出たばかりの新刊から保護者にも懐かしい名作まで、児童文学研究者の宮川健郎先生が、テーマに沿って子どもの本を3冊紹介していきます。
今月のテーマは【手が語る、語りつぐ】です。
となりのうちの女の子
『おどっているよ、わたしのて 目で見ることばで おはなししたら』より
さいきん、わたしのうちの となりに、あたらしい かぞくが ひっこしてきました。
いつも、てが おどっているみたいに みえます。
まるで おんがくに あわせて てが うごいているみたい。
なにかを つたえあって いるのかな。
ジョアンナ・ケとチャリーナ・マルケス文、フラン・アルヴァレス絵の『おどっているよ、わたしのて 目で見ることばで おはなししたら』のはじまりだ。フィリピンの絵本である。
「わたし」は、となりのうちの女の子と道でいっしょになって、また行き会うことがあって、なかよくなる。でも、ときどき、おたがいが何をいっているのか、わからなくなる。――「あるひ、マイちゃんは、わたしたちが もっと わかりあえるように わたしのてに ダンスを おしえてくれました。」
「わたし」とマイちゃんが川の水に足を入れて、マイちゃんは、指を3本立てる。これが「みず」だ。マイちゃんは、「き(木)」も教えてくれた。片方の腕を立てて、手をひらき、もう一方の腕をひじにあてる。「わたし」の手が「とりが ないてるよ」といい、マイちゃんの手が表情豊かに「ちょうちょうが すき」と語る。
これは、「フィリピン手話」だ。巻末の解説には、「フィリピンの人たちのくらしに根ざした独自の視覚言語(目で見てわかることば)です。」(カッコ内原文)とある。
やがて、「わたし」とマイちゃんは、将来のゆめを語り合う友だちになる。
リンカーンと握手した手
『おどっているよ、わたしのて』には、ふたりの女の子の出会いが描かれているけれど、パトリシア・ポラッコの絵本『彼の手は語りつぐ』では、アメリカの南北戦争の戦場でふたりの少年が出会う。ひざのすぐ上を撃たれた「ぼく」は、草原に置き去りにされていた。
とつぜん、声がきこえた。熱のせいかと思ったら、額に力強い手がふれ、顔に水があびせかけられた。
「おまえさんよ、こんなところにいたら、死んじまうぞ」ぼくに水を飲ませながら、男はいった。
男は、「ぼく」と同じ北軍の制服を着ていた。彼も、自分の部隊からはぐれたようだ。1861年から65年までつづいた南北戦争は、アメリカの内戦である。北軍は、奴隷制の廃止をうったえるリンカーン大統領がひきいていた。
男は、力強い腕で「ぼく」をかついで、何日もかかって、母の待つ故郷の家に帰る。男の名はピンクス(呼び名はピンク)、奴隷の子として育った彼は、「ぼく」の傷が治ったら、また部隊に戻ろうという。――「おれの戦争だからだよ、セイ。」しかし、ピンクから「セイ」と家族のように呼ばれるようになった「ぼく」は、もう二度と戦場に行きたくなかった。ピンクは、引き留める母にもいう。――「ねえ母さん、この戦争でおれたちが勝たないことには、この国の病気は決して治らないんだ」「病気」とは奴隷制のことだ。
ふたたび北軍の部隊に向かおうとしたふたりは、途中で南軍につかまって、捕虜収容所につれていかれる。
ぼくたちが別々のところにつれていかれそうになったとき、ピンクは、ぼくに手をのばしていった。
「おれの手を握ってくれ。リンカーンさんと握手したその手で。セイ、もう一度だけ」
以前、「ぼく」の部隊がワシントンのそばに宿営していたとき、リンカーン大統領がやってきて、ひとりひとりと握手をした。「ぼく」の手も、リンカーンと握手をしたのだ。
手で味わう
手はことばを語り、人と人は手をにぎりあう。その手で、ごはんも食べる。
森枝卓士の写真絵本『手で食べる?』は、世界の人びとの食べかたの歴史をたどり、おしまいに問いかける。
むかしはみんな手で食べていたのに、おはしやフォークを使うようになったところがある、ということは、今でも手で食べているところは、「おくれている」ってことなのだろうか。
絵本の語り手は、「いや、そんなことはないんだ。」という。インドやミャンマー、マレーシアなどでは、いまでも手で食べる。これらの国のごはんは、さらさらしていて手につかないのだけれど。
今月ご紹介した本
『おどっているよ、わたしのて 目で見ることばで おはなししたら』 
ジョアンナ・ケとチャリーナ・マルケス 文、フラン・アルヴァレス 絵、ミレナ・イノセンシオ-ドミンゴ 訳
偕成社、2025年
解説によれば、日本には、「日本手話」と「日本語対応手話」があるという。
「日本手話」は、日本語とはちがった独自の文法の、手や指だけでなく、肩や目、口などの動きも用いたことばだ。――「昔からろう(聞こえない―宮川注)の人たちのあいだでうけつがれ、発展してきた言語です。」
「日本語対応手話」は、50音に対応させた手のかたちで表現するもの。――「どの手話をつかうかは、人によってそれぞれちがいます。その人がその人らしく誇りを持って生きていくために必要な手話を選んで表現しているのです。」
『彼の手は語りつぐ』 
パトリシア・ポラッコ、千葉茂樹 訳
あすなろ書房、2001年
ピンクとセイの物語は、長生きして、孫にもひ孫にもめぐまれたセイの家族が語りついでいく。セイのひ孫のウィリアムは、むすめのパトリシア、つまり、この絵本の作者に語った。――「父ウィリアムがこの物語をきかせてくれるとき、最後に必ずわたしの手をとって、こういいました。「この手はね、エイブラハム・リンカーンと握手した手にふれた手なんだよ」と。」
たくさんのふしぎ傑作集『手で食べる?』
森枝卓士 文・写真
福音館書店、2005年
インド料理のミラ先生は、手で食べる「おぎょうぎ」を教えてくれる。先生は、「料理を手でも味わうのよ」という。――「おはしやフォークを使うように「すすんでいった」ところもあれば、手でおいしく、きれいに食べる方法を「すすめていった」ところもある、ということなんだ。」
宮川 健郎 (みやかわ・たけお)
1955年東京生まれ。立教大学文学部日本文学科卒。同大学院修了。現在、武蔵野大学名誉教授。大阪国際児童文学振興財団理事。『現代児童文学の語るもの』(NHKブックス)、『子どもの本のはるなつあきふゆ』(岩崎書店)、『小学生のための文章レッスン みんなに知らせる』(玉川大学出版部)ほか、著書・編著多数。
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