒業。
1999年増進会出版社(現Z会)に入社。国語科教材編集や大学生・社会人向け新規事業開発などに携わる。
退社後、2024年に北海道紋別市に移住。2026年にオホーツク教育研究所を設立。
年間支援企業者数35社、社会人指導・評価人数約5,000名。
企業・個人の問題意識に寄り添う支援が持ち味。趣味は北海道内をあてもなく車で走ること。
「知識」から「問題解決」へ――変わりゆく時代の要請
皆さんこんにちは。今回から、5回にわたり「問題解決」とは何かについて、考えていきます。
旧知の友人に久しぶりに再会し、「いまどんな仕事をしているの?」と聞かれることがあります。そんなとき、「うーん、企業で問題解決の研修をやったり、高専で教務学生部の仕事をしたり、大学生のレポートの論述内容にアドバイスをしたり、学校で探究活動の支援をしたり……」と答えると、たいてい相手は「はあ」という表情をします。自分では一本の軸をもとに仕事をしているつもりではあるのですが、どうやら相手にはなかなかわかりづらいようです。さらに説明をすればますますわかりづらい話になり、説明も長くなるので、「まあ、そういう仕事もあってねえ」などとお茶を濁し、その場を収めます。この自己紹介のわかりづらさが、私がいま直面しているひとつの「問題」です。
それもそのはずです。私が中学や高校、大学で学んできた学問の内容に「問題解決」や「探究」などというものはありませんでした。何かを知っていさえすれば頭がよい、成績もよい。現代と比べると、そんな答えのはっきりした教育を受けてきたといえるかもしれません。まあ、私の場合は子どもの頃からひねくれもので、たとえば数学でxやyが出てきた際には「なんでxとかyという記号を使うのですか?」、英語でSVCが出てきた際には「なぜSとかVとかで表さなくてはならないのですか?」という疑問のほうが先に立ってしまい、勉強がまったく捗らず、教科の成績はいつも下のほうだったのでした。半面、小論文や総合問題など、答えが一義に定まらない入試問題だけには強かったという、当時としては特異なタイプだったのかもしれません。
学生の頃は成績不振でつらい思いもしましたが、このおおもとに疑問をもつ志向は案外役に立つものだなあといまは実感しています。数学者の方には怒られそうですが、xとyが仮に印刷等の便宜上で用いられてきたものだとするならば、Webの時代に即したもっと使いやすい、親しみやすい記号を考えてみてもよいかもしれない。こんなことをいま表現できるようになったのは、私が学生だった頃から、時代が大きく変わった、そして求められる能力が変わってきたということに他ならないでしょう。
教育も企業も、「広い視野」の時代へ
日本で学制が制定されたのは1872年のことですが、目的は皆が一定の教育を受けることで、国力を上げることでした。第二次世界大戦後には、全国どこの学校でも一定水準の教育を受けることができるよう、学習指導要領が実施されます。これらの公的な教育体制の整備と国民の基礎学力の向上が、1950年代~70年代にかけての日本の高度経済成長期の原動力となったことは間違いないでしょう。産業構造の標準化や効率化が目的であればこれでよかったはずです。しかし、経済が成熟期に入り、高度化された多種多様なサービスが提供されるようになると、普遍的・汎用的な知識・技能では解決できない問題が表出するようになります。単に「知っている」だけではなく、その知識・情報を「活用」することが求められるようになりました。近年では高等学校において、知識・技能をもとに個々のテーマを深めることを重視する「総合的な探究の時間」が新設されました。学校での学びの内容も、時代の変遷とともに大きく変わりつつあるのです。
企業活動においても、持続可能性が問われる社会となりました。環境への配慮はもちろんのこと、少子高齢化、人手不足の時代において、インフラ・社会システムを維持していくにはどうすればよいのか、目先の課題を解決するだけではなく、広い視野をもとに「その活動がどのような影響をもたらすのか」を常に洞察する能力が求められているといえます。
「問題」と「課題」はどう違うのか?
このような背景から注目されたのが「問題解決」というキーワードなのではないかと考えます。ここでの「問題」とは、個々の「課題」を含む大きな集合体、と定義しておきます。たとえば、「企業の存続」という大きな「問題」があるとします。そこには「中長期的な経営計画」「安定的な財務基盤」「環境変化への柔軟性」「健全なガバナンス体制」「人材の採用と育成」など、さまざまな検討すべき「課題」が存在します。これらを「企業の存続」という大義をもとにした視点で、解決していく必要があります。また、「企業の存続」という広い視点を絞り、「中長期的な経営計画」をひとつの「問題」として捉え、これにまつわる「課題」を検討することも可能です。
このように考えてみると、問題の解決を期するにあたっての、ひとつの重要な姿勢が見えてくるはずです。それは、物事をできるだけ広くとらえること、難しい言葉を用いるのであれば「俯瞰的な視野」をもつことです。大きな「問題」を意識することで、どの「課題」をいつ解決するのか、「課題」を解決することが大きな「問題」にどのような影響をもたらすのか、このようなグランドデザインをイメージしながら、解決に近づくことが大切になります。
複雑な問題だからこそ、多角的な視点が武器になる
それゆえに、「問題解決」に携わる人には総合力が求められます。Z会では、問題解決の流れを下記の図のように定義していますが、各段階において求められるのは単一の解答の算出ではありません。複雑化・高度化した「問題」なのですから、唯一無二の解答が存在しているわけではないですよね。情報を総合的に判断したうえで、大きな影響を及ぼす課題点を特定する、多角的な観点からよりよい解決策を検討するなど、「俯瞰的な視野」をもとにした広い姿勢が求められるのです。

エビデンスはゴールではなく、出発点にすぎない
昨今、「エビデンスベース」という言葉がよく聞かれるようになりました。おそらく「客観的な根拠に基づいた」という意であろうと推察しますが、「エビデンス」はあくまで出発点であり、「問題解決」を行うための意思決定ではありません。まずその「エビデンス」と呼ばれるものが、単一のソース情報をもとにしたものなのか、それとも複数の客観的かつ信頼できる情報を比較・検討・吟味したうえで導かれた結論であるのかにより、「問題」が「解決」される確度は大きく変わります。仮に客観性が担保されている情報であるとしても、それは問いを深くするための材料にすぎません。単なる「事実の提示」なのです。その客観的な材料を、何の根拠として用い、どのような解決策を立案するのかが最も重要になります。「エビデンス」を探し出すのみであればAIでもある程度できるのかもしれませんが、「解決策」には実行に移す人間のセンスとパッションが必要ですし、「エビデンス」にあえて固執せず、「俯瞰的な視野」をもとに枠から外れた解決アプローチをあえて試みてみることも有効であることが多いのです。
視点を変え、情熱をもって解決策を探る
さまざまな社会人の方と一緒に、問題解決のワークショップを行う中で、昨今実感している傾向があります。「情報を検討・分析する」ことが上手な方は、年々増加しているように思うのですが、さあ、情報は十分に分析した、じゃあ、あなたはそれをもとに何をするの? さあ、ここからが問題解決のキモになる部分だよ!……と、ここでつまずく人がやはり多いのですよね。中には「え? そこまでAIに考えてもらえばいいじゃないですか?」という人もいます。ちょっと待ってください。解決策を実行するのは、あくまで人間です。解決のための実作業をAIが行うことはあるかもしれませんが、動かすのは人間です。「こうしたい」「あれを使ったらうまくいく」「きっと実現できる」というパッションがあって、初めて解決に至る道筋は見えてくるはずです。
その意味で、「問題解決」には、ひとりひとりの人間が、情熱的に生きてきた個の軌跡が大切になるのではないかとも考えます。情熱的で、楽しいことを知っているリーダーは、チーム内に楽しさや充実感をもたらすことができます。「こうすればおもしろいんじゃない?」と、最初は少しおふざけのようなスタンスで解決策を考えてみる。その結果が、思いもよらない効果的な解決策につながることもあります。課題を検討する、あるいは実行後の解決策を検証するうえでは批判的な考察を行うことが有効なのですが、解決策の方向性を検討するうえでは、楽しみながら考えるというスタンスは案外重要でしょう。楽しんだほうが、視野も広くなりやすいといえるのかもしれません。
煮詰まったら、広い視点で捉え直す
富士フイルムという企業があります。フィルムカメラが全盛だった2000年頃までは、カラーフィルムは必需品でした。しかし、その後カメラはデジタル化が進み、カラーフィルムの需要は年率10%以上の速度で激減します。このままでは廃業してしまうーーしかし、同社はフィルム製造で培ったコラーゲン技術や抗酸化技術が、ヘルスケア分野に応用可能であることに活路を見出します。ここで求められたのは、視点を変えて保有リソースを見直してみることと、自社のみではない、外部のリソースに目を向けることです。このようなイノベーションが実現されるためには、おおもとに立ち返り、広い視点から「我々は何の会社か」を捉え返すことが奏功するのです。
狭い範囲で考えると、どうしても煮詰まってしまうのは人間の性かもしれません。そんなときは、一歩離れて現状を前向きに見つめてみる。「問題解決」で求められるのは、そんな姿勢なのかもしれません。ふだん北海道の紋別市に住んでいる私は、アタマの中が煮詰まると、車を運転して原野に出ます。そうすることで、もう一度自己の存在を広い世界から捉え直すことができ、自分のアタマの中を対象化することができたりします。何も北海道に限ったことではありません。オフィスの自分の机から、ちょっと離席してみる。自宅であれば、風呂に入ってみる。場所を変え距離を置いてみることで、解決のヒントが生まれてくることは案外多いのです。
いかがだったでしょうか。今日は概論的な内容でしたが、次回からは問題が解決されるまでのプロセスについて、具体的なお話を進めていきます。