『ピーター・パンとウェンディ』

世代を超えて読み継ぎたい、心に届く選りすぐりの子どもの本をご紹介いたします。

 

J・M・バリー 作  F・D・ベッドフォード 画  石井桃子 訳/福音館書店

たとえばティンカー・ベルについて、幼い読者だったころの私は、イジワルで鼻持ちならない妖精と早合点していましたが、嫉妬や怒りを悪びれずにぶつける率直さを、だんだん好きになってきました(ウェンディよりずっと共感できました)し、ディズニーのアニメーションの影響か、フック船長には大いなる誤解を抱いていたと後に気づき、以来、わすれな草の青色の目に「ふかい悲しみをたたえ」た彼の印象はガラリと変わりました。この物語が、子どものためのおとぎ話と一線を画す理由は様々ですが、本を閉じたあとも胸に尾を引くような、この悪役の存在こそ筆頭と言えるのではないでしょうか。

死かばねのようにやせこけ、あさ黒く、髪は、長いまき毛にしていましたが、それがちょっとはなれてみると、まるで黒いロウソクのように見え、そのなみはずれた美しい顔だちに、一種独特のおそろしい形相をあたえていました。

かつては有名なパブリックスクールの生徒であったフックは、礼儀作法や服装にも気をつかう男です。単純な荒くれものの子分たちと、インテリを自称する自分との違いを憂い、深い孤独感に苛まれてもいます。フック船長にはモデルがいたのでしょうか。そうとしか思えないほど描写は具体的で、彼の一挙手一投足には生きる痛みが感じられます。

残酷で、時に目もくらむほど狡猾なフックの対極にいるのが、もちろん主人公ピーターです。立場もオーソリティも意に介さず、正義感に満ち、そして、他人の気持ちを考えられない子ども。“永遠の少年”という宿命を引き受け、“どこにもない国”(ネバーランド)で生き続ける彼は、ですから、フックの欲しいものを全て持っていたはずです。生まれたままの自由なピーターの精神は、陰鬱で薄暗い禍々しさを抱えるフックにとって、まぶしすぎて目障りだったのでしょう。容赦なく徹底的に憎み合う二人、それぞれの素地のようなものは、誰の心にもきっと潜んでいます。むろん、大人は、疑り深いフック的な要素を多く含むでしょうが、怖いもの知らずのピーターのような純粋さも、どこかに隠しているのです。だからこそ、時代を超えた普遍的な物語として、読みつがれてきたのだと考えます。

最後に、少々まだるっこしい前段は我慢(我慢は良質な読書体験には付きものなのです)、人魚やインディアン、そして海賊が登場する中盤のハイライトを目指して読んでいくよう、子どもたちには薦めます。ただ、全編を読み通すには、それまで多くのファンタジーに親しんできた実績と、蓄えられた読む体力が必要です(もちろん、大人も例外ではありません)。子どもの読者と大人の読者、視点は違っても、使い方を忘れた羽をおのおのの背中からひっぱり出し、時空を超えて共鳴できるはずです。いかような楽しみ方も許容する度量の深さも、この物語の魅力のひとつですから。

 

吉田 真澄 (よしだ ますみ)

長年、東京の国語教室で講師として勤務。現在はフリー。読書指導を行いながら、読む本の質と国語力の関係を追究。児童書評を連載するなどの執筆活動に加え、子どもと本に関する講演会なども行う。著書に『子どもファンタジー作家になる! ファンタジーはこうつくる』(合同出版)など。

 

ブックトークの記事一覧はこちら