『エンデュアランス号大漂流』

世代を超えて読み継ぎたい、心に届く選りすぐりの子どもの本をご紹介いたします。

 

エリザベス・コーディー・キメル/千葉 茂樹=訳/あすなろ書房

何年もかけて準備を進め、いよいよ出航というとき、第一次世界大戦が勃発。苦渋の決断を迫られたシャクルトンは、乗組員たちを戦争に役立てて構わないと海軍に伝えます。しかし、ときの海軍大臣ウィンストン・チャーチルの返答は「続行せよ」のひとことでした――。

ここまでで、全編の8分の1程度。冒頭から駆け足で説明されますが、出航前の準備期間から、紆余曲折、波乱を充分に含んでいて、俄然、興味が湧いてきます。そして、いよいよ、極地用として特別頑丈にしつらえたエンデュアランス号は、南極大陸を目指し、戦争に突入したイギリスをあとにしたのでした。
文明圏を離れてひと月半ほどで流氷に行く手を阻まれ帆船は身動きがとれなくなります。氷上に犬小屋を作り、流氷帯ごと250キロも流されながら南極の長い冬を耐え忍んでも、事態は悪くなるばかり。広大な流氷帯に隊員を残してエンデュアランス号が沈んでいくときの気持ちをシャクルトンは日記に残しています。「そのことについては、なにも書くことができない」と。

こうした壮大なノンフィクションを読むと、生きるって、命を護るって、こんなにも厳かで重い営みなのだ、と改めて感じます。深く込み入った感情表現よりも、何が起きたかに重点を置かざるを得ない、剥きだしの自然と正対する、まさに激動のストーリー。けれども、自分の選択だけではどうにもならない不条理に翻弄されるリーダーが、連続的な思考を妨げられながらも、闇のなかに点々と落としていく感情の振幅は、生々しい人間の心そのものです。今度こそもう駄目か、という難事に次々と襲われるなか、時間を止めて無力感に浸ることなく、常に決断し、状況を動かすのです。「生きる」ために選び続ける行為は、船員を鼓舞するパワーの源であり、帰還への生命線ともなるリーダーの姿勢だと受けとめました。

この命懸けの体験の数々から私たちが得られる教訓は少ないかもしれません。ただ矢継ぎ早に明かされる窮境のエピソードに圧倒されながら、これが世界か、これが人間か、と空を見上げるような感慨に浸るのみです。大人の読者向けの本もありますし、船の装備や自然の過酷さを描いた絵本も出ていますので、併せてご覧になれば更に詳細がよくわかります。にわかには信じがたいようなできごとが連続する怒濤のノンフィクションを、今、1冊の本として手に取れる胸の高鳴りは、大人も子どもも変わらないはずです。

 

吉田 真澄 (よしだ ますみ)

長年、東京の国語教室で講師として勤務。現在はフリー。読書指導を行いながら、読む本の質と国語力の関係を追究。児童書評を連載するなどの執筆活動に加え、子どもと本に関する講演会なども行う。著書に『子どもファンタジー作家になる! ファンタジーはこうつくる』(合同出版)など。

 

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