古い伝説に基づいた冒険ファンタジー

ところで,ふしぎなことですが,まことによいことにであったり,まことにすてきな日々をすごしたというようなことは,話してもすぐにおわってしまいます。ほんとは気味が悪くてどきどきする,こわくてぞっとするようなことが,かえってお話としてはすばらしいのです。
子どものために書かれた英国生まれの文学、なかでも“ゆきて帰りし物語”のジャンルに属する優れた古典を象徴する言葉といえるでしょう。「ナルニア国」シリーズ然り、『ピーター・パンとウェンディ』然り、『とぶ船』や『宝島』、そしてもちろん、『ホビットの冒険』も。“冒険”は、時に命懸けの闘いとなって、主人公をさいなみます。いきなり本のなかに放り込まれた読者も、主人公とともに旅をしなければなりません。「指輪物語」風に言えば「旅の仲間」に加わるということです。『ブリジンガメンの魔法の宝石』も、そういったファンタジーのひとつ。コリンとスーザン兄妹は、両親と離れて訪れたイギリスの西部オールダリーで、種族も時代も超えた大闘争に巻き込まれていくのです。
下敷きになるのは、この地で古くから語られてきた伝説。それは、奇妙な老人に招かれて洞穴に入った農夫が見た、イギリスが危機を迎える日まで目覚めないという、百四十名の眠れる騎士と白鳥にまつわる不思議な話です。農夫は、騎士の数に1頭足りなかった白馬を老人に売り、換わりに多くの宝石を得たといいます。ウェールズ地方のアーサー王伝説のなかに似たストーリー(アーサー王と騎士たちが、来たるべきイギリスの窮地を救うために洞穴で長い眠りについている)があったのを思い出しますが、この本に、それを示す記述はありません。いずれにせよ、心がざわめくようなこうした伝説には事欠かないイギリスは、やはりファンタジーの層が厚いのです。
さて、農夫が出会った老人の正体は、洞窟の眠れる騎士たちを守り続けてきた魔法使いキャデリンでした。真偽のはっきりしない言い伝えは、キャデリンの探す――騎士たちの眠りの呪文を封印した――魔法の宝石が、常にスーザンの腕に掛かるブレスレットの石だと判明した時、善と悪の戦いとなって兄妹の目前に立ち現れます。騎士たちの命を狙う闇の王ナストロンドが、宝石を奪おうと動き始めたのです。腕っぷしの強い二人の小人と共に、コリンとスーザン兄妹はキャデリンのもとへ急ぎ旅立ちます。宝石を彼の手に戻し、邪悪なものたちから遠ざけるために。
道中は緊迫した場面の連続です。スヴァートと呼ばれる小鬼は徒党を組んで襲いかかってくるし、ナストロンドの息のかかった鳥は常に地上を見張り、巨人族のトロールが夜通し歩きまわります。地下に無数にある横穴縦穴を、スヴァートから逃れながら、時に泳いで、時に腹ばいになって進む最大の難所では、読んでいる私まで息苦しくなりました。水に浸かった横穴で背泳ぎの体勢をとると、唇が天井をかすめます。その上下左右ひと一人分しかない試験管のようなトンネルを、どこまで続いているかもわからないままに、彼らは進むのです。後退は死を意味するのですから。
先を知りたい、4人は危険を回避できたのか早く確かめたい、という焦燥感に手綱をかけて、しっかり丁寧に読んでいきます。それほどハイペースの展開ではありませんが、悪漢たちの名前は響きも字数も多様で、なかなか頭に入りませんし、旅の要所となる地名に至っては、巻末の地図をめくりながら、なるほど、今は「マクレスフィールドの森」か…と確認しながらでないとおぼつかないからです。
読者の胸に迫るほどの壮絶な戦いぶりを見せる小人たち。救いは容易には訪れず、踏み出したとたん後ずさるような感情の揺れが語られます。しかし、そんな絶望的な状況下でも、しぶとく希望を手放さない4人の結束力が、物語の濃度を深めていると感じました。
吉田 真澄 (よしだ ますみ)
長年、東京の国語教室で講師として勤務。現在はフリー。読書指導を行いながら、読む本の質と国語力の関係を追究。児童書評を連載するなどの執筆活動に加え、子どもと本に関する講演会なども行う。著書に『子どもファンタジー作家になる! ファンタジーはこうつくる』(合同出版)など。