「考える」とはどういうことなのか?(後編)_2017.12

「考える」とはどういうことなのか?

「考える」の本質を解き明かそうとした本『はじめて考えるときのように』の著者である哲学者の野矢茂樹先生。(前編)では、「考える」には「分析的思考」と「創造的思考」の二つのタイプがあること、さらにそれらはどうすれば身につくのかを話してくださいました。

 

ひらめきを「待つ」前にジャンプする距離を縮めておく

── ひらめきは、どのように待てばいいのでしょうか。

ただ黙って腕を組んで待てばいいかというと、それだけではなかなかうまくいかない。ひらめく、新しいアイデアを得るというのは、もともとの情報にはなかったものへ飛躍することでしたよね。でも、飛躍する距離はなるべく小さい方がひらめきやすい。だから問題に向かっていくときには、まずは「分析的に考える」ことで、ジャンプする距離をできる限り小さくしておくのです。
たとえば、「心とはいったい何か」といった哲学の伝統的な難問があります。そんな大きな問いを抱えていても頭はまったく働かない。だから、「心とは何か」という問題そのものではなく、もうすこし扱いやすい小さい問題に分けていく。この問題なら考えられるな、というくらいまで。そういう小さい問題を頭に刻んでから、私の場合は散歩に出て、一時間くらい考えるとだいたい答えが出せます。哲学の問題で一時間くらい考えれば答えが出るというと、たいていの人は驚くだろうと思いますが、「心とは何か」という百万年かかっても答えがでない問題を、一時間考えれば答えが出るレベルの問題に落として、それを無数に積み重ねていくんですよ。

 

問題の緊張を保ったまま外に自分を開いていこう

── ひらめきを待ちながら、考え続けていると、どのようなことが起こるのですか?

一日中ずっと考えるというのは、つまり、一日中その問題の緊張感が消えないということ。もちろん、ごはんを食べたり、他のこともしますけど、緊張感は続いています。そうすると、思わぬものがヒントになって、今まで全然関係ないと思っていたものがポーンと結びついていく。ゼロから何かまったく新しいものが出てくるんじゃなくて、知っているもの同士の間に今まで見えていなかったつながり、関係が見えて、新しい関係で世界が再編成されてくる。もちろんゼロから新しいものが出てくることもあるかもしれないけど、まぁそんなことはめったにない。じぶんの問題に結びついていかないかなと思って、本を読んだり、人と話したり、外の景色を見てみたり……。すると、今まで結びついていなかったものが、「あっ、これとこれ、結びつくんだ」と気づく。
問題の緊張感を保ったまま外に自分を開いていって、何か自分の抱えている問題に結びついてこないかとアンテナを張って待つ。これが「創造的に考える」ということです。考えるというのは基本的に何かをすることではなく、そういう構えになること。獲物を探している動物のように、襲いかかろうと構えているわけです。
そこで、みなさんが問題を抱えているとき、決してやっちゃいけないことが二つあります。ひとつは、どこかに正解があると思ってしまうことですが、もうひとつは、自分の中に閉じこもってしまうことです。問題に悩んでいる人は問題におしつぶされそうになって、つい自分の中にこもってしまう。そうすると、結局そこで行き止まりで、解決できなくなる。でも、そういうときこそ、むしろ外に向かって自分を開いていかなくちゃいけないのです。

 

問題の中へ深く潜りこむ すぐには浮き上がらない!

 

── 中高生が哲学的な問題にふれることの意義って何でしょうか?

哲学に触れて、本当に学ぶべきは哲学者が出した答えではありません。どうやって問題の中に潜り込んでいくかということです。問題のなかにドボーンと入って、ゴボゴボゴボーって問題の中に沈潜していく。そうすると、その問題の核心が見えてくる。
哲学的には、問題からすぐ浮き上がろうとしてはいけない。問題の中にどのくらい深く入っていけるかというのが最初の勝負になるんです。哲学者というのは、その問題に本当に深くからめとられている人間のことをいうんですよ。哲学の問題というのは、そうすることによってしか答えが出てこないんですね。そうやって哲学者とともにその問題にふかーく入っていって、そのうえでその哲学者と同じ答えになったなら、それをもらってくればいい。あるいは、自分の考えが出てきたなら、その答えをもって浮かび上がってくる。
中高生時代はどう対処したらいいのかわからない、モヤモヤしたものをいろいろ抱える時期でしょうね。そんな中高生に哲学が伝えられるメッセージがあるとすれば、モヤモヤを抱える自分を好きになりましょう、ってことですかね。モヤモヤを抱えていることは、全然悪いことじゃないから、自分をネガティブに捉えないでほしい。大事なのはそのモヤモヤとうまくつきあっていくこと。そういうモヤモヤは、一生晴れない。そのモヤモヤとつきあっていくのも一種の体力なんだと思います。図太さかもしれませんけどね。

 

◆「考える」力と“言葉”の関係は?

何かを考えるというとき、言葉は最も基本的なものです。分析的に考える場合でも、創造的に考える場合でも、言葉の力を鍛えていくことがとても重要になります。
まず、分析的に考える場合には、前提と帰結の関係、論理を担うのは言葉ですから、日ごろから論理的な言葉の使い方を鍛えていく必要があります。
一方、創造的に考える場合にも、言葉の働きは決定的です。創造的な思考ではアンテナを張って「待つ」わけですが、言葉がないと解決につながるヒントを捉えられません。ものごとは、言語化されることによって、つながっていくんです。
だから、言葉を知ることによってヒントになるもののレパートリーがどんどん増えていくでしょう。言葉を知らなければ、ヒントは見えない。いくら外の世界に自分を開いても、ヒントが見えてこなければどうしようもないわけで……。しっかり考えるためには、まずは言葉を鍛えなくてはいけません。
(前編)では、「考える」のは一貫した自分を保つためだとお話ししましたね。自分自身で考えるためには、「自分の言葉」を鍛えていく必要もあるでしょう。
もちろん、「自分の言葉」といっても、他の人にまったく伝わらないことをいくら言っても意味はない。それは単なるひとりよがり。もともと言葉は他人から教わるもの、基本的にすべて「借りもの」です。でも、単なる借りものではない自分の言葉を、時間をかけて鍛えていこうという気持ちは大事です。
たとえば、すぐれた作家は自分自身の言葉をもっています。彼らが使っている言葉は全部辞書に載っている日本語ですから、そういう意味では決して自分だけの言葉ではない。でも、言葉の組み合わせ方、文章の作り方といったものに、はっきりその人となりが表れてくる。他人が言っていることを受け売りでしゃべっているだけだと、自分は確立されません。でも、いきなり「自分の言葉」をもってくださいといっても、それは無理です。中高生どころか、大学生でもまだまだ「自分の言葉」なんてもてません。
いろいろな経験を積んで自分が確立していくのと並行して、少しずつ自分自身の言葉も作られていく。じわじわじわっと自分の言葉が育っていくんだと思いますね。自分自身の確立を目指すということは、結局、「自分の言葉」をもとうとすることと同じなのです。

野矢茂樹先生Shigeki Noya

(東京大学大学院総合文化研究科・教養学部教授)
専門は、現代哲学、分析哲学。主著は哲学の伝統的難問への答を追究した『心という難問 空間・身体・意味』(講談社)。その他、『はじめて考えるときのように』(PHP 研究所)、『入門!論理学』(中公新書)、『新版 論理トレーニング』(産業図書)、『哲学の謎』(講談社現代新書)など、平易な言葉づかいで哲学や論理を語った著書も数多い。最新刊は『大人のための国語ゼミ』(山川出版社)。元Z会員でもある。

 

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・【特集】「考える」を考えたことある?
「“よく”考える」とはどういうことなのか、あなたは説明できますか?
正解のある数学の問題について考えることから、将来の進路のような正解のないことを考えることまで、私たちが日常で行っている「考える」とはいったいどういうことなのか、野矢茂樹先生をはじめとする3人の先生のお考えを伺いながら「考えて」いきます。

 

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